人狩り ~桜と最高のお祭り~

澤松那函(なはこ)

『人狩り ~桜と最高のお祭り~』

 巨大な桜が一本そびえている。

 ひらひら、ひらひら、花弁を落として眼下の古びた小屋を彩っていた。

 昼時の温かな日差しの当たる縁側には、二人の若い男が座している。


 一人の男の歳は二十の半ばか、三十路の手前に見える。

 焦げ茶の髪は、少々癖のある毛質のようだ。

 白いシャツに黒いネクタイを緩く締めており、黒のズボンと少々くたびれた革靴が旅慣れている事を窺わせた。

 男の風貌で一際目を引くのは、彼の面立ちだ。

 端正である事に加えて、鷹のように鋭い眼光と尋常ではない翡翠ひすいを嵌め込んでいるかの如き瞳。

 もう一つ目を引くものがあるとすれば、左肩から下げている濃藍の絹の長細い袋だろう。

 持ち手の紐が肩に食い込んでいるから相当の重みがあるらしい。

 その男――ヒスイは、桜の花びらを目で追いながら、右隣に座る男に声をかけた。


瑠璃介るりすけ、今年もお前の家の桜は見事さね」

「ヒスイ、これは僕のものではないよ。桜は桜自身のものだ。人が勝手にきれいと決めつけ、愛でているに過ぎないよ」


 瑠璃介は、名の通り瑠璃色の着流しを着こなす優男であった。

 腰まで伸びた絹のような髪を総髪にし、女子のように細い顎と長身痩躯が印象に残る容姿は、ヒスイに勝るとも劣らない。

 瑠璃介は、薄紅を引いたように艶やかな唇に笑みを灯した。


「なぁヒスイ。君にとって最高のお祭りとはなんだい?」

「唐突な問いだな。そうさね。お前と子供の頃に行った桜祭りかね」

「ああ、確かにあれはいい祭りだった」

「他には何があったかね……人狩りをやっていると最低なのは、いくらでも思いつくんだがな」

「例の夜祭かい? 土竜もぐら便で送ってきた手紙にびっしりと悪態が書いてあったね」

「あれは、ひどかったさね。俺は他者に体よく使われる相でも浮かんでるのかね」


 からからと瑠璃介は笑い声を上げた。

 笑いすぎだ、と内心で悪態をつきながらも、ヒスイは表情に出さないよう努めた。


「ヒスイ、そうかもしれないね。でも、君はいい奴だ」

「そうかね?」

「こうして来てくれたじゃないか」

「瑠璃介。本当に俺でいいのか?」

「ああ。君がいいんだ」


 ヒスイは、唇をかみしめた。

 瑠璃介は、微笑みながらヒスイの右肩に左手を置いた。陽だまりよりも安らぐ温もりがシャツを通して肌にしみ込んでくる。


「なぁヒスイ。人によって最高のお祭りと呼べるのは、違うものだよ。最低と呼べる祭りも違うものだ。例えばだ。女を犯す祭りなんて言うのもあるらしい」

「狂ったもんさね。俺からすれば最低の祭りだ」

「そうだね。狂っているよ。僕もそう思う。ああ、狂っている。彼らはね、村や町から女をかどわかしてくるんだ。そして酒を飲みながら代わる代わるに……」


 瑠璃介の瞳から感情の色が消え失せ、縁側から立ち上がった。


「ヒスイ、そんな奴は人の理に反していると思わないかい?」


 言いながら桜へと歩み寄っていく。

 まるで憎い者を踏みつけにするかのように。


「ヒスイ、そんな奴らに自分の大切な女性を……そんな事をされたら自分の手でと、思うのは身勝手か」


 ヒスイは答えに窮したが、しかし人狩りとして言わねばならない言葉を選んだ。


「……ああ、身勝手さね。己の遺志により行われる復讐を許せば、世は地獄と化す。だからこそ客観的な視線というやつが必要になるのさね。復讐に足るかどうかを」

