積み重ねの理論

「料理が……でき、ない」


 先輩の口から放たれた驚きの事実に震え上がる。真っ赤な顔で震える弟子の細い声に耳を傾けた。


「すいません。料理が出来ないことを話そうとは思ったんですけど、それを言ったら師匠になってくれないと思って、すいません! あ、でも、お師匠の勘は鋭いので、嘘をついてもすぐバレると思って嘘だけはついてません」


 前屈み気味に真っ直ぐな目を向けられてもな。


 けど、そう言われて思い当たる節はあった。

 シュガーバタートーストの件だ。


「シュガーバタートーストの時、『自分なりに』切れ込みを入れたって言ってましたね。どんな風に入れたんですか」


 師匠になってくれと話していた時に、ニュアンスに違和感があったのを思い出した。

 先輩の言うとおり勘は鋭いかもな。

 しかし、それを見抜いた麦野先輩はもっと凄いと思う。


「えっと、まな板の上に食パンを置くじゃないですか」


「うん」


「そして、わたしって包丁を握ったこと無いじゃないですか」


「うん」


 初耳だけどスルーで。


「包丁無しで切れ込みを入れるとなって、カッターを持ち出したんですよ」


「うん」


「それで、そのカッターでこう……ササッと」


「線を引くように切ったんですか?」


「いえ、ササッと刺したんです。食パンを」


 そういって右手を頭の高さまで持っていき勢い良く振り下ろす素振りを見せる先輩。


 うん、怖いな。


 想像するだけで震え上がった。まな板の上に置かれた食パンが先輩の慣れない手つきでグサグサと刺されていく様を。


 ってか、惨殺事件じゃん。食パンの。



 はぁーと肺に溜まったアレコレがため息として口からこぼれる。


 それに反応してか、顔色を伺う先輩が「あの……」と消え入りそうな声で話しかけてくる。


「弟子はクビ……ですか?」


「クビ? クビもなにも……」


 怯えた表情の先輩に対して、俺は腰に両手を当て、大きく息を吸った。


 ここでハッキリしたいことがある。俺はそれを銃弾のように鋭く、且つまとめた言葉を脳内で手繰り寄せ、これだという言葉を弟子に放った。


「先輩を弟子に取ったのは、俺が先輩に惚れたからっすよ」


「えっ……」


 簾の合間から、大きな双眸がくっきりと現れる。


 それを見逃す理由などない。


 俺は出来る限り近づき、綺麗な瞳に言葉の滝を流す様に言い続ける。


「初めて会ったとき、先輩がかっこ良く啖呵切ってたじゃないっすか。

 残すことが不幸だと思えるぐらいに幸福を感じるトーストを完成させるって、苦しくっても悲しくっても食べたくなるようなトーストを作ってやるって。

 俺、あの一言を聞いてから、先輩の掲げる『幸福トースト論』っていうすげー夢に協力したいって思ったんすよ。

 だから、今さら料理が出来ないなんて問題外だ。

 いや、むしろわくわくしてる。俺の経験と技術全部を教えたその後で、先輩がどんなトースト料理を作るかめっちゃ気になってる。


 だから、その……、料理が出来ないぐらいで泣くなよ」


 後半になってから泣きじゃくり出した先輩は、元々小柄な背丈がさらに小さく見えるほど幼く弱々しい声をあげていた。


「ごめんなさい、違うんです……、これは、料理が出来ないとかそんなことじゃなくて、嬉しくて、うぅ~……」


 整えようとした呼気が乱れ、嗚咽が準備室に響く。


 突然のことにどうすれば良いか分からない。ここで手を握れば良いのか、それとも優しく背中をさすれば良いのか。まるで繊細なガラス細工みたいだ。下手に触れれば余計に泣かせてしまう、そう思うと言葉を掛けることさえ躊躇ってしまう。


