第2話

 漆黒の呪文が唱えられる。

 言葉の奥底に眠る上級日本語の羅列は、耳慣れしていないせいか、放たれる言葉の一つ一つを丁寧に咀嚼そしゃくしなければ意味を読み取ることができない。

 日々、何気なく使っているはずの日本語がここまで難しいとは。

 いや、彼女の授業が難しいだけかも知れない。

 予備校の受講生を集めるために、開校前のお試し授業。開校授業を行っている。その最初の授業はうつつによる現代文。彼女の授業は厨二病をこじらせている。

 配られた資料もとても痛い。

 ホワイトボードに書かれた文字もとても痛い。

 見てるだけで、なぜこんなにもダメージを受けているのだろうか。心が痛い。

 受講生がこの授業に嫌気をさしたら、一浪してもここに通うことにしないだろう。そうしたら、ここの予備校は成り立たなくなる。

 見ている内に不安に押し潰されていく。目をつぶって神に祈っていた。頭の中では厨二病単語が念仏のように流れていく。


現「授業の終焉しゅうえんだ。最後に、我から伝う事がある。皆には隠していたが、我は何とを所持しているのだ」


 普通ならざわつく気がするが、受講生は何一つ気にしていなかった。まあ首尾一貫しゅびいっかんしてそのキャラを貫いているからだろう。何も疑問に思わなくなっているようだ。


現「その能力は「夜空シャドウ北極星ポラリス道標エドゥ」我が導きで標を成就させよう。だが、それには明天あすに通い続ける必要がある。もし眼前の巨壁かべに挫折したが、先の標を諦めきれない時は、我が口授くじゅを思い出せ。いつでも明天あすはここで待っている」


 真っ暗闇の中で唯一目に見える明るい星。その星は北極星。その星に向かって進めば迷わずに歩ける。そんな星と自分を重ね、受講生の道標となることを宣言したのだろう、と推測した。

 授業の終わりが告げられる。

 アンケートが配られ、それを埋めた高校生から休憩時間及び帰宅することを許される。

 現はその場を離れた。彼女を追いかけて歩幅を合わせて歩いていく。

 眼帯や装飾品を外しながら歩いている。


愛知「お疲れ様です。個性的な授業でしたね」


 とりあえず、批判なども含めて「個性的」という言葉でまとめくくった。


現「ええ。そうしないと授業が上手くできないので……。コスプレすると不意に力が湧いてくるんです。恥じらいとか緊張とか、そんなもの吹き飛んでしまうぐらいに」


 コスプレすると人格が変わる。そんな感じだろうか。


現「今思い返せば「夜空シャドウ北極星ポラリス道標エドゥ」なんてすっごく恥ずかしいです」


 頬を赤くしじらう。お酒の席で羽目を外して、次の日の朝に酒の失敗を後悔したような雰囲気。顔を両手で隠す仕草が忘れたい後悔だと気づかせる。

 しかし、脳内でお酒の失敗と重なっていたからだろうか、すぐに笑い話に変えようとする自分がいた。


愛知「けど、かっこ良かったですよ。その異能力だって、普通思いつきませんから。よく思いつきましたね」

現「それはずっと思ってたからなんです。一応、大学時代に教職取っていたんですけど、教師を目指すときに「教育」とは何か考えたことがあって……」


 階段を降りていく。不協和音のように足音は重ならない。

 窓から射し込む光を浴びる階段を踏みつける。後ろを振り向けば自分をかたどった影が映っていた。


現「私にとって「教育」は、"一足先に社会を生きる先輩として、彼らの道標になって導くこと"だと思っているんです。私は受講生達を合格に導く存在になりたいんです」


 事務室へと入っていく。せっかくの外からの日差しをカーテンが遮っていた。外の光に負けじと天井の電球が発光している。

 強い意志がミシミシと伝わってくる。

 机に装飾品などが置かれていた。その様子を見ながら口を開いた。


愛知「つまり「先生」としての教育だね。人生のきた者として、子ども達の道標となる。社会について教えたり、彼らの将来のために上から引っ張ったりする。そんなカテゴリ。旧友に似たのがいたよ。その心意気、とても素晴らしいと思う」


 心の中で採用を決めている自分がいた。今は落第点でも数年後にはきらめく講師に成長しているだろう。成長を考慮こうりょして彼女は及第点だ。採用に値する。

 カーテンを開く。その先に輝かしい未来が見えた気がした。


愛知「午後も活躍を期待してるよ」


 あと腐りなくその場から離れる。次は英語の授業だ。来た道を戻る。

 定年退職した元高校英語教員。

 彼女なら期待できる。胸をふくらませて階段を登っていった。

 教室のドアを横にずらした。

 一人寂しく蛍光灯が着いている。窓の隙間から吹く風が優しく流れ込む。


愛知「な、なんじゃコリャ!」


 思わず口から言葉がこぼれ落ちた。視線など感じない。いや、感じる方がおかしい。その教室には誰一人いないのだから。

 閑散とした教室。その様子を見て頭の中が白くなっていく。

 もしかしてさっきの授業で最低の烙印らくいんが押され、みんな帰ってしまったのか。そうなれば最悪の場合、予備校破綻になる可能性が高くなる。


愛知「嘘だ……ろ?」


 そう呟くしかできなかった。

 無人の教室の中で一人唖然あぜんと立ち尽くしていた。

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