エピローグ

エピローグ 世界は愛で満ちてたっぽい。


 人は恋をする。


 それは性欲と独占欲と承認欲求をブレンドした醜悪極まるものであろうがとにかく人は恋をする。


 夏は恋の季節とか言うが、春も恋の季節と言われなんなら秋も恋の季節であり、無論冬も恋の季節である。何かと恋してるのが現代人なのだ。


 もはや文化とさえ言える「恋」だが、その本質は何だろうか。


 性欲、独占欲、承認欲求、庇護欲に征服欲、幻想と妄執、あるいは先入観。それら全てにいえることは、一過性の感情ということだ。

つまり「恋」とは一過性の感情であり、ふとした瞬間に消滅し得るものなのだ。

 ではそれを持続させるためにはどうするか。

 簡単だ。「愛」が必要になる。

 「恋愛」とは言うものの、「恋」と「愛」は本質的には対を成すものだ。衝動と抑制、簡単に言うと「アクセル」と「ブレーキ」である。

 アクセル全開ではコーナーを曲がり切れずにクラッシュし、ブレーキベタ踏みだとそもそも前進しない。コースを作るのは周囲の環境であり、リア充どもは上手くゴールにたどり着くためにハンドルを握る。


 なるほど、「恋愛」という言葉は理に適っているわけだ。 

 

 だがしかし。


 ゴールにたどり着くことを望まないのならば。

 スタートを切る必要も、ないのではないだろうか。

 

 無事故を望み、ずっとブレーキを踏んだままというのも、一つの在り方ではないだろうか。

 何かを望むことを美徳とし、それを得るために行動することを善とし、行動を起こさなければ敗者であるという烙印を押される。そんなものは未熟さを棚上げし、我欲を肯定するためにでっち上げられたパラダイムだ。


 つまり、真に相手を愛するならば、行動を起こさない。ここテストに出るよ。


 ウブな童貞中学生くさいと我ながら思うが、逆説的にウブな童貞中学生は愛に生きる聖人君子なのであって、全男子は童貞を貫くべきである。まる。

 まあ、童貞さえ貫けない男に、女の子を貫けると思うなよ、って話だ。



「…………オウ」


 目の前に、ミササギがいた。


 現在時刻は午前五時。夏の朝は早く、こんな時間でも外はだいぶ明るい。

 だから、窓から差し込む朝の光がミササギの胸元を照らして、そのささやかな膨らみを鮮烈に網膜に焼き付けてくる。首元の緩いシャツから、鎖骨と白い首筋がうかがえる。理性を保て理性を保て理性を保て理性を胸保て理首筋性を保て鎖骨理性美人だ。


「……ふぁ……ああ、亮か、おはよう」

「お、おう……」


 その扇情的な姿に、思わず視線を背け――おいこら。


「いいのよ、続けて? 蜜月なんて一瞬よ?」

「なんで泊まってるんすか……」


 俺を挟んで、ミササギと反対側に久瀬先輩は寝そべっていた。薄桃色の寝間着は乱れて、その瞳は妙な湿り気を帯びてこちらを見ている。

もちろんここは俺のベッドである。ミササギに対しても、久瀬先輩に対しても、断

じて夜這いなどしていない。多分。きっと。おそらく。…………してないよね?


「昨夜のアナタ、すごかったわよ?」

「……へ⁉」


 思わず自分の下半身に視線を向ける。特に何も起こっていないが、実感がないだ

けで手を出してしまったのかもしれない。そこまで考えて頭が真っ白になった。う

そだろおい。


「いい所に入れるんだもの」

「おい嘘らだろですよね」

「ちゃんと奥まで届いてたわよ」

「嘘だ嘘だろ嘘であってくれですよ」

「思わず声が出ちゃったもの」

「ほんとごめんなさい嘘って言ってミササギごめん久瀬先輩ごめん許して俺が悪かった」

「勢いよく出たのよ」

「………………さよなら人生またきて地獄」

「黒ひげが」

「……………………………………殺意って、こんな感情なんですね」


 疲れ果ててうなだれる俺を見て、ふっと緩く破顔する久瀬先輩。その表情は余裕で溢れていて、これが大人の色気なのかとか思ったりする。一歳しか違わないはずなのにな。


 ふと、背中からの視線が意識に引っかかる。


「……おい、ミササギさん。なんで傍観してるんだ」


 問うと、さらりと応えられた。


「え、亮に見惚れてたから」

「~~っ⁉」


 おいおい惚れちゃうだろおい……ってもう惚れてた。自分の頬が熱くなっていくのを感じる。視線を逸らして、窓の外を眺めた。そも、どうしてこうなってしまったのか。


 目覚め切っていない頭が、次第に覚醒してくるにつれて昨夜の出来事が思い出されてくる。引っ越し作業を終えて、作業を手伝ってくれた元リア充撲滅同盟のメンバーと鍋作って。


