贋作
トウヤ
1
その日はおばあちゃんの納骨の日だった。
おばあちゃんの納骨に、わたしの家族は、わたしと、お父さんとお母さんで参加した。お姉ちゃんは、模試があるということで来られなかった。従兄弟たちも、模試とか部活動とか、そういう理由で休んでばかりいて、子どもはわたししかいなかった。わたしはおじさんとおばさんたちの世間話に加わることもなく、ゲーム機を持ってくればよかった、と思いながら首を曲げて空を眺めていた。
おばあちゃんが入るお墓は、小さな野山を切り開いて作られた場所にあった。お墓に行くまでに昇る階段はとても段差が多く、大人たちは苦労していた。わたしが一段飛ばしで駆け上がると、おばさんが、絵美ちゃんは若いね、とまぶしそうな物を見るようにして言った。
空はきれいに晴れていた。風もちょうどいいぐらいに吹いていて、気持ちが良かった。わたしは模試でこの場に来ることができないお姉ちゃんのことをかわいそうだと思った。私には模試がなくってよかった。
おばあちゃんのお墓に骨を納め、線香をあげてお花を供えた後、大人達はすぐに帰ろうとせず、その場で世間話を始めた。誰々の息子さんは今年大学受験とか、うちの娘はもうすぐ嫁にいくとか、そういうことだ。私は名前を聞いても知らないひとたちがでてくるので、退屈で仕方がなかった。そのため、私は大人たちの円を離れ、ほかのお墓を見て回ることにした。
お墓は単調なようでいて、色々なバリエーションがあった。真っ黒なお墓、灰色のお墓、赤茶色のお墓、屋根付きのお墓、「ありがとう」とか、「やすらぎ」とかが書かれた、文字付きのお墓……。お墓にもひとめで豪華だと分かるものと、そうではないお墓があった。人は死んだ後でも、こうやって目に見える形で差をつけられるのだな、と思う。私はどんなお墓に入りたいだろう? 豪華すぎるのも、お墓のなかで威張っている感じがしていやだと思う。だけど、ぼろぼろのお墓も見られたときに恥ずかしいと思う。中くらいのお墓がいいなあ、と思った。それで、こんな風に黒や灰色の冷たい石じゃなくて、もっとふわふわした素材で作って欲しい。こんなところで眠っていたら、肩がこってたまらないだろう。
私はうっかりお墓を踏まないように気をつけながら、お墓とお墓の間を歩いていく。
墓場じゅうには静けさが満ちている。そのはずなのに、どこからかささやく声が聞こえてくるのはなぜだろう? わたしは目を閉じて、死んだ人たちがひそひそとうわさ話をしているところを想像した。もっと生きたかったなあ。また生まれ変わりたいな。あの女の子(わたしだ)に、なにか呪いをかけてみようかな……。
そんなふうに、お墓とお墓の間を平均台を渡るようにして歩いていると、向かい側の列のお墓から煙がたくさん上っているのを見つけた。誰かが消し忘れたお線香だろうか、とのぞき込むと、火の元は線香ではなく、人が吸うたばこだと分かった。たばこを吸っているのは、淳一叔父さんだった。
淳一おじさんは、大人達の世間話にも加わらず、墓地でたばこをふかしていたのだ。それはいけないことなのだと、子どもの私でもわかった。
おじさんは喪服だけど、黒いネクタイをしめずにポケットに突っ込んでいて、ワイシャツのボタンをひとつ開けていた。ワイシャツもきちんとズボンにおさめられておらず、舌を出すようにべろんと飛び出していた。あまり見た目がよくない。大人のくせに、だらしがない格好をしていると思った。
淳一おじさんを見て、私はお母さんの言葉を思い出す。
淳一おじさんは少し変わってるから、あんまり話しちゃ駄目よ。
淳一おじさんの仕事は、小説家だ。大学時代に書いた小説でデビューをした。そして、そのデビュー作がものすごく売れたらしい。私もその小説を読んだが、漢字が多く、話も難しくて最後まで読むことができなかった。
「『印税』っていって、本が一冊売れると、八パーセントのお金が書いた人のものになるんだ。いや、十パーセントだったかな? とにかく、売れただけその人のお金になるんだよ」
いつかの夕食の席で、お父さんは私にそう話した。お父さんは、そのときアジのひらきを箸先で器用にほぐしていた。
