四人よれば幸福の知恵

 アスファルト地面を踏み鳴らして着いたカフェは、曇ってきた空とは対照的に暖かくぼんやり発光してるようだった。


 壁紙に赤レンガを採用してるのがそう思わせるのだろう。

 ふと、蛍光灯と白熱灯による食欲の作用を思い出す。


 黄色く暖かい光を放つ白熱灯は、店内を暖かく見せるだけじゃなく、料理を照らすことで食欲を増進する効果がある。


 逆に、青っぽい光を放つ蛍光灯は食欲が下がり、飲食店を経営する人達には好まれない。

 テレビのバラエティ番組で、食器やテーブルクロス、皿まで青に統一するという企画があって見たことあるけど、その日は本当に食欲が湧かなかった。実験で試していた芸能人も少食気味だったし。


 まあ、学校では良く見かけるけどね、何せ青は集中力を高めるっていうし、授業や勉強にはもってこいだ。


 でも、暖かく感じるのはきっと壁紙だとか、白熱灯の光ではないことはカフェの前を横切る人達にも分かるだろう。


「お店の中、何だか楽しそうですね」


「うん……めっちゃ楽しそうっすね」


 顔を合わせ、二人して頷いた。


 店の中から、談笑やら苦笑やら爆笑やらと、笑い声が外にだだ漏れで、楽しそうな雰囲気が店の外装と相まって周囲に撒かれている。


 何で撒かれてるなんて表現を使ったか、それは周囲の人を見れば分かる。


 例えば、あの人。


「あら、南條さんのところのお店、今日は楽しそうね」


「ええ、嬉しい事でもあったのかしらね」


 主婦らしきおばちゃん達は微笑を浮かべながらお喋りしたり、


「ねえ、あのお店、なんだか楽しそうだよ」


「あそこのおっさん、前にお菓子くれたんだぜ。もしかしたらお菓子くれるかもしれないし行ってみようぜ」


 小学校低学年ぐらいに見える背丈の少年二人が目の前を過ぎたり、


「ねぇ、あそこいってみない」


「え? あそこって」


「ほら、あそこ、あの笑い声がする」


「あれか、丁度小腹空いてたし、軽く食べるか」


「やったー!」


 髪を染めたギャル風のカップルが先輩と俺の間を割って入っていく。


 ……ん? 待てよ。これって、


「繁盛してる!?」


 先輩が驚き小さな悲鳴を上げたけど、そんなの気にしてられない。だって、繁盛してた場合、厨房が使えないから!


 脱兎の如き速さで店のドアノブを握りしめ開け放ち、早鐘を鳴らす心臓の不安と共に店内へと一歩踏み出した。


 おい! 厨房は無事か!! 窓ガラスを突き破って出てくる精鋭部隊的な勢いで、ハリウッド映画のような緊迫した状況を浮かべて、目にはいるゾンビをカッと睨むつもりで……いや、お客さんはゾンビじゃないな。


 とにかく、店内に入った。


 そして、見た。


 友人である夏美が、頬を白や赤の粉で汚しながら、親父と話している姿を!



