まつりのおまつり

柳なつき

かみさま

 丘と村のちょうど境目なのだろう。

 力の強い存在をまつる石碑があって、少女は、立ち止まった。

 しゃがみ込み、まじまじと碑文を読む。ふうん、とうなずいて、立ち上がると――。



「お嬢ちゃん、どうしたんだい」


 少女はびくりと肩を震わせて、振り返った。


「……あのね。まつり、迷っちゃった」

「へえ。お嬢ちゃん、まつりというのかい……」

「……うん。わたしの名前は、そう、まつり」



 ここは、丘のふもとだ。村が一望できる。



 まつりはハイカラな和装をして、鞠を持っていた。

 それに対して老婆は、旧体制時代から依然続く被り物をしている。真っ白な布をそのまま被りました、みたいな服だ。


 村の農民たちは、みな老婆とおなじような格好をしていた。老若も、男女も、被り物のなかをわざわざ覗かなければ、ひとりひとりを認識することさえできないだろう。



「お嬢ちゃん、おいで。村長さんのところに、連れていってあげるよ」




 村長さんは口ひげを生やしたおじさんで、まつりにやたらと優しかった。まつりを奥の部屋に通すと、ふかふかの布団を敷いて、親とはぐれてさみしかろう、今日はいくらでも甘えてくれと言った。

 まつりは部屋の隅で体育座りをして、そのまま眠ったふりをした。


 隣の部屋では、村長や老婆、ほかの大人たちがなにごとか相談しあっているようだ。



 ……そのとき。

 トントン、と。壁から、音がした。

 どうやら小石がぶつけられているようだ。


 まつりは、そうっと四つん這いでそちらに近づいた。壁はよく見るとかなり崩れていて、外を覗けるくらいの穴が空いている。覗くと、向こうがわに目玉があって、わっと声がしてすぐになくなった。穴の向こうの少年が、後ろに倒れ込んだのだ。


