秋祭りの妖精

蜜柑桜

秋祭りの妖精

 あるところに、大海から妖精が移り住んだと噂される、緑濃い森に囲まれた国がありました。城下に立つ時計台を中心に、東と西に塔を持ち、雪を冠した北山からは、清らな川が流れます。

 妖精は木々を繁らせ、その息吹で種子たねから双葉を目覚めさせ、秋には溢れんばかりの収穫をもたらします。恵みは人を笑顔にし、互いに手を取り合って、新たな絆が生まれます。

 そうして毎年この国は、実りと出会いを繰り返し、永らく栄えてきたのです。


 いつしか始まる感謝の祭。

 舞子の拍子と歌声は、山車とともに街を抜け、

 朝日の昇る東の塔から、時計台のある市場を抜けて、夕日の沈む西の塔へ。

 今年の恵みと新たな出会いに皆で感謝を送るのです。


 季節は秋。紅葉の秋。実りの秋。祭りの秋。


 昔話にちなみまして、町娘の扮する「妖精」が、新たな出会いを祈ります。

 朱く色づく紅葉を渡し、尊い絆を結ぶのです。


 そんな小さなまじないすらも、信じたくなる祭りの日。


 さあ祭の始まりです。

 豊穣祭の始まりです。


 ***


「まったく……祭なんてなぁ、楽しいのは子供やお偉いさんだけじゃないかっての」


 豊穣祭当日、荷馬車の手綱を握り目の前に見える城下町を睨んだ男は、恨めしそうにひとりごちた。

 郊外から出てきた男は林業を営む者で、日頃から城下に材木と、収入の足しにするための木製の手工芸品を市に売りに出てくるのだった。しかし今日の荷物は普段より五割増である。国一番の祭りである豊穣祭ともなるとその活気は常と比較にもならない。腰に手を当て仁王立ちになった妻の姿が脳裏によぎる。


 ——いいかいあんた。豊穣祭の売り上げが冬の生活にかかってるんだからね!


 自分は翌日の商品の準備をするからと家に残った妻であったが、荷台の八割は売ってこないと家には入れないとでも言う形相で、思い返すに恐ろしい。


「働き人にとっちゃ祭なんてないほうがよほど楽だよ、妖精さんよ……」


 昔は豊穣祭の日に町娘一人が扮する「妖精」に選ばれるほどの器量の妻である。その紅葉を贈られた者は幸せになれるというまじない通り、男性は紅葉を受け取り夫婦となったのだが。いまや家計を切り盛りする妻は仕事に容赦のかけらも無い。しかも今年は三つの歳になる王女が妖精として初参加だから、人出も多いと凄まれた。


 ——あの頃はあれもしとやかだったはずなのになぁ。最高の祭りどころか最低の祭りだぜ。


 いつもより重い荷台に馬の足も遅い。急がねば市場の開場に遅れてしまう。


「う、うおっっ」


 焦りに馬を走らせようと鞭を降ろした男は、目の前に飛び出した影に馬上で姿勢を崩した。


「いきなり飛び出すな! 危ないだろうが!」

「ご、ごめんなさいっ」


 転んでへたり込んだのは幼い少女だった。機嫌の悪いところに道行を邪魔され、しかもそれが自分の苦手とする子供とあっては怒鳴りたくもなる。しかし少女はえい、と立ち上がると、心細そうに馬上を見上げてきた。


「あの、おじさん、東塔ってどっちの方向?」

「なんだお前迷子か。東塔ならこの道まっすぐ市場の向こうだよ。ほらそこ退けや。急いでるんだ」


 ふわりと風に揺れる少女の衣は舞に参加する子供の装束だ。浮かれて歩いて来たのだろう。保護者は何やっとる。少女が脇に逸れて視界から消えると、男は悪態をつきながら再び馬に鞭打った。


「わきゃっ」

「うおわ、小娘何やっとる!」


 小さな叫びに瞬発的に振り返ると、先の少女がいつの間にか荷台に乗っていた。


「おじさん、荷車なら市場に行くでしょう?」

「あ、あぁそうだが」

「お願いします、市場まで乗せてくださいな」

「なっ……?」


 何を言ってるさっさと降りんか、と喉元まで出掛かり、男は口をつぐんだ。みんな行っちゃったの、と期待いっぱいの眼で迷子と思しき子供に見られては断れない。


「市場までだ。市場についたら即降りるんだぞ」


 こっちはすぐ売り物を整理して店の用意しなきゃならないんだからな、と厳しく言い捨てたつもりだったが、少女はぱっと紅葉色の眼を見開き嬉々として礼を言う。子供は得意じゃないのだ。大人の忙しさも知らんでまったく。