「って、何してるんだよお前!」


 意外すぎる出迎えにツッコミを入れた。

 夏美は、制服のブレザーを脱いでYシャツに赤やら青やらの粉をほんのりと被っている。背景も相まって、絵描きがアトリエで描いてるみたいに見えるけど、ここはカフェだ。


「何って、絵を書いてるのよ。マスターの希望に沿ってね」


「いやー、夏美君は相変わらず絵が上手いね。その才能が欲しいよ」


「ありがとうございます。けど、きっちりカフェの特別割引券は頂くので準備はしといてくださいね」


「分かってるって、お、そこはもうちょっとこう、フォトジェニックな感じで……、そうそう! 流石だよ夏美君!」


 夏美が黒板ボードにチョークを走らせる度に、親父が要望と興奮の声を上げていた。


 何だこれ。


 それとフォトジェニックってどこで覚えたんだ。


「こんにちは、あ! お師匠のお友達の。えーと、安堂君ですよね」


「えーそうよ、こんにちは。お昼休みぶりね」


 麦野先輩はぎょっと目を張って、一度頭かぶりを振って「あの」と声をかけ直していた。


「何かしら?」


「やっぱり聞き間違いじゃない! え、でも学校の時と口調が違うし、男の子だし……あれ?」


 二転三転、そんな風に目の前で自問自答を繰り返しては学校の時と違う夏美との違いに何度も驚いていた。


 そして、こんな面白い反応を見逃すはずもなく。


「実はあたし、二重人格なの。普段はもう一人のあたしが表に出てるんだけど、ね。

 こういう羽を伸ばせるところにいると、ついつい出てきちゃうのよ」


「にじゅう、じんかく!」


 夏美の悪ふざけに何かしらの悪影響を受けて感動してる先輩。


 やれやれ、先輩をいじって良いのは師匠の特権なのに。


 ちなみに、夏美があたしというのに違和感が無いのは、おねえ口調が完成したから、ではなく、高校まで一人称が「あたし」だったからだ。

 なら、なぜ夏美は女性口調なのかというと、お母さんやお姉さん達の喋り方を真似していたからで、更に言うと、適切な時期に適切な言葉の矯正をしなかったからだそうだ。


 元々、歯に衣着せぬ性格だったのもあってか、小学校で口調が変だといじめられていた時期もあったらしいけど、持ち前の強気さと策略で一蹴したそうだ。


 慣れ親しんだ口調を無理矢理変えてるため、学校では何となく物静かなイメージが付いているけど、実際はよく喋る奴だ。


 うふふ、そんな笑い声がする。


「ごめんなさい、二重人格は嘘よ」


「え? で、でもまだ口調が女性口調のままですよ」


「これが本当なのよ」


「え! え? え!?」


 今にも頭から大量の煙を吹き出しそうになってる麦野先輩、前髪の奥で目が回ってるのが限界のサインだろう。


 やれやれ、そろそろ助け船を出すか。


「お前先輩のこと弄り過ぎだろ。もうここまでにしたらどうだ?」


「そうね、そろそろこの絵も完成させなきゃだし、そうするわ」


 そういって、整った顔に愉悦を浮かべながら絵を描く作業に戻った。


 確信犯だな、こいつ。


「先輩、大丈夫ですか?」


 ぐるぐると目を回している麦野先輩に近づき、調子を伺った。


「はぁ! 二重人格は夢ですか?」


「夢だけど、夢じゃないような」


 言葉が濁ってしまうぐらい説明が難しいよ、この友人は。

 いっそ安堂 夏美の取り扱い説明書でも作って渡そうかな。


「そういえば、お店の様子はどうでしたか?」


「え? 店の様子」


 …………。


 ……。


 あ。


「そうだった! 繁盛してたら困るんだった!」


 えっ!? と親父が悲痛そうな叫びを上げるのを聞き流しつつ、店内を見た。


 すると、


「にゃ? ユウ君お帰り~」


 テーブル席で突っ伏した状態の翔は、ゆらりゆらりと片手を上げて手を振っていた。


「ただいま……じゃなくて! それなんだよ」


「これ? カフェにあったゲーム。名前はトマトマト――」


「いや、それは分かってる。じゃなくて、その人達だよ」


 んにゃ? というつつかれた仔猫みたいな声を上げる翔をよそに、テーブルに座る子供がサイコロを振ってカードめくって並べていた。


 というか、良く見るとさっきの子供二人が参加してる。


「ト、マト、トマト、マ、まじょ。あ!」


「はーい失敗! いっせーので! よっしゃ! カードゲット!」


「次はうちの番にゃ、ト、マト、トマト、マト、マ、ポテト、マ、マト、トマト。ふふん」


 プライドが高い猫みたく、寝そべりながらも胸を張ってるのが分かる。


 しかも、翔が噛まずに読めたことが凄かったのか、子供三人(観客のギャル風カップルを含め)おおー! と歓声を上げていた。


 どうしてこうなった。


 元々二人は俺と先輩の手伝いに来たはずなのに。


 何となく夏美の方を見ると、出来上がったのか、貴族の庭園みたいな絵を親父と二人して満足げに見て頷きあっていた。が、俺の視線に気付いた夏美が、そっとこちらに寄ってきた。


「おい、これはどういうことだ。手伝いに来たんじゃないのか」


「ええ、手伝いよ。周りの注目を集めるお手伝い」


 何を言ってるかよく分からない。こいつ一体何を考えているのだろう。


 夏美の意味深な笑みの意味が分からなかった。

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