第7章

第29話 春の嵐 


花壇は奥から、背の高いローズキャップ、その横には細い

柳の枝のような偽ウィーロウ。

そしてラバーエールの茂みが広がり、白い花をつけたグレープグラスに

新芽をだしたワイルドプランツ などが咲き誇る。


エミリオの小さなハーブガーデンは春の盛りを迎えていた。


アスター王子の午後のお茶用にハーブを選びにきたエミリオは、

ミントの葉を摘み取り、余分な茂りを取り除く世話を終えると立ち上がった。

もうそろそろ戻らないと、午後のお茶に間に合わなくなる。

ここのところ頻繁に続くの晩餐会や夜会のせいで寝不足気味の

王子のために、今日のお茶はミントを数種類とワイルドプランツを少々。


最近の王子の身辺は、妃選定に慌ただしかった。


夜も不在が多く、また王子が求めなくなったため、もう女装することはない。

あの甘やかで濃密な時間がなくなってしまったことは寂しいが、

身代わりとしてではなく、王子がエミリオ自身の力を求めてくれることが、

嬉しくて誇らしい毎日が続いている。


それに、もうすぐ王太子妃が決まる。



  

「だから、あの秘密の時間は巻き戻さないほうがいい」



そう、誰に言うでもなく小さな声で呟いて、ミントの籠と用具を持って

道具小屋へと歩き始めたエミリオは、以前、小屋近くで出会った令嬢の顔を

思い浮かべた。


メリアナ=ボゥエル貴族令嬢。

皆が王太子妃には彼女が選ばれるだろうと噂している。


美しく教養も高く、申し分のない女性だということはわかるが、

エミリオは、彼女が王子にふさわしい女性だとは思えなかった。

彼女の造られたように整った顔に、生き生きとした表情が浮かぶのならいい。

アスター王子の本質を理解し、一緒に笑ってくれる人ならいい、だけど。

あの時出会った彼女は……。


ふぅとエミリオは短く息をつく。



   

「僕がとやかく言うことじゃないよな」




王子は王太子だから、世継ぎの為に、家柄や政治的な考慮をした婚姻が

必要になる。


世継ぎ ー ー

彼女は王子に抱かれ、愛撫をうけて、世継ぎを生む。


そう思い浮かべる度に、身体の奥が軋むのをエミリオは感じていた。

自分にも探れないほど深い、身体の奥の奥に広がる鈍い痛み。

痛みを感じると、暗い深海の底から浮かび上がる泡のような哀しみが、

つぎつぎと湧き上がり、心が乱れそうになって、エミリオは慌てて

それに蓋をする。


侍従として王子のそばに居る、侍従として王子を支え続ける、

そう決めたのだから、もう心を乱すわけにはいかない。


だけど、本当は……。


道具小屋まで来たエミリオは籠を地面に置き、持ってきた鍬を小屋の壁に

立てかけようとした、が、背後に気配を感じて振り返った。


覆いかぶさってくるような男の影が二人分見えたかと思うと、すぐに

キツイ匂いのする布で顔を覆われて、身体の力がふにゃりと抜ける。




   「どうだ、うまくいったか」

   「ああ」




低い声でかわす言葉が耳に入ったが、それも急速にわからなくなり、

エミリオは意識を手放した。



   


    

   「うっ」




首が痛み、エミリオは目覚めた。

目の前に女性の白い足が見えてぎょっとなって身を起こせば、

どうやらここは道具小屋の中で、すぐ近くに酷い姿の女性が一人座っていた。


彼女は女官のようだが、グリーンの女官服は大きく切り裂かれて

素足がむき出しになっているし、胸元も乱れて乳房が見えるほどになっている。


青ざめた顔の彼女は、エミリオと目があった途端、絹を裂くような声で

叫びはじめ、” 助けて “ と大声をだした。


痛みをこらえ目眩を起こしながらも立ち上がり、エミリオは彼女を介抱しよう

としたが、自分の姿を見下ろして驚き、呻いた。

侍従の上着はなく、白いシャツの胸元はだらしなくはだけ、

膝までのキュロットのベルトも緩んでいる。


そして足元には枝葉の剪定に使う小刀が鞘もなく転がっており、

それは小屋に差し込むわずかな明かりに鈍く光った。

   