 市場まで話すまいと男は前に向き直った。ああ空が青くて清々しく、紅葉の朱が嫌味ったらしく映える。祭の舞なんぞあるからこんな……

 頭の中で文句を並べつつ進んでいると、後ろで何やら木がぶつかり合う音がする。そしてどうも馬の様子がおかしい。何かと振り返り——男は怒鳴った。


「こらぁ小娘! 品をいじるな!」


 なんと少女は荷台の商品を動かし小さな木片を左に大きいものを全て右に固めたため、均衡が崩れて台車が斜めになっているのだ。ところが少女は意外そうに眼を丸くした。


「ああっだめ? おじさん、売り物のしなきゃって言ってたから……おてつだい……」


 首を傾げて言う様は悔しいが愛らしく、反論出来ない。


「そう、だが、なぁ。今じゃない今じゃ。馬が歩きにくいから片方にでかいのばっか寄せるな」

「そうなの? ごめんなさい!」


 合点がいった、と笑われては毒気も抜かれる。なんだこの子供は。

 少女は再び荷物を動かしだすと、今度は休みなく質問を畳み掛ける。


「この白いの何の木?」

「そいつは白樺」

「これは?」

「栗」

「つるつるのは?」

「楓だ。ヤスリがけしてあるからだよ」

「へえおもしろい。この箱は? ぴかぴか」

「薬塗ってあるからな」

「あっ、これ葉っぱのかたち」

「彫り物か。俺が彫ったんだ」

「うそ、すごい! この天使も?」

「まあな」

「おじさん魔法使いみたい! こんなきれいなのはじめて!」

「だろ。小娘、見る目があるな」


 男は木彫りに関してはちょっとした腕前だった。こう褒められては口元が緩む。いらついていたはずなのだが、次々に浴びせられる質問についつい鼻が高くなる。いやいや、とんだ荷物に仕事が邪魔されたと思っていたはずなのだが。

 しかし少女の親は何処にいる? 探し回ってるんじゃないのか。早く見つけてやらないと。


 気づけば荷馬車は城下の道に入り、辺りは祭に活気付いてきた。木の枝を編み込んで作った輪が家々の扉にかけられ、街路の木々を花々が彩る。一つ向こうの通りでは川の流れる音が涼やかだ。秋も深まり、祭り日和か。

 こいつは確かに客も多そうだ。下手な拾い物で道行きが遅くなったが、少女のはしゃぎようからしても品は早く売れそうだ。妻の不機嫌もなかろう。

 そう予想して胸を撫で下ろすと、前方に祭を取り仕切る役人が見えた。丁度いい。彼らに少女を預けて親を探してもらおう。こっちも市に急げる。


「おい小娘。降りてあの人たちにお前の父さん母さ……」


 振り返って言いかけ、男は絶句した。少女がいないのだ。

 まさか落ちたのか? 全身の血がざっと引く。だが車の後方に少女は見えないし、落ちたら悲鳴か何かあげるだろう。どくどく胸が高鳴るのを感じて馬を飛び降りあたりを見回す。荷車の下敷きになっていないのに安心したが、前には勿論、後ろにも気配はない。横道に転がったかと右手に頭を巡らせる。


「っと、あいつどっち行きやがる!」


 なんと少女は、服の紐を後ろに靡かせてとてとて横道に走り入り、一目散に向こうの川を目指してまっしぐらではないか。


「ったく、こら待て!」


 これだから子供は、と舌打ちして叫ぶが、少女は止まる気配もない。それどころか川に近づくにつれ、走る速度が増している。


「あぶなっ!」


 ずべっという音と共に川のすぐ縁で少女がつんのめり、男は地を蹴って腕を伸ばしながら身を投げた。


ってぇ……おい、なに馬鹿やってるんだ!」


 水に落ちるすんでのところで少女を抱きとめ転倒した男は怒鳴りつけた。しかし腕の中の少女はすくっと身を起こすとほうっと息を吐き、嬉々として腕を掲げる。


「よかったひろったぁ」


 太陽に向けて上げられた小さな手内には、男が祭の花飾りを彫り込んだ丸い飾り板。


「ころころ転がってっちゃうから落ちちゃうかと思った! はい、おじさん!」

「こ……これを追いかけたのか?」

「うん! こんなきれいなの、川に落ちなくてよかった」

「っ……ばっか小娘、自分が落ちたらどうすんだ!」


 安心と驚きに脱力する男に少女は満面の笑みで飾り板を渡した。そして男の背後を見上げ「兄様!」と顔を輝かせて立ち上がった。


「よかった見つけた……」


 肩で息をして立っていたのは恐らくそれなりの家らしい身なりの顔立ち美しい少年だった。少女によく似た蘇芳の瞳である。


「あんたが兄さんか……御転婆娘さんにたっぷりお説教しといてくれや」

「すみません、御迷惑を。ほら行かなきゃ、ご挨拶して」

「はい! おじさんありがとうございました。あ、そうだこれ」


 ぴょこんと頭を下げると少女は髪に留めた花飾りを外し、そこから大きな紅葉を抜いて男の手に乗せた。


「今日のお礼に。この一年、幸せが降りますように」


 それは祭の妖精が言う、まじないの文句。

 少女が優雅に妖精役の礼を取る。男の妻がその昔、祭の日に見せたものと同じだ。


「私からも御礼申し上げます。貴方と御家族に幸せが降りますように」


 駆け寄る少女の頭を撫で少年も男に会釈する。山車に遅れるので、と微笑むと、二人は勢いよく表通りに走って消えた。


「……ああ、えーと、てことは?」


 掌には、朝焼けの燃えるがごとく鮮やかな紅の葉。

 祭の日に一人だけ選ばれる「妖精」の魔法の贈り物。


 ——こいつは、とんだ妖精を拾っちまったもんだ。


 これだから祭りってやつは。遠い昔を思い出し、男は紅葉を空にかざした。

 帰ったら押し葉にして手製の木枠に飾ろう。昔、最愛の人に貰ったそれと並べて。

 きっと妻も喜ぶはずだ。


 陽を透かして光る紅が眩しい。

 あの娘の舞を見るのなら、今年の祭の仕事は常と違って楽しくなりそうだ。


 ***


 季節は秋。紅葉の秋。実りの秋。祭りの秋。


 森に住まう妖精は、国の豊かな恵みを与え、

 笑顔を交わす人々は、新たな絆を結ぶのです。


 今年も妖精はまた一つ、尊い絆を結びました。

 それはきっといつまでも、続いて広がりゆくでしょう。


 さあ祭の始まりです。

 豊穣祭の始まりです。


 完




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