第42話 夏といえばの水着回(後編)


「先輩、先輩」

「どした」

「……黄色い方が勝つわ」

「全部黄色いけどな」

 

 時刻は昼過ぎ、本日最大のビッグイベントの時間である。

 よみうりランドの流れるプールでは、『アヒルちゃんレース』というイベントがある。内容は簡単、水に浮くビニール製のアヒルのおもちゃを買って、裏に名前を書く。それを係の人が流れるプールにぶちまけて、ゴールに着くまでの速さを競うのだ。賞品もある。


『おおっとォ! ここで先頭集団に波乱の予感だぁ!』


 実況の弾むような声に続いて、無慈悲な子供たちによってコース横から水が斉射される。このレースはただのーんびりとアヒルが流されるわけではなく、数々のステージギミックによって波乱の展開になることもしばしば。まあ、自分のアヒルどれだか分かんないんだけどね。


「いけっ、私のインディペンデンス!」


 なんか、小惑星片に衝突して墜落しそうな名前だ。


「亮はアヒルの名前何にしたんだ?」


 微妙な名前を付けていたミササギが俺に問うた。そういえば何にしたっけな。


「ん、俺は……メガネイイヨネとかそんな名前だ」

「え、ダサ」

「競馬の馬だってこんな名前じゃんか……」


 ディープインパクトとかの名前はカッコイイが、それ以外はなんとも言えないのが多い。


「佐山はどうなの」


 隣で座っていた彼女に問う。友人のギャルたちはステージの方に行っているらしく、再びの合流だ。仲直り出来てないのではとも思ったが、彼女らはお互いのやりたいことを最優先にする、という流儀があるらしい。お互いの意思が貫けるいい関係だと思う。


「……笑わないでくださいね?」

「笑わない」


 多分。と心の中で付け加えておく。


「トウニュウコーヒーマークツーです」

「ぶはっ」

「笑わないって言ったじゃないですか⁉」

「す、すまん……ふっ」


 予想外すぎる。豆乳コーヒーどんだけ好きなんだろう。それよりマークワンの存在がすんごい気になる。

 顔こそそっぽを向いているが、ミササギの肩も微かに震えていた。やり取りを微笑ましそうに見ていた久瀬先輩も視線を若干逸らしている。


「大丈夫よ、私のも変な名前だから」

「どんなです?」


 佐山のどこか期待するような問い。


「FA●ZA」

「……?」

「どういう意味だ久瀬先輩?」

「とんでもねえので言わんでいいですよ先輩」


 FAN●Aとは、簡単に言うとえっちなゲームとか本とかビデオとかを扱うサイトである。当然ながらミササギと佐山は頭に疑問符を浮かべていた。そりゃそうか。というか最早下ネタに慣れてきた自分が恐ろしいぜ。


「あら、なんかJAXAとかNASAみたいでカッコよくないかしら?」

「案外納得できちゃうのが怖いっすね……」

「なあ亮、FANZAってなんだ?」


 ミササギさん、さっきから後ろの人がプルプルしてるからそういうの言わない方が良いですよ?


「あーっとなあ………」


 耳元で教えようとすると、


「ひゃうッ⁉」


 艶めかしい悲鳴が零れた。びくりと身を捩らせるミササギ。……耳、弱いのか。

 ミササギと目が合って、彼女は咳ばらいを一つしてから耳を寄せた。


「……F●NZAってのはだな」


 耳元で話しかけていくうちに、ミササギの顔がみるみる紅潮していくのが分かる。一通りの説明をして、彼女がうつむいたかと思うと脇腹から鈍い音がした。


「ごふ……ッ⁉」


 彼女の拳が俺の脇腹を穿つ。わざわざ説明したのになんでだよ、とそんな疑問を抱く俺はさておいて、レースは終盤に差し掛かる。


『最終コーナーに差し掛かるアヒルさんたち! いいや、これは――』


 実況のお兄さんの声に続いて、何やら聞き覚えのあるモーター音。見れば、空からドローンが降下してくるところだった。最近ドローン流行ってるんですかね。


『ドローンです! アヒルさんたちはどうなってしまうのかー!』


 そんなことを思いながら思いながらプールの対岸に視線を向けると、見覚えのあるWLAのメンバーがコントローラーを握って立っていた。腕にスタッフの腕章を付けている。


「……あいつらバイトしてんのか」


 名も知らぬ彼ら――ドローンパイロットとでもしておく――は卓越した操縦技術でドローンに水面すれすれの曲芸飛行をさせる。水面を跳ねるようなその動きに魅了された観客が沸いて、クライマックスに相応しい盛り上がりになっていた。

 二機のドローンが時に編隊を組み、時に個々でアクロバットをする。その操縦技術は素直に尊敬できる。あんなのに狙われてたと思うと少しだけ背筋が涼しくなった。


『あっと! ここでドローンからの攻撃だぁッ!』


 機体下部につけられていたボックスが落下、水しぶきと共に波が立って、転覆するアヒルも何匹かいる。順位変動により盛り上がりもひとしおに、役目を終えたドローンは帰投していった。おつかれさん。


