幸福計画始動! 世界を包んで真っ二つ

 その日は、結局面接らしい面接は出来なかった。

 しかし麦野先輩を弟子に取ることはもう決まってるため、先輩を家まで送りながらその旨を伝えたところ。


「ほ、本当ですか! ありがとうございます!」


 という純粋そうな笑顔を浮かべ、また明日学校で会う約束をしながら夜道を去っていった。


「ふん、師匠ってのは疲れるぜ」



 □■□■□


「うぅ~、学生ってのは何でこう疲れるんだ」


「あんたが勉強忘れてるからでしょ、ほらそこ間違ってる」


「ふぃ~、ぽかぽか陽気が気持ちいいにゃ~」


「あんた、毎日そうしてゴロゴロしてるのに点数だけはきっちり取るから不思議よね。なにそれ、睡眠学習?」


 翌日。

 色々と忘れていたが、5月もすでに中旬に迫っていた。つまり中間テストが迫っている。

 そして本日は木曜日。中間テストは来週の月曜日から木曜日まで。


 憂鬱だ!


「あ、てか俺、昼休みに可愛い弟子のために料理準備室に向かわないと」


「その可愛い弟子に胸を張れる点数取らないと、威厳とか尊敬とか地に落ちるわよ」


 まっさか~、麦野先輩に限ってそんなことはないだろ~。


 ――多分。


 俺達三人は理科教師の指示で集団を作っていた。近くの席ということで、俺と夏美は自然と一緒になり、前回やった小テストを見せあった。


 点数はプライバシーのため控えさせてもらうが、夏美の点数を越えられた試しはない。


 近くの女子一人も集まろうとして椅子を寄せていたのだが、


「うち登場~」


 と、よく分からないがすでに輪に入っていて、呆気に取られていた女子はどこか浮かない顔をして、誘われていた輪に向かっていった。


 そして今、いつもの三人で集まり、夏美先生に教えてもらいながら間違いと正しい答えをノートに書いている。


「まあ、勉強も頑張るけどさ、それよりまずは修行だろ」


「あんた、一応言うけど授業中よ。大声出してると気付かれるわよ」


「大丈夫だろう、だってほら、あんなだし」


 視線の先では若い理科教師の女性が教科書とパソコンを確認しつつ、時に俺らの方を見回したりと、見てるだけでも大忙しだった。


 夏美がその光景を見てため息を吐く。


「効率とか言って、最初の二十分はいつもこれよね。まあ、ちょっとだけ気の休まる時間と言えなくもないけど、あれ見てると疲れるわね」


「そうか? 別に疲れないけど」


「うちも」


 俺らの意見を聞いた夏美は、まあ良いわと話しを切り上げ、俺らへ勉強を教えてくれた。


「ふーん、あんた、そういうのは答えられるのね」


「そういうのって?」


「それよ」


 と、夏美の指先が示してたのは、乳化性についての問題だった。


 内容は、『水の中に油の粒子が分散してる状態、油の中に水の粒子が分散してる状態、それぞれ解答を書き、例を述べよ』だ。


「水中油滴型、牛乳やマヨネーズ。油中水滴型、バターやマーガリン。……こういうのは完璧よね」


「だからこういうのってなんだよ」


「『料理』よ」


 言われて俺も気付いた。そういえば、乳化性についての問題だけバツがない。


「乳化性の別名がエマルションってとこまで答えてるわね。そこだけは素直に褒めてあげるわ」


「えへへ、どうも……って、なんで上から目線なんだよ」


「ちなみにうちは、水中油滴型と例のマヨネーズしか答えられなかったにゃ」


 翔がヒラヒラとプリントを見せる。


 くっ! 翔にも点数で負けた。


 居心地が何となく悪くなり、ぼんやり後ろに見える外を眺めた。


 こんなに空は広いのに、この場所だけとても狭い。世の中って理不尽だ。


 いっそ、世の中の理不尽をこの空で挟んで半分にすれば、心も少しは満たされそうなものなのに……。


 いや、方法ならある。


「そうだ、トーストといえばあれだ」


「いきなりなに、トースト?」


「おう、塗ったり焼いたりばっかだったからな。わざわざ親父のところに顔も出したんだし、カフェの厨房も使わせてもらわないと。記念すべき最初の修行課題は『サンドイッチ』にしよう」