「あの~、その、だから、え~と……」


「ししょう、もう一度言ってくれませんか」


「え~と、何を?」


「もう一度、弟子にしてくれるって、言ってくれませんか」


 泣き腫れた赤い目をこすりながら、麦野先輩はお願いしますと付け加える。

 それにどんな意味があるのか、何となく分かって、師匠としてカッコをつけなきゃならない瞬間だと直感した俺は、その言葉に今ある胸のこのワクワクが伝わるように言った。



「麦野 香穂先輩! あなたは俺の弟子だ! だから一緒に、幸福を感じるトーストを作ろうぜ!」


「はいっ!」


 料理準備室に俺と先輩の、師弟の笑みが咲き誇った。


 そう思えた。



 □■□■□



「お師匠お師匠! 早くカフェ行きましょうよ」


「ちょっと待ってくださいよ、まずは買い物しないと」


 昼休みの一件が収まり、午後の授業が終わった放課後。

 ぼんやりとした天気の元、麦野先輩は楽しげに店へ向かっていた。


 カフェの近くで営業してるスーパー。出入口には野菜が置かれ、独特の青臭さがクセになる。


 買い物かごを持って、率先して前を歩く先輩の後を追った。


「お師匠、そういえばサンドイッチを作るんですよね、何を挟むんですか?」


 サンドイッチは単純でいて種類が多く、それでいて挑戦しがいのあるトースト料理だ。正直どれにするか決めかねる。


 だが、それは過去の話し。料理が出来ないという先輩のカミングアウトから、すでに目指すサンドイッチは決まっていた。


「『エッグサンドイッチ』です」


「えっぐさんど?」


 ルンルン状態だった先輩が、スズメみたいに首を傾げた。


「玉子サンドイッチですよ」


「そ、それくらいは分かりますよお師匠!」


 あ、怒った。可愛い。


 膨れっ面を浮かべる麦野先輩が、「そうじゃなくて」と首を激しく横に振り疑問を口にする。


「なんで、エッグサンドイッチなのかってことです」


「あー、そっちですか。すんません」


 テヘペロ、って具合に片目を瞑って舌をチョロッとだして見せた。


 先輩から熱いジト目が返って来た。


 はい、調子乗りました。すんません、本当に。


「料理といっても、切ったり焼いたりだけじゃないです。食材の知識が必要な時もあります。例えばこれ」


 手近にあった蓮根をひょいと持ち上げ、左手の人差し指で強調するようとんとんと叩く。


「蓮根は、切って少し放置すると黒く変色します。だから、それを防ぐために水か酢水を用意して、切った後素早く浸す必要があるんです」


「へぇー、そうなんですか。さすがお師匠! 物知りです」


「へへぇ、それほどでも……って」


 不味い不味い、調子に乗るところだった。


「でも、蓮根と卵って関係あるんですか?」


「いえ、全く関係ないです」


 ないんですか、と見て分かるほどに気を落とす先輩。

 ってか、いつも以上に喜怒哀楽が多いな。


 弟子のちょっとした変化に驚いたものの、蓮根の例をあげた意味を教えるため、手に持っていた蓮根を棚に戻して、「つまりですね」と説明を開始する。


「食材の知識を広くするには、何はともあれ実戦です。そして、先輩の努力を鏡みたいに反映させてくれるのが、そう、この卵達って訳ですよ!」


 見つけた安売りセール中の卵パックを一つ手にしてかごに入れる。


 その卵を不思議そうに眺める先輩は、「卵が鏡」と反芻していた。


「なぜ卵が鏡何ですか?」


「それは、って説明したいですけど、言うよりやった方が早いですね、ちょっと買ってきます」


 そうして、卵パックをもう一つかごに入れてレジに向かった。



 □■□■□


「すんません、荷物持ってもらっちゃって」


「これも弟子としての修行の一環です!」


 どうも先輩は弟子という言葉がブームらしい。度々弟子という言葉が出てくる。


 まあ、俺も師匠って言葉すげー気に入ってるし、似たようなものかな。


 そうして、レンガ調の壁が見え、ゆっくりとカフェの扉を開いた。


「親父! 突然だけど厨房使わせてくれよ……って、え?」


「あれ? もしかして悠人君? 久しぶり、一年ぶりだね」


 ニコニコと胡散臭い笑顔を向けるそいつは、カウンター席の一番手前で手をヒラヒラと振っていた。


「あの、お師匠どうしたんですか?」


「あれ? もしかして悠人君の彼女? ハーイ、こんにちは」


 様子を窺うためか、後ろから顔を出した先輩に、そいつは嘘臭い顔を向けて微笑んでいた。


 ムカつく。


「なんでここにいるんだよ。潤さん」


「あれ、兄貴呼び卒業したの? あれ気にいってたのにな」


 残念とニコニコ笑顔で言う。


 何か腹立つ!


「あの、初めまして。わたしは麦野 香穂と言います。し……、南條君と同じ高校の二年生です」


「ちょ、先輩! 別に挨拶なんか――」


「真面目だね。というか、年上のオレが先に挨拶しなきゃなのにね。ごめんね麦野ちゃん」



 いきなりちゃん付けかよ。また段々とチャラくなったな。こいつ。


 被っていた中折れハットを、さもイギリス紳士みたく軽く持ち上げて見せる。


「こんにちは、オレは朝倉あさくら じゅんって言うんだ。よろしくね」


 軽くウインクする潤さんは、最高に――。


「あの人、気持ち悪いです」


「激しく同意する」

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