第16話 久瀬由香はモテるっぽい(その2)

 昼休みの終わりを告げるチャイムが響く。


 五分後に午後の授業が始まるわけだが、どうしたものか。


「ええ、だからイチャイチャしてる画像を消して欲しいんでしょう?」

「い、イチャイチャなんてしてない! ……してないです」

「そう? ではあの画像、消さなくてもいいのかしら?」

「そ、そういうわけでは……」


 こんな感じで、さっきから話が全く進んでいない。


「あの、先輩」

「どうしたのかしら、東山君? あと久瀬でいいわよ?」

「んじゃあ久瀬先輩。五時間目始まりますんで、仕切り直しません?」


 この柔らかな口調で話す先輩が、さっきのセリフを放ったとは思えない。あんなド下ネタをぶち込んでくる――ド下ネタ?

 そこで、ふと意識が滞る。

 ド下ネタ、優し気でおっとりとした声音、そして何より、俺の名前を知っている。


「うーんと、今日の放課後空いてるかしら?」

「俺なら、基本的に空いてますけど……ミササギも空いてるだろ?」


 ミササギに聞くも、どこか不機嫌そうな顔でこくりと頷く。

 まぁ、彼女としても俺とカップルに見られるのは嫌なんだろう。ましてや現在、サイトに画像をさらされている状態である。


「ええ、そういうことなら。また放課後、来るわね」


 そう言って、嵐の元凶である先輩は教室を出ていった。


・・・


 リア充撲滅同盟公式サイトのトップに、俺とミササギの遊園地デート風画像を貼ったのは彼女なのだという。


 となると、久瀬先輩はWLA側の人間なのだろうか。


 拭いきれない既視感が思考を押しとどめる。

 昨日、下校の際に目撃した告白を受けていた女子生徒の像が、久瀬先輩と重なる。

 茶色交じりの長い髪、柔らかな声音、少し大きめの胸。遠目にしか見えなかったが、それでも十分彼女を判別する材料たり得た。

 あと、きつめの下ネタ。


 リア充を作る側の人間なら、ああまでしてこっぴどく振らないはずだ。


 思考が、迷宮のさらに深い所に入り込む。

 既視感はそれだけではない。昨日の告白以前に、彼女と何か接点があったはずなのだ。

 いくら考えても思い出せない。

 しばらく唸っているうちに、SHRが終わる。


 まぁ、この後あった時に直接聞けばいいか。


 カバンを背負って立ち上がり、地学準備室へと向かう。その途中でミササギと出くわした。


「東山、久瀬先輩なんだが……」

「ん?」

「あの先輩、どっかで会ったような会ってないような……そんな気がするんだ」

「あぁ、昨日の以外にもか?」


 うん、と彼女は首肯する。

 どうやら、彼女も俺と同じく謎の既視感があるらしい。

 下ネタ、おっとりとした口調――そして、俺の名前を知っている。


「…………あー、ミササギ、俺分かったわ」

 

・・・


 久瀬由香が地学準備室に入ってきたのは、俺たちが地学準備室に来てからしばらくしたころだった。

 備え付けの電気ケトルで沸かしておいたお湯で紅茶を入れ、久瀬先輩の前に置く。


「……どうしてここに来たのかを、まだ聞いていませんでしたね」


 ミササギは俺の横に座り、ローテーブルをはさんだ向こう側に久瀬先輩は座っている。

 久瀬先輩が放つほんわかとしたオーラとは裏腹に、地学準備室の空気は重い。将棋の対局直前のような、張り詰めた雰囲気だ。

 雲に太陽が隠れたのだろう、一気に光が窓に吸い込まれ、地学準備室内がふっと暗くなる。体感温度が急激に下がった。


「依頼、ということになるのかしらね?」

「……依頼なら依頼で、要件を言ってください、久瀬先輩」


 ミササギの声音は突き放すように冷たい。言葉のナイフ、というのはこういうことなのだろう。明確な敵意が、冷ややかに伝わってくる。


「ふふ、そう焦らないの。焦らされるのを楽しむのも恋のうちよ? コンドーム着ける手間を惜しんだら楽しめるものも楽しめなくなっちゃうかもでしょ?」


「恋じゃないしヘンなこと言わないでください」


 ミササギもある程度は下ネタに動揺しているはずなのだが、それを悟らせまいと必死に表情を保っている。けれど、心なしかカップを口に持っていく回数が増えていた。 


「……あの、先輩? そもそも、なんでサイトのトップをあの画像に?」

「うふふ、君もあるでしょ、好きな女の子の名前の後に「エロ」って打ち込んで検索したこと」

「ねぇですよそんな経験……」


 そもそも恋できないので好きな女の子がいない。あとミササギ、ジト目やめて。


「そもそもそれとコレ、何の関係があるんすか」 

「言いたかっただけよ?」

「…………ふざけてるんでございますか先輩……?」

「ふふふ、大真面目」


 んなわけねぇだろ。

 ミササギは諦めたようにため息を一つ。それをピリオドに、しばらくの間沈黙がもたらされる。

 その間にも彼女は笑みを崩さない。張り付いたような、いつもと寸分変わらない笑顔がそこにはある。高級デパートにいる係員のように、訓練された人当たりのいい笑顔だ。

 何か聞き出そうとしてもはぐらかされるので、あえて遠い話題を出してみる。


「…………久瀬先輩。あなた、もしかして無線に詳しかったりします?」


 突然の問いに、不意を突かれたらしく完璧な笑顔が揺れる。


「……どうして?」

「そこで否定せずに理由を聞いたら、八割五分で確定でしょうに……」

「先輩、あなたがそんなに下ネタを使うからですよ」


 俺の言葉を代弁したのはミササギだった。

 ミササギと俺が共通の既視感を覚え、おっとりとした口調で、下ネタを使う。

 それだけでは完全な証拠とは言えないが、ここに「他人のサイトに侵入し、画像を差し替えることが出来る」という情報を加えると、ある状況が思い出される。


 屋上からポッキーゲームをするカップルを狙撃する作戦。


 すなわち、俺の初仕事である。

 あの危機的状況下で俺が逃げ延びることが出来たのは、無線に割り込んできた人物の誘導があったからだ。

 それに加えてドローンの乗っ取り。

 無線とサイトという違いはあれど、「ハッキング」という行為に近い。


「うーわー、バレちゃったかー。女の子の服はゆっくり脱がせるものだゾ」

「意味わからないし気まずくなるからやめやがってください」

「……」


 ミササギさん、女の子は笑顔が一番ですよ? 圧倒的な無言の圧力やめてちょいたいいたいいたい。

 じっと見てたらつねられた。案外痛い。きっと成人したら有料オプションなんだろうなぁ、いくらなんだろう。五千円くらい?


「……で、先輩の依頼って、結局なんなんすか?」

「うーんとね、分かりづらいとは思うんだけど」


 簡単にいうとね、と彼女は少し笑みを深める。



「私のメンツ、潰してほしいんだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る