エビフライの憂鬱

 エビフライは、千切りキャベツの横に添えられながら、ため息をついた。別にキャベツの横が気に食わなかったわけではない。キャベツは長野県産の新鮮なものであったし、その千切り具合も彼の好みに合うものだった。

 彼のため息は、千切りキャベツの横に添えられたことが原因ではないことは分かった。では、くし切りにされたレモンが芳醇な香りを放っていることに、その要因を求めることができるのだろうか。彼はその香りに安らぎを感じることはあったとしても、気持ちの落ち込みにつながることはなかった。

 では、タルタルソースに問題があったのだろうか。ソースはまたとない出来栄えであり、エビの食材としての素晴らしさを殺すことはなかった。そのことをエビフライである彼は十分すぎるほど理解してたし、感謝の念さえ持っていた。

 では、ため息の理由はなんであろう。それを端的に書き記すには、エビフライの内面は複雑かつ繊細であり、筆者には役不足だが、敢えてそれを行うのであれば、彼は腰の曲がりにいささかの不満を持っていたのであった。賢明なる読者ならば、海老の腰が曲がっていることは周知の事実であり、おせち料理の中では長命の象徴とさえなっていることを容易に思い出せるであろう。

 彼のエビフライも、自分自身に生来備わっている遺伝的素質はもとより受け入れてはいたのだけれど、それでもなお腰が数学的直線を示すことを願っていた。否、このように記すと海老として生を受けた時から、常に今日まで腰が屈曲していることに、哀しみを抱いていたように勘違いされるかもしれないが、彼がその願いを心に抱いたのは、180度のオイルにて、第二の生を受けた時であった。

 彼の体は高温状態で揚げられる、もしくは茹でられる時、その屈曲の度合いを強くする。そのため、料理人は腹に軽い切れ目を入れることにより、その度合いを軽減する。彼の望みである芸術的直線にすることも、この行為により可能であった。彼は、フライにされることにいささかの後悔はなかった。強い者に食べられることは、弱肉強食の世界に生きる以上は、常に可能性として存在していた。エビは、食う者も食われる者も見てきたし、自身も食うことで命をつないできた。人間に調理され、食されるというのは想定外のことであった。しかし、それもまた弱肉強食のルール内で起きたことであり、想定内だとも言えた。

ただ、せっかく油で熱されるのであれば、ついでにこの曲がった背中を伸ばして欲しいと思ったのだ。エビの背中は丸まっている。それが伸びたとなると、自然ではない。しかし、自然ではないことに憧れを持つのは、誰にでもあるはずだ。エビは、自分の中に隠れていた欲求、いや、新しく生み出された期待が実現して欲しいと、受動的に望んだのだ。

 エビにとって、残念なことは彼を調理した者が、エビフライに初めて挑戦した者であったということだ。その料理をした者は一人暮らしを始めたばかりの男で、海老の腰を伸ばすという技術について無知であった。普段から料理をしているわけではなく、彼女に対して少しでもいいところを見せようとし、彼女の好物というエビフライを作ることにしたのだ。

 エビフライは自分の腰が曲がっていることに対して、ため息をついている。そんなため息は人間たちには聞こえることはない。人間の女が甘ったるい声で喋っているのが聞こえてくる。

「すっごーい。まーくんが作ったの。エビさんの背中が丸まっているのも、かわいい」

「あーちゃんがエビフライを好きだというからさ。頑張っちゃった。さあ、食べて、食べて」

 甘い、甘い、甘ったるい。エビフライは背中を少しでも伸ばそうとした。この人間たちの愛の営みに一矢報いてやらねば。しかし、哀しいかな。曲がりは一向に改善される気配はなかった。

 エビフライは大きくため息をついた。くし切りにされたレモンの香りが、辺りにうっすらと漂っていた。

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