 握った拳を小さく突き上げる。それぞれため息と欠伸が漏れてるが気にしない。


 思い立ったがなんとやら、カフェの厨房に無い食材を思い浮かべ、ノートの隅にメモをする。


「あんた、そういうのはまめよね。まあ、ちゃんと師匠やってるなら文句はないんだけどさ」


「だろ。師匠としての最初の修行だし、気合入れないとな」


「その気合が勉強にも向けば良いんだけどね~」


 苦労性な友人はそう言い残して、今度は翔に勉強を教えていた。



 そうして二十分の集団勉強は幕を閉じた。



 □■□■□


「お師匠! 今日は何をするんですか!」


 料理準備室に着いた瞬間、麦野先輩が長い前髪からキラキラ光る瞳をこちらに向けてそう尋ねてきた。

 師弟となってからの初めての取り組みだし、ワクワクしていて当然かもしれない。


 フフフ、そして俺は、その反応を待っていた。


「先輩、昨日行ったカフェありますよね。今後はあそこの厨房も使おうと予定してます」


「ほっ、本当ですかッ!?」


 嬉しさのパラメーターが吹っ切れたのか、小さく身を屈めたと思ったら拳を空に放ってジャンプしていた。


 いちいち反応が面白くて報告する側も楽しいぜ。


「そして、今日予定してるトーストは、『サンドイッチ』です!」


 …………、


 ……あれ?


 てっきり麦野先輩の歓声が来ると思ってた。

 突然静かになった先輩をチラと見ると、なぜか両肩をプルプル震わせている。


 あー、これはあれだ。感極まって静かになるやつだ。

 タイミングがずれただけで、多分もう少しすれば先輩から、やったー、とか、ヤッホー、とか飛んで来るはず――。


「サンドイッチはやめませんか?」


「うんうん分かった落ち着いて下さい……今なんて?」


 サンドイッチはやめませんか? なぜだ?


 俺の疑問符が頭の上で実体化でもしたのか、先輩は前髪の奥で困り果てた顔をして、バツの悪そうな顔色でこちらを窺っている。



「え~と、そうだ! こういうのは基本からって言うじゃないですか、まずは食パンを焼いたりバターを塗ったりしません?」


「でも、先輩ってこの一年ずっとそうしてたんですよね。なら、基本のキは問題ないんじゃないですか」


 うっ。

急所を突かれたみたいな呻き声が先輩のいる方向から聞こえた。


 なんか怪しいぞ。


「そういえば、トーストを焼く他にトースト料理ってしたことあるんですか、ほら、フレンチトーストやクロックムッシュとか」


「……」


 先輩の前髪がシャッターみたいに俺を遮断して様子を伺うことさえ許されない。


 なんでこうまで頑なに、意欲や気合はバッチリなのに。


 黙った先輩に声を掛けること止め、その場で考えた。


 初めて食べたシュガーバタートーストや翌日に食べた醤油バタートースト。どれも美味かったな……。


 そういえば、ずっと似たようなトーストばかりだったな……――まさかッ!?


 そこでふと頭にあり得ない可能性が過った。いやでも料理してるわけだし、何より昨日ご両親のために料理を作ったって話しを聞いたばかりだし、そんなはずは。


「あの、先輩。大事な質問をしても良いですか? 間違ってたら蹴るなり殴るなり遠慮なくボコってくれて構いませんから。

 その……、先輩は料理出来ない系、ですか?」


 恐る恐ると尋ねた。いやだって、そんな訳ないしな、ここで、『お師匠はわたしのこと馬鹿にし過ぎです! ムカついたのでわんこトーストの待ったなしやります』とか言われる方が自然だと思う。


 しかし、先輩は俺の予想を裏切る人で、長い前髪から反省した子犬見たいな表情を見せられたら、もう想像とも言えないわけで。


 つまり、先輩はこう言ったのだ。


「はい……、トーストを焼く、バターを塗る以外の料理はダメな料理出来ない系女子です」


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