   

   「なんだ?」

   「どうした!」



そうしているうちに小屋の外から声が聞こえはじめ、数人の足音がして、

バンと戸が開く。


急に差し込んだ光が眩しくて手をかざしたエミリオの目に、驚き、目を剥く

数人の庭師の顔が映り、切羽詰まった声が聞こえた。


   

   「助けて! この人に乱暴されたの!」

   「えっ」



耳を疑う言葉にエミリオは声を上げ、自分を指差している女官を見たが、

彼女はエミリオを無視したまま、どやどやと入ってきた男達に

大声で訴えはじめた。



   

   「庭を歩いていたらここに連れ込まれて、その小刀で脅されて」

   「違う! 僕はそんなことはしていない!」

   「怖かったわ…… こんなところで、私、……純潔を奪われたの !」

   「嘘だ、僕も何者かに襲われて、気づいたらここにいたんだ」




庭師たちは一様に戸惑った表情を浮かべ、お互いの顔を見合っている。

そして黙り込んだまま難しい表情を浮かべ、それぞれが

女官に上着をかけてやったり、衛兵を呼びに行ったりしはじめたが、

中でも一番大柄な男が近づいてきて、大きな手でエミリオの腕を

戒めるように掴んだ。



 

  

    「暴れるなよ、衛兵が来るまでおとなしくしているんだ」

    「本当に、僕は何もしていないんだ」




そう訴えると、男はため息をつく。



   

    「あんたが優しい奴だってことは、俺たち庭師はみんな知っているが、

     でもな、あの娘はあんたにられたと言っているし、

     この場の状況が、なぁ......  しかし誰でも “ 魔がさすって “

     いうことはある。 あんただって男なんだし」

    「違う、違うんだ、僕は」




エミリオは唇を噛んだ。


性のない身体だと言ってしまえば助かるだろうか? 

でも好奇の目に晒されることになる。

それは、王子にまで害が及ぶほどになるかもしれない。




   

   

   「なんだと!」


    


椅子を鳴らしてアスターは立ち上がり、イアソンを凝視した。



   

   「どうしてそういう事になったのかはわかりません。

    ただ、被害にあった女官はエミリオがやったと話し、

    実際に彼の服も乱れていたということです」

   「バカな! 彼がそんなことをするはずがない」

   「確かに私たちはエミリオが “ そんなことは出来ない身体だ “

    と知っています。 ですが、その女官はエミリオだと

    言い張っていますし、状況は彼が犯人としか

    思えないものだったようです」




すとんと腰を下ろし、アスターは呟いた。




   「仕組まれたにちがいない」

   「そうですね」

   「だが、一体だれが? なんの為に?」 

   「わかりません」




眼鏡を押し上げ、イアソンも珍しく困惑した声で言う。



  

    「どちらにしろ、王子は下手に動かないでください。

     まずは侍従長にまかせましょう」




苦しげにアスターは重い息を吐き、彼は今どこにいるのかと尋ねた。


   

   

   「地下の牢です、逢いに行こうなどとは考えないでくださいね」

   「……」

   「王子、もう間もなく妃が決まります、

    今はそのことだけに集中すべきです」

   「わかった」




イアソンにはそう答えたものの、じっとしてなどいられなかった。

少しでも早くエミリオを救い出してやらねば。

アスターはすぐに侍従長と逢ったが、侍従長は厳しい表情で首を振った。



   

   「状況はよくありません。すぐにでも彼は裁判にかけられるでしょう」

   「そんなことになれば、彼がリバルドの人間でないとばれてしまう、

    それどころか、もし、国境線のベルンの砦にいたことが知れたら」

   「どうなるかははっきりとはわかりませんが、ここに

    戻ってくることは出来ないでしょう」




足元の床ががらがらと音をたてて崩れていくようにアスターは感じた。


ー ー なぜだ、なぜ、こんなことになった?


エミリオに個人的な恨みがある者などいるだろうか、

もしくは王太子である私に?


いくら考えても、誰も思い浮かばない。


アスターがどういう手立てをとればいいか決めかねているうちに、

彼は通常の裁判ではなく議会でさばかれることになってしまった。


彼が、北部国境線で捕虜になったロンドミルの準兵士だったことが

わかってしまったからだった。







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