「おじさんの本は、ミリオンセラーっていって、百万部売れたんだ。一冊の本が大体千円くらいだとして、その十パーセントだから百円。それ掛ける百万。だから、大体一億円くらい儲けているはずだ。文庫本もよく売れてるみたいだし、実写化もされたし、本当はそれ以上もらってると思うけど……。まあ、とにかく淳一はそのお金で暮らしてるんだな」
「でも今は働いてないんでしょ」と母が言った。それは少し不満そうな声に聞こえた。
「まあな。たしかに、あいつはそのあと本を出していないから、働いていないっていったらそうかもな」
しかし、父はどこか遠くを見るような目でこうも言った。
「俺は淳一のことをうらやましいって思うんだよ。一冊本を書いて一億円だろ。そんなことできる人間、そうそういないよな。まったく、同じ屋根の下で育ったのに、どうしてこうもちがうんだろうな……」
お父さんが最後まで言い終わる前に、お母さんはかき消すように大きな声で言った。
「真面目に働いている人のほうがえらいわよ。だいたいちゃんと税金を納めてるのかも怪しい」
お母さんはそう言いながらも、わたしにご飯のおかわりを盛ってくれた。わたしが頼んだとおり、お茶碗の中にはご飯がすくなめに盛られていた。だけど、そうしながらもなお、お母さんは淳一おじさんの悪口を言いたくて仕方がないように見えた。
お母さんは言う。
「小説家なんてろくな人間じゃないわ」
それはとても冷たくて固い声だった。包丁でざっくりと切り落とし、振り返りもしてくれないような、そんな声だ。
そんな風に、お母さんは、淳一おじさんのことをあまり良く思っていないようだった。
淳一おじさんは私を見ると、たばこを携帯灰皿に入れて消していた。
「絵美ちゃん、どうしたの。つまんなそうだね」
「うん。もう、用事が終わったから早く帰りたい」
そう私が言うと、おじさんはにやっと笑った。
「そうだよな。ばあさんが死んだところで、絵美ちゃんにはカンケイないもんな。俺だってあんまり興味ないし……」
わたしはその言葉に驚く。亡くなったおばあちゃんは淳一おじさんのお母さんのはずだ。お母さんが死んで、どうして淳一おじさんはそんなに悲しくないのだろう? 少なくとも、私は自分のお母さんが死んでしまったら悲しいと感じるだろう。たばこなんて、吸わないと思う。服装だって、もっときちんとするだろう。
「淳一おじさんは大人なのに、みんなのところに戻らなくて良いの?」
「誰も俺のことなんて気にやしないさ」
そんなことないよ、と言いかけてわたしはやめた。たしかにお母さんは淳一おじさんのことを好きな風には見えないし、わたしのお母さん以外の人も、たしかに淳一おじさんのことを話題には出していなかった。どちらかと言えば、うっとおしそうにしているように見えた。わたしはそれを不思議だと思う。どうしてみんな、淳一おじさんを無視するんだろう?
「大人たちの話、まだ終わらなさそうだった?」
「うん」
お母さんやお父さんや、おじさんおばさんは話し込むと本当に長いのだ。息子の話、娘の話、わたしの話、それから市内の店が閉店した話、どこどこのおじいさんが死んだ話、おばあさんが死んだ話……それらひとつひとつを丁寧に拾い、洗っては検分し、みんなで話し、同意を繰り返す。軽く見積もって、あと三〇分ぐらいはかかるんじゃないだろうか。
「そのあいだ、絵美ちゃんヒマだろ? おじさんがひとつ話をしてあげよう」
私はつまんなそうだな、と思って断ろうとした。それに、淳一おじさんと話しているとわかったら、きっとお母さんはいい顔をしないだろう。
「そんなつまらなそうな顔するなよ。俺、売れっ子の小説家だぜ? それなりに面白い話するよ」
おじさんは昆虫の足を思わせるように長い指で、自分の目の下を掻いた。
「絵美ちゃんは、俺が小説家だってことは知ってるかな?」
「うん、知ってるよ。お父さんから聞いた」
「俺の本は読んだ?」
「読んだ。――でも、よくわからなかった」
よくわからなかった、は言わない方が良かったかな、と思ったけど、おじさんは気を悪くした様子もなかった。
「はは、そっか。難しかったか」
おじさんはたばこを消したばかりだというのに、二本目を取り出して吸い始めた。
「俺が小説家になったのは、友達のおかげなんだよ。まだ俺が学生だった頃の話なんだけどさ」
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