僕の住む門倉市は、特別人口が多いわけでもなく、かといってめちゃくちゃ少ないってわけでもない。

 だから、受験する中学はある程度限られていたのだ。

 僕が受けたのはその中でもトップ――――藍葉学園だ。偏差値はたしか……60だった。いや、62だっけ。

 まあ、どうでもいいや。ともかくこの辺では難関校で名も知られている。受験の動機はなんとなくだった。というのも、僕は小学校では比較的友達が少ないほうだった。

 自分から積極的にいくわけでもないし、かといって皆から話しかけられるタイプでもなかったのだ。だけど、誰も知らない場所にとびこむなんて矛盾しているけど、逆に今までのつながりをリセットしたいという気持ちが強かった。

 それに、僕の通う予定だった中学――須賀中は、数年前にとある生徒が引き起こした傷害事件の影響で、不良や学級崩壊が多いとウワサになっていた。周囲から悪い印象を持たれるのは親もイヤだったのだろう。母さんも父さんも中学受験に賛成だった。

 塾に通い始めてからは、僕はけっこう安定した成績を保っていた。模試でも、浮き沈みはあったが塾内でも期待された。

 六年に進級してからは、いっそう勉強に集中しだした。塾の同じクラスの友達は意外にも、やる気を出せないというのが多く、夏――受験の天王山ってよく言っていた――に入ってからは受験そのものから戦線離脱するやつも現れた。

 僕はそんなことにはめげない。

 不思議と仲間が欠けたりしても、僕は揺らがなかった。そんだけ強い信念があったんだろう。馬鹿みたいに。

       ♦         ♢          ♦


 いよいよ、受験前日というときだった。

 夕方に持ち物確認したあと、急にだるさに襲われたのだ。原因はさっぱり分からない。すぐ治るだろうと思って、放置しているとますます、ひどくなってきてたまらず母さんに相談した。

 母さんは、自分と僕のおでこを交互にさわって、体温計をとってきた。

 普段はめったに風邪にかからなかったから、僕は動揺した。何よりも、受験できなくなったら一大事だ。母さんもそうだったに違いない。

 測ってみると、三十八度三分。高熱だった。

 すぐに車に乗ってと言われ、市街地にある保健所に向かった。

 やけに、カラダが寒さに敏感になっていた。車に揺られている最中は、まるで冷蔵庫に入れられているような気分だった。

 医者は「胃腸炎」と診断した。実にあっけない。

 三十八度もあったんだから、インフルとか溶連菌だって言われるのかと思っていた。

 とりあえず、整腸薬と解熱剤だしときますねと、医者は言い、もらってそのまま帰ることができた。

 母さんは念のため、藍葉に問い合わせていたけど、別室受験で受験できますといわれた。どうやらインフル位のレベルじゃなければ、皆受験できるらしい。

 母さんは電話を切ると「よかった、よかった」と小さくつぶやいた。丁度そのとき帰ってきた父さんに、心配されていたけど。

 僕はというと、全然気が乗らなかった。頭がもうろうとしていて、ただただ絶望していたのだ。

 翌日、応急処置の解熱剤を飲んで、すぐさま藍葉に向かった。

 結果は目にみえていた。不 合 格。

 試験が終わって、会場から出ると同い年のライバルたちが、親に本心をそれぞれぶちまけていた。

「やった!いけた!」と大はしゃぎする人もいれば、「分からなかったぁ~」と親に泣きつく人もいた。見ているだけでイヤになった。受験に全部頭を使い果たしたようで、僕は軽い頭痛がした。解熱剤の効果が切れ始めたときでもあった。

 カラダが異常に温かいし、足取りも重い。

 夜になって、ローカル局で解答速報が流れていたけど、僕には何かの呪文にしか聞こえなかった。

 大失敗だ。

 目の前の現実から少しでも目をそらしたかった。

 一週間後、学校を欠席して僕はネットでの合否結果を待った。母さんには「直接行けば」と言われたが、その気は起きなかった。

 午後一時。いよいよ藍葉のHPでの合否発表の時間だ。受験番号を入力すると……………

 やっぱりだ。不合格。

 なぜか笑みがこぼれた。緊張もほぐれていく。これで良かったのかもしれない、ただの言い逃れだけど、それで許せるような精神状態だった。家族全員外出していたのが不幸中の幸いだった。

 三時間後、凛が帰ってきた。図工か表彰だか知らないけど、筒を小脇に抱えていた。

「どうだった」

 家に入るなり、凛は僕に問いかける。母さんは凛にも僕が藍葉を受験することを言っていた。しかも、しつこく。

 なんだか、凛の声を聞くのは久しぶりのような気がした。

 週四のペースで塾に通い、朝から塾が閉まるまで勉強することもあり、家族とまともに話したり、なんてことは無かったのだ。

 いや、話す機会があったとしても、普通にそれを潰していたかもしれない。

 僕はすこし考えて、なるべく自然な笑みを浮かべて言った。

「落ちたわ」

 凛はぽっちりだけ目を見張った。明らかに驚いているようだった。だけどそれも一瞬。

「そっか」と力をなくした声で呟き、僕を蔑んだ目で見る。そしてそのまま、自分の部屋に一直線で向かった。

 あの口調は今でも脳に染みついている。100%怒っていた。

 その一年後、凛は藍葉に合格した。受験勉強を始めたのが僕より半年も遅かったのにだ。当然、母さんは喜んだ。父さんはいつも表情を崩さない人だけど、この時ばかりは嬉しさを爆発させて、缶ビールを何本も開けていた。

だけど、僕は素直に合格を喜ぶことができなかった。


負けている。


一歳しか、年が離れていないのにこの差。まだ中一だったけれど、この事実を思い知ったのである。

県内トップの中学受けたけれど風邪こじらせて落ちた兄と、それにしくじりもせず楽勝で受かった妹。親だったらどちらを優先するか。

クソ、もう考えているとイライラしてくる。

僕は乱暴にソファに頭を打ちつけた。






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