「差すんだ! インディペンデンス!」

「……がんばれーメガネイイヨネー」

「お兄さん」

「ん?」


 ミササギと久瀬先輩がレースの行方に気を取られているところで、佐山が俺の肩をつんつんしてきた。長い爪が刺さって若干痛い。けれど、それ以上に呼ばれ方に違和感が残る。


「どうしたよ、お兄さんって」

「いや、別に…………智咲ちゃんと、どうなのかなって」

「……え?」 


 智咲、いや、俺の妹なのは間違いないが、ここでその単語を聞くとは思わなかった。予想外の言葉に一瞬思考が滞って、沈黙を催促とみたか佐山が言葉を継ぐ。


「私、中学のころ智咲ちゃんと同じ部活だったんです」

「……まじか、知らなかった」


 彼女の視線は、レースの行方でも、プールの水面でもないどこか遠くに向けられていた。

 ふと、考えてみる。両親が離婚したのが三年前。智咲は小学六年生で、それ以来は先日会うまで空白期間だ。その空白期間を、佐山は知っている。


「どうだった、智咲は」

「いい子でしたよ、お兄さんが羨ましいです」

「……そっか」


 そんな智咲を一度殴ったという罪悪感が、胸の奥に引っかかる。忘れられるはずもないし、忘れる気もないけど。


「まあ、私が彼女と過ごしたのは一年だけだったので、そこまでたくさん覚えてるわけじゃないんですけど、今でもたまに連絡とってるんですよ」

「あ、じゃあ――」


 俺にも教えてくれないか、と言おうとして、やめた。そんな資格はないだろうし、何より彼女は新しい生活に踏み出したのだ。それを邪魔してはいけないだろう。


「いや、何でもない」

「そうですか」


 佐山も察したのか、それ以上の追及はしなかった。


「そういえば、中学時代の部活って何だったんだ?」

「…………吹奏楽部です」

「マジか」


 意外だ。

 バレーと吹奏楽って、わりと対局なジャンルにある気がする。吹奏楽では指が命だが、バレーだと突き指のリスクがあるのだ。すぐに辞めたとはいえ、吹奏楽からバレーに転向したことは何か意味があるのだろうか。


「智咲ちゃん、頑張ってましたよ」

「……そっか」


 言われて、ふと気づく。

 吹奏楽部の費用は、かなりの額だったはずだ。

 コーチ代、楽器代、楽器メンテ代、楽器をコンサート会場に運ぶためのトラック代、さらに合宿なども含めれば、全部活動の中でも頭一つ出た費用の高さ。

 そんな金のかかる部活を、あの母親が許すだろうか?


「一年で退部しちゃいましたけどね」

「………………そっか」


 答えは、図らずとも佐山が告げた。

 あの母親は、世間には疎いから費用のことなど把握していなかったのだろう。


『ゴーーーーール!』


 思考を断ち切る割れんばかりの拍手。どうやらレースは決着したらしい。会話の流れが途切れたのもつかの間、結果発表に入ったことで事態は大きく展開する。主に悪い方に。

 一位には遊園地のフリーパス、二位にはプールの入場券など、なかなか豪華な景品が与えられる。五位まで商品がもらえるのだが――。


「三位、ミササギさんです! おめでとうございますっ!」

「……まじか」

「やった! やったぞ亮! インディペンデンスがやったぞ!」

「……おめでとうございやす」


 それにしても、結構な確率なんじゃないだろうか。ぱっと見で百匹以上は出場しているレースの中で、五位に輝くとは。なかなか強運。


『商品は、なんと! よみうりランドのジェットコースター乗り放題ペアチケットです!』

「おぉ! ……おお、お?」


 ミササギがこっちを見た。なんか、嫌な予感がする。


「…………乗らないぞ、俺」


・・・


「ふふぇ、ふふふふふふふぉっふぉふぉふぉぅぅ⁉」

「すごいな! このバンデッドって!」

「ふふふっふぉふぉふぉふふへへへえ」


 一時間後、無事にジェットコースターに乗せられましたとさ。めでたくない。

 そう、問題は「ジェットコースター『乗り放題』『ペア』チケット」というところにある。佐山はギャル友と遊ぶだろうから押し付けれず、久瀬先輩は「高所恐怖症なの」と断られてしまった。東寺と橋野は観覧車に向かい、取り残された俺。


「よし、亮。二周目行ってみよう!」

「……シテ……ユルシテ……」

「男気を見せるのよ東山くん、あなたが今まで無駄にしてきた精●のためにも」

「本当にユルシテ」


 そのあと、結局五回乗って平衡感覚を失った。

 まあ、身体を張った分だけミササギが喜んでくれたので良しとする。二度と乗らないけどな。絶対だぞ、絶対。

 

 そうは思っても、いざ帰るとなると寂しさが残るのが遊園地。

 心地よい疲労感と、日焼けでひりつく肌。夕暮れの気配が一歩ずつ近づいてきて、歩く影が長く伸びる。穏やかな風が頬を撫でて、それを見送るように振り返って遊園地の方を見やる。

 遊園地。それは少年時代の、あるいは純真無垢な憧憬のメタファーであるのかもしれない。

 沈んでいく太陽の残滓を浴びて、観覧車のゴンドラが輝いていた。ふと、両親と手を繋いで歩く女の子の姿が目に留まる。それはまるで幸せな家庭だった。

 優しく流れる園内BGMがどこか物寂し気に流れる。

 


夏は始まる。けれど、俺の時間はいつまでも止まったままだった。

 

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