「その客観視が君たち人狩りの仕事か。ならばサクラを犯した奴らはどうなんだろう? 僕は聞いたんだ。奴らの口からね、奴らが何を言ったかを――」


『なんといい女だ。最高だ。今度の祭りは最高だ』


『ああ、よい声で鳴くな。もっと鳴け。もっと鳴け! もっと祭りを盛り上げろ』


『最高の祭りだ。今宵は最高の祭りだ!』


「ヒスイ。そんな祭りが一週間も続いたんだよ。そんな祭りが一週間も……人を壊してしまうには十分すぎる時間だ」


 瑠璃介の手が桜の幹に触れる。愛おしそうに、憎らしそうに。


「ヒスイ。奴らはね、サクラの心と体を壊した後に、命まで壊したんだ」

「分かっている。だからこそ人狩りに話せば――」

「自分の手で復讐したいと思って悪いのかい!? 僕の手で復讐してはいけなかったのかい!?」


 ヒスイは、飛び上がるように縁側を立った。


「俺に話してくれれば俺が狩ったさね!! 奴らを狩ってその亡骸をお前に届けたさね!! その亡骸を後にどうしようとお前の勝手だ!」


 俯きながら小銃を収めた袋を両手で握りしめ、


「瑠璃介! 俺ならばよかったんだ! 俺ならば狩れたんだ! だがもう……俺に狩れる人は一人しか居らんさね」

「……ヒスイ、奴らはね。サクラに対してこう言ったんだ。イイ女だった。たらふく食ってやった。満腹だ。満足だ。最高のお祭りだった、と。だから僕もそうしてやった。僕の手で奴らの血肉をたらふくこの桜に食わせてやった。奴らの血を吸ってどんなに醜い花が咲くんだろうと思ったけど、いつも通りだったよ。桜はいつも通りきれいだったよ。そう感じてしまう僕は一体何なのだろう。きっと僕は怪物だ」


 しゅるりと袋を取り外し、剥き出しになった小銃をヒスイは構えた。

 銃口を向けられた瑠璃介の表情は、涙がしみて崩れていく。


「すまないヒスイ。本当にすまない。君の手を汚させたくはなかったんだ。この仕事を嫌っている君に奴らの汚い血で……でも結局つらい思いをさせるね」

「これが仕事さね。理を犯した者を狩るのが俺の仕事さね。たとえそれが友であっても、だ」

「最後に君と話せてよかった。わがままばかりですまなかった」

「気にするな。俺もさね」


 銃声が大気を揺らし、桜の花びらを散らせた。

 小銃の槓桿こうかんを引くと、役目を終えた真鍮しんちゅうの薬莢が地面に落ちる。

 まだ硝煙の昇る薬莢を握りしめ、ヒスイは桜の木に背を向けた。


「おやすみ瑠璃介」


 翡翠色の瞳は、堪えるように澄み渡った青空を見上げた。


「きっと来年は、今年よりもきれいな花が咲く。また見に来るさね」


 人類が幾度か文明の崩壊を経験した後の世界。

 星の大半は、大樹と呼ばれる人知を超えた植物に浸食され、全ての生物は、大樹の与える恩恵と理の元、暮らしている。 


 大樹の恵みを口にする事で、人以外の獣は人と同等の言葉と知恵を得た。

 命を終えた生物の遺骸は大樹へと還り、混ざり合って新たに生じる。

 大樹から生ずる生命を人は精霊と名付け、彼等もこの呼称を気に入った。


 人と獣と精霊は、大樹の恵みの元、互いを尊重し合いながら理に従って生きている。

 だが理を乱すのは、往々にして人だった。ならば始末を付けるのも人の役目。

 その担い手を人々は、人狩りと呼んだ。

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人狩り ~桜と最高のお祭り~ 澤松那函(なはこ) @nahakotaro

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