「……なる、ほど」


 床に散乱した黒ひげ危機一髪のセット。剣に樽に黒ひげにと、なかなかな荒れようだった。

 そうだ、寝る前にパーティーゲームをしたんだ。


「なあ、亮」

「どうした」

「…………同棲初夜から浮気とは、いい度胸だな?」

「え、」


 心臓を射抜くような視線に、自分のタオルケットの中を見る。人がちょうど一人入っているかのような膨らみと、足元に感じる確かな体温。その感触は程よい弾性と、独特の湿り気を帯びていた。人の――素肌。


「おうぁっ⁉」


 弾かれたようにベッドから立ち上がって、下半身にかかっていたタオルケットをていっと剥ぐ。不安と焦燥と期待が混ざり合って、心臓がうるさい。ひらりと舞うタオルケットの中から現れたのは、胸を顕わにし、静かな寝息を漏らす――隆々とした筋肉。


 東寺庸介だった。


「――とぉぅぅぅぅぁアァァァァッ‼」


 頭が真っ白になって、とりあえず東寺を蹴り飛ばす。


「ふがッ⁉」


 華麗に宙を舞った東寺は、弧を描いて壁に激突、そのままズルズルと地面に落下する。お隣さんと下の人が入居してなくてよかった。


「ってぇ……何すんだ東山!」

「俺に男趣味はねぇ!」

「俺にもねぇよ⁉」


 抗議の視線を向けてくる東寺との応酬の中で、ふと気が付いた。

 この部屋にいるのは久瀬先輩、東寺、そしてミササギと俺の四人である。昨夜の時点では、ここに佐山と智咲がいた。智咲の自室に戻ったのだろうか。


「なんで女子との同棲二日目の朝にむさ苦しい男とベッドを共にせにゃならんのだ」

「俺だってお前とベッド共有したくねえよ……」

「誰も幸せにならない事件だ……」


 いや、幸せになられても困るけどね。

 そも、このベッドはシングルである。一人暮らし御用達の安いパイプベッド。そのため面積は非常に狭く、三人もいると密着具合が半端じゃない。よく耐えた昨夜の俺。


「そういえば、智咲ちゃんはどこだ?」


 そうミササギが問う。


「自室じゃないのか」


 そう応えて立ち上がると、智咲と佐山を探すべく部屋を出る。

 四畳半の部屋が三つに、トイレと風呂は別、洗面所とキッチン、そしてリビングで構成される部屋は、ルームシェアには十分の広さがある。まだ物が少ないので、余計にそう見えるだけなのかもしれないけど。


「智咲―? 佐山―?」


 智咲の部屋の前に立って、ドアを数度ノック。返答がないのでもう一度呼びかけてから、ドアノブに手をかけ――。いや、俺がやらないほうがいいか。


「着替え中かもしれないから、ミササギが明けてくれ」


 そう、かつて一度、体育祭の日に女子の着替えを覗いてしまった事件があって以来、こういうことには常にアンテナを張っているのだ。ラッキースケベは現実でやると殺される。


「わ、わかった。……智咲ちゃん、入るぞ?」


 男子勢が下がったのを確認して、ミササギは扉を開ける。

 ミササギと久瀬先輩が部屋に入ると、


「東山―、ちょっと来てくれー」


 と呼ばれたので、智咲の自室に入る。

 ベッドと夏掛布団、部屋の中央に置かれたローテーブルと、俺の部屋よりも少しだけ手狭な感じがする。女の子にしては簡素な部屋だ。

 だが、肝心の本人と佐山がいない。


「……なあ」


 底知れぬ不安感が、臓腑を握りつぶそうとしてくる。智咲は先日までDV男と暮らしていた身だ。DV男がここを突き止めて、襲いに来たということもあるかもしれない。殴って黙らせれば女子二人程度なら運べるだろう。


「いーえ、大丈夫よ」


 そう言ったのは久瀬先輩。

 彼女は優し気な微笑と共に、スマホの画面を見せてくる。赤い二つの点。それは微動だにせずに画面中央に表示されている。


「これ、智咲と、佐山ですか?」

「あたり」

「でも、どうして……」


 ひみつ、と唇に指を当てて余裕の表情を見せる久瀬先輩に、訝しげな視線を向けるも「気にしないことね」と一蹴されてしまった。久瀬先輩の唇に当てられていた指が伸びてきて、俺の唇を軽く抑える。唇にぴとりと触れる柔らかい感触。