 少年を心配するいくつかの声。みな、子どもたちだ。

 村の子どもたちがここに集まってきたのだろう。穴を覗いていた少年は、さしずめ、この村の子どもたちのまとめ役というところか。



 ……そうか、こういう存在も、この村にいるのか。



「あなたたち、だあれ?」



 まつりは穴を覗き込んだまま、言った。子どもたちの意識が集中する。


 子どもたちもみな、村人の被り物をしていた。だが大人たちと違って、みな頭を出したり、腕まくりをしたり、適当に着こなしているようだった。


 まとめ役らしき少年が言う。



「おい、俺は、その家の子どもだ。おまえいますぐこの村から去れ」

「どうして? わたし、迷子なの」

「この村に伝わる言い伝えがあるんだ。おい、青びょうたん」


 青びょうたんと呼ばれた細い少年が、前に出る。


「こいつは、町からもらわれてきたから、字が読めるんだ。おい、おまえも、町娘なんだろう。じゃあ字は読めるな」


 窓がわの壁の隙間から、ひらりと紙きれが入り込んできた。

 まつりはそれを手にする。



 ――マツリハカミトツナガレル



「おまえはここにいちゃいけない。だから。……俺たちが秘密の抜け道を教えてやるから、明るいうちに逃げてくれ」

「おおい餓鬼ども! うちの壁の前で、なにしてんだ!」



 大人の部屋の扉が、勢いよく開けられた。

 子どもたちは、散り散りになっていく。

 鬼の形相だった村長は、まつりと目が合うと、にこりと笑った。



「ああ……ごめんねえ。もうとんでもない悪餓鬼どもなんだ。あんなやつらの言うこと、真に受けちゃいけんぞお、あは、あははは……」



 まつりは、素直にこくりとうなずいた。

 村長は笑いながら、去っていく。ぴしゃり、と扉が閉められる。



 まつりは、紙きれをじっと見つめた。




 ――「まつり」は、かみとつながれる。



「……わたし、かみさまと、結婚でもさせられるのかしら」



 まつりは、すこし昼寝をすることにした。

 ここから、また、長そうだ。




 そうして、日が暮れきると――村のようすは、一変していた。



 貧村の面影など、どこへやら。

 ここは狂乱の祭場だ。

 道いっぱいに、ぼんぼりが吊るされ。

 道の両側には、一生ぶんのおこづかいを持ってきたって買いきれないような、露店の群れ、群れ群れ群れ。桜の狂い咲きのように、どこまでいってもきりのない露店。


 白い被り物は、まったく違う印象のものになっていた。みな頭は出し、真っ白で裾の長い着物としてそれらを着ていた。

 そうして露店をまわっては、りんご飴を手にしたり、おめんを被ったり、きゃらきゃらきゃらきゃら笑いあっているのだった。

 村人たちは、みな。

 楽しそうに。



 まつりは、村長の家を出てから、ずっと。

 まっしぐらに、走っていた。

 目指すは、丘――この世界に入り込むきっかけとなった、あの場所。



「まつり、まつり、まつりじゃあ!」



 途中で、あの老婆とすれ違った。昼のようすとはまったく違う。水飴をねちょねちょ噛み、白髪にはハイカラなリボン。

 そうして、襟首をつかまれた――。



「おまえがどこに行く。おまえは、いけにえ、じゃあ。おまえは、永遠に、かみの隣で拘束されるんじゃあ!」

「……待ってよ。まさか、つながれるって、そっちのつながれる? てっきりよくある結婚話だと思ったのに。いやだなあ。それって要はシンプルにいけにえってことかしら!」


 まつりは、不敵に笑った。

 老婆が、怯む。

 まつりはハイカラな和装が、はだけるのもおかまいなしに――強烈な足蹴を、老婆にひとつ食らわせた。


「ひっ」

「ツナグって言葉もややこしいわよね。結婚だか拘束だかわかりゃしない!」


 まつり――と名乗っていた少女は、思いっきりあっかんべーをすると、そのまま丘に向かって走り続けた。


「その、その餓鬼を、止めろお!」


 老婆の悲鳴、少女を止めようとする大人たちの無間地獄のようなおびただしい手、しかしまつりはそれらを巧妙に避けていく。鞠を蹴るたびにその上に瞬間移動できて、まつりの移動はたいそう効率的だった。


 しかし、なにぶん大人の数が多い。すこし怯んで、体勢が崩れる。しまったと思った、でも――少年が、全力で大人に飛びかかった。

 大人のほうの体勢も、崩れる。



「なんだよ、おまえ、かっこいいじゃん! 大人たちは俺たちが止めておく!」

「お願い、かみさまを助けて!」

「まかせといて、村長息子に、青びょうたん!」



 まつりはひらひらと手を振ると、駆けていった。お祭り騒ぎで明るすぎる道を。

 ――ああいう存在がこの世界にもいるならば、きっと、ほんとうはかみさまはだいじょうぶなんだ、という想いで小さな胸をいっぱいにして。




 昼間、石碑があった場所に。

 その牢は、存在した。


 石のように静かな少女が、しゃがみ込んでいた。



 少女は、少女たちに静かに近づいていった。



「……たすけに来たよ」



 少女が、ゆっくりと目を開けた。

 牢のそとの少女は、しゃがみ込む。牢のなかの少女に、視線を合わせる。

 そうして、ひとつ微笑んだ――手持ちぶさたで、鞠をいちど、ぽんと跳ねさせた。



「あなたは、いつから、ここの村のかみさまになったの?」

「……わからない。ずっと、ずっとずっとずっと、むかしから」

「ずっと、閉じ込められていたのね。……村のおまつりは、あなたの見る夢?」

「そうよ。わたし。おまつりが、好きだから」

「かわいそうに。あなたも、元はふつうの女の子だったのに。覚えている? あなたの心のエラーが、このリアリティ・ワールドをつくり出してしまったの。……そうして増殖するエラーに抗えずに、エラーこそがこのワールドのマジョリティとなって、やがてはあなた自身も隔離したのよ、……高頭祭たかとうまつりさん」


 牢のなかの少女――高頭祭の意識主体は、牢のそとの少女――このワールドに潜入したバーチャル保安官を、じっとりと濡れた目で見返した。


「あなたが、永遠にお祭りの夜にいたいと思った気持ちは認める。そのためだけに、永遠にこのできあがったリアリティ・ワールドにいたいということも。……でもねこうなってしまっては、このワールドはいったん初期化するしかない」



 高頭祭は、明るい村の狂乱騒ぎのほうに視線をやった。その輝きに、暗い横顔がくっきりと映し出される。そっか、と小さくつぶやいた。



「私、どうしてこうなっちゃったんだろう。はじめは、学校に行くのが嫌なだけだった。だから、居場所がほしくて。バーチャル・ワールドを、すこしいじっただけのつもりだったのに、いつのまにか、こんなに」

「あなたの事情は承知している。……学校で酷い目に遭っていたことも」

「ああ。待って。……思い出したくない」



 高頭祭は、頭をかかえた。その瞬間この世界そのものが、大地が、ぐらんと揺れて、保安官はよろめきかけたこの世界での身体をすんでのところで、抑えた。



 ここでは、彼女はかみさまだ。

 正真正銘。ほんとうの、意味で。


 保安官は、自分を反省した。

 ……すこし、焦りすぎたようだ。ことには順番というものがある――。



「……かみさま、お願いします、かみさま」



 保安官は、ひざまずいた。



「かみさま、いっしょに、遊びましょう。村のお祭りに、いっしょに、行きましょう」

「でも、わたしは、嫌われているから」

「いいえ、いいえ。みんな、ほんとうは、かみさまのことが、大好き。かみさまに、きっときっと、来ていただきたいって思ってます」

「ほんとう?」



 彼女が、ほんのすこしだけ笑顔を見せた――笑った。その瞬間、牢は割れて、いけにえの少女たちは消えて、かみさまの身体はふわりと浮きあがった。



 ああ。架空のものだとわかっていても、と、……保安官は、その溢れんばかりの輝きに目を細めた。



「ねえ、聞いてくれる? 私ね、夢があったの――」



 保安官はすこしだけ居心地が悪そうに笑って、かみさまの手をとった。そのままふわりと村に向かってまっしぐら、……今晩は、最高のお祭りをきっとこの少女に用意してあげなくてはならない。



 ふたりは、浮遊して、飛んでいく。



 もうこの仕事も長いそのひとりのバーチャル保安官は、輝く祭りを見下ろしながら、思った。

 少年少女は、いつだって――世界でたったひとりの、孤独なかみさまだ、と。

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まつりのおまつり 柳なつき @natsuki0710

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