「っ……」

「っ――⁉」


 俺の体が強張るより早く、ミササギの体が強張った。いや、俺も間接キスだとはわかってるんですけどね、後ろでひゅぅ、と口笛を吹いた東寺君が鬱陶しくてそれどこじゃないんですね。ええだからドキドキなんてしてない。


「東山、明日以降楽しみにしとけよ」

「う、うわぁ……たのしみだナー」


 妙にどす黒くておぞましいオーラを放っている。ミササギもオーラコミュニケーション習得したんだね、すごいと思うよ、うん。……後でコンビニスイーツあげよう。


 それにしても、智咲と佐山は何をしているのだろうか。

 考えても答えは出ないので、諦めて自室に戻ることにする。久瀬先輩の言葉なら信じても大丈夫だろう。


「あ、俺もう帰るわ。始発動いてるし」


 廊下の半ばで、東寺が思い出したように言った。



「わかった、そこまで送ってくよ」

「いや、いいって」

「駅まで分かるか?」


 資金の都合で、駅からはそこそこの距離がある。けれど、彼は送っていくという申し出を固辞した。


「分かるし、大丈夫だよ。じゃあな。また休み明けに」

「おう、じゃあな」


 せめて玄関先までは見送って、再び自室に戻る。

 ルームシェアとはいえ、きちんと自室もあってプライバシーには十分な配慮がされた物件を選んだつもりだ。だがしかし。


「……なんで、ここにいるんすか」


 視線の先では、ミササギと久瀬先輩がマンガ雑誌を読んでいた。


「おい、亮、こういう本は、その、早くないか?」

「そうよねぇ、こんな破廉恥な本」

「はぁ?」


 最近の高校生は、エロ本という文化が希薄だ。別にベッドの下を探しても特に何も出てくることはない。それは俺も例外じゃない。

 エロ本なんて持ってないんだけどな、と覗き込むと、彼女が開いていたのはジャンプSQ.だった。なるほど、これなら内容的に間違えるかもな。青年誌だ青年誌。


「それ、別に健全なヤツだぞ」

「不潔」

「え、」

「変態」

「なんで久瀬先輩まで」

「えっちな漫画は禁止だ! ちゃんと一年後まで待て!」

「ええ……ってか、ここ、俺の部屋。プライバシーどこ行った」


 道徳倫理は何するものぞ、とばかりに男子の部屋に平然と上がり込んでそのうえベッドまで使う。俺じゃなかったら襲われてるぞ。


「なんなら、ミササギの部屋入っちゃ――フベッ⁉」


 投げられたマンガ雑誌の角が、俺の眉間にクリーンヒット。口から情けない声が漏れる。


「それは、だ、だめだ! 変態!」

「ったぁ……じゃあ、せめて出て行ってくれ……」


 俺の理性がもってるうちに、と心の中で言葉を継ぐ。え、なにこれウイルスに侵食された人間みたいでちょっとカッコイイ。


「そ、それは……へ、変態……!」

「うわぁ理不尽」


 間隙を埋めるために罵倒するのやめてほしい。そのうち罵倒されて喜べるようになれそうな気がしちゃうぜ。…………そっちの方がよくね?


 この世は理不尽で溢れ、常に虐げられてしまうのならば、虐げられて喜ぶことの出来る人間はきっと常に喜ぶことが出来るんだろう。つまりドM最強。


「いいから、大人しく私たちと……オトナの遊び、しましょ?」

「しませんよ」

「亮…………し、よ?」


 弱弱しく向けられたその上目づかいに反対の言葉を継ぐのを忘れた俺は、あっけなくオトナな遊びに参加させられてしまった。


・・・


 派手なエフェクトと共に【FINISH】の文字が画面を飾る。

 通算十五回。それが俺のぶっ飛ばされた回数である。


「うそ、だ……」


 リザルト画面で膝から崩れ落ちる俺のキャラクター。国民的ゲームのキャラクターがオールスターで出演するこの格闘ゲーム。久瀬先輩のいう『オトナ』な遊びとは、このことだった。思考が小中学生の男子だ……。


「……これ、どの辺がオトナなんです?」

「『オ』ールスターが『と』りあえず『な』ぐりあうを略してオトナよ」

「そんなカッコいい団体みたいな名前の付け方しないでくださいよ……」

「……亮」

「はい?」


 隣でちんまりと座ったミササギが、俺の袖をくいっと引っ張ってきた。


「これ、勝てないと楽しくないな」

「だな」


 一発逆転の必殺技を放つためのアイテムもあるのだが、残念ながら素人がゲットしても必殺技ボタンが分からないことが多々ある。そんで、ボタン探しているうちにやられている。


 つまりこれは人生。

 チャンスを逃さないために、きちんと経験を積んで行動のし方を学べってことだな。なるほど俺には人生が向いてないっぽい。 


「お兄ちゃーん?」

「お?」


 ドアの向こうから、智咲の声がした。玄関のドアの音は聞こえなかったから、屋

内にいたらしい。どこにいたんだろう。


「おう、どうした?」


 ドアを開けると、目の前に智咲がいた。


「ミササギさんの部屋に来て」

「はい?」


 さっき、変態って言われたばかりである。それにまだ朝飯も食っていないので腹が空いてきた。時間も時間なので朝飯の支度にとりかかりたいのだが――。


「いいから、こっち」

「……凪、いいの?」

「いいよ」


 いいんかい。

 手を引かれて、抵抗するのを諦めて大人しく従う。

 俺の部屋とミササギの部屋は向かい側。距離にして二歩である。

 智咲が扉を開けると、その部屋は真っ暗だった。

 遮光カーテンが午前六時の陽光を全て遮断し、久瀬先輩が後ろ手で俺の部屋のドアを閉めたため光源はなくなった。もちろん廊下にも照明はあるが、現在は消えている。


「……これ、何かするの?」

「いいから、ここ座って」


 言われるがままにミササギの部屋の中に座る。座布団の感触で少しだけ安心した。


 それにしても、暗い。


 ミササギも久瀬先輩も、恐らく俺の近くに座ったのだろうということは衣擦れの音で把握できたが、それ以外の情報が何もない。


 そんな中で、ふと、甘い匂いが鼻腔を満たした。一拍遅れて、智咲が息を吸い込む音が聞こえる。普段ならあまり意識しない息遣いが、この時ばかりは鮮明に感じ取れた。








「――せえのっ!」

「「「「お誕生日、おめでとーっ!」」」」








 掛け声と共に唱和された言葉が、一瞬誰に向けられているのか分からなかった。

 けれど、シーリングライトが点いて、正面に置かれたホールケーキの上に飾り付けられていたチョコプレートの文字を読んで、ようやく理解する。


「あ――ありが、とう」


 そうか、今日は俺の誕生日だった。


 朝なのでクラッカーはないものの、その心意気だけで十二分に嬉しい。

 誕生日が夏休みの中盤だと、祝ってくれるのは親父くらいだったから、こうして大人数で誕生日会をやるのは久しぶりだ。中学二年以来か。


 だから、どうすればいいのか分からなくて。


「本当に、あり、がとう」


 感情が行動を越えて、少しだけ声が湿り気を帯びる。その様子を笑うでもなく、共になくでもなく、ただ微笑んで彼女らは見ていた。

 

 生きていくことが、後ろめたくなる時がある。

 誰かを傷つけてしまうのではないかと、そう思う。そして、きっとそれは間違っていない。この先いつか、誰かを傷つけてしまう時が来るのだろう。


 だったら、生まれたくはなかったと、そう思っている。


 それでも。


 それでも、誰かがこの生を肯定してくれるのは。


「ああ、嬉しいよ。ありがとう」


 そう言って、ようやく笑った。





 

 人は恋をする。

 それは性欲と独占欲と承認欲求をラッピングしたものであっても、とにかく人は恋をする。

 

 そんな「あたりまえ」のことが、俺には出来ない。

 それでも。

 自らよりも誰かの幸福を願い、誰かの幸福のために考え、誰かの幸福のために行動をすることを「愛」と呼ぶのだとしたら。



――俺は、誰かを愛することが出来たのかもしれない。

 


 一つ、また一つと、ロウソクに火が灯されていく。



 ただひたすらに、穏やかな時間が流れていく。


 動き始める街の音、独特なロウソクの燃える香り、ロウソクの火でぼんやりと浮かび上がる彼女たちの微笑、そして――右手に重ねられた、ミササギのしなやかな手のひらの温度。



 きっと、いつか遠い未来で、自分の人生を否定しそうになったとしても。

 今日この日だけは、否定することはないだろう。







 そう思って、俺は穏やかに揺れるロウソクの火に息を吹きかけた。

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世界は愛で満ちてたっぽい。~脳天狙撃から始まる反青春ラブコメ~ 浜野 蒼平 @sohei-hamano

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