第20話 麗らかな日々 ~ 4 ~


穏やかに、またアカデミーらしく活気にあふれた議論もありの昼食会が終わり、あいさつをすませ食堂を出たアスターは、白い顎鬚をたくわえた小柄な人物が、こちらに向かって笑顔で歩いてくるのを見て目を輝かした。



   

   「ユーリック先生! アカデミーに戻られたのですか!」

   「はい、一ヶ月程前にね」

   「ひどいな、どうしてすぐ連絡して下さらなかったんです?」

   「ははは」




顎鬚を撫でながらユーリックが、愉快そうに笑う。



グリアム=ユーリック、自然学博士。

彼はアスターの過去を知る、数少ない人間のうちの一人だ。

” どうしたら幽体離脱できるようになりますか? “

己の力だけではどうすることもできず、泣かんばかりの震え声で、

ユーリックに問うた、まだ少年だったアスター。



   

   「王子、残念ながらそれは人間の力の及ぶところではありません」

   「...... 」

   「私たち生き物は皆、巨大な歯車の上に乗っているようなもの。

    今、失ってしまったモノも、またいつか巡り巡ってくる。 

    葉を落とした木々が、また瑞々しく芽吹くように」

   「…… 」

   「どうか今は受け入れてください、王子。

    あなたにとって真に必要なものならば、それはまたいつか必ず、

    王子の元へ帰ってくるでしょう」

   



ぐっと拳を握り眼の縁を赤くし、少年だったアスターは俯きかすかに頷いた......。


しかし今はすっかり大人になり、誰もが見惚れるほどのオーラを身に纏う

アスタリオン王子を、ユーリックは眩しげに見つめる。



   

   「王子、久しぶりに私の部屋でお茶でもいかがですか」

   「いいですね。」




ユーリック教授の部屋は北棟の一番奥、日当たりの悪い小さな部屋だが……

いかにも教授の部屋らしく、本に、標本に、何に使うかわからないモノにと、

溢れかえったおもちゃ箱のような部屋だ。


だが、中へ一歩足を踏み入れたアスターは、口元に浮かべていた笑みを

さっと消し立ちどまった。

誰もいないと思っていた部屋の中に、すでに先客がいたからだ。



   

   「こちらは、ロンドミルのアンブル博士。 

    博士、リバルドのアスタリオン王子です」




遅れて部屋に入ってきたユーリック教授がそう言い、不安そうな顔で

アスターを見ていた博士がぎこちなく頭をさげる。

どうやらただのお茶会では、ないらしい。



   

   「お目にかかれて光栄です、アスタリオン殿下」

   「アンブル……というと、あの有名な鉱物学のゲイル=アンブル博士で

    しょうか」

   「そうです」

   「彼を保護して欲しいのですよ、王子。ロンドミルから逃れて

    きたのでね」




二人に座るようにと促し、ティーポットを取り上げながらユーリックが言う。


唇を引きしめ難しい顔になったアスターを見て、ユーリックは困ったように

眉をさげ、取り繕うようにかすかに笑った。



   

   「ただの亡命ではないんですよ。

    彼を保護し、ロンドミルのウィーズ国王から守ることは、

    リバルドを守ることにも繋がりますからね。

    アンブル博士、アスター王子に説明をしていただけますか」

   「はい」




アスターの向かいに腰を下ろした博士は、落ち着きなくしきりに掛けている

丸メガネを押し上げてから、やっと訥々と話し始めた。



   

   「リバルドの北西、ロンドミルとの国境いにあるモンド山で、

    わずかですが剛鉱石が採れることは、王子もご存知ですね。」

   「ええ、ですが、剛鉱石に含まれる毒素が地下水を汚染するという

    理由で、どちらの国も採掘はほとんどしていないはずです」

   「そうです。しかし近年、ロンドミル側で剛鉱石の太い鉱脈が

    見つかり、ウィーズ国王は、密かに大規模な採掘をはじめて

    いるのです」

   「なんですって? それは条約違反ですよ!」

   「剛鉱石は強い鉄器を作り出します。よって、軍隊を強く大きく

    する事が可能になる。

    しかし地下水の汚染による自然破壊はすでに始まっていて、

    いずれ 地域住民の生活を脅かすことになります。」




博士は項垂れ、弱々しく首を振った。



   

   「だから何度も採掘をやめるよう進言しました。でも、

    聞き入れられなかった……」

  「それで、助けを求めてこられたわけですね」




アスターの言葉に、博士が顔をあげた。



   

   「モンド山は国境いですから、リバルド側にも影響が出始めるでしょう。

    それに王子にお話しする気になったのは、リバルドの貴族が

    この事に関わっている可能性が多いにあると思われるからです。

    今のロンドミルで、あれだけの採掘資金を持っている者はいません。

    国王でも無理です。

    誰かが、裏でウィーズ国王と繋がっている」

    



厳しい顔で、アスターは頷いた。



   

   「早急に調べさせなければいけませんね。

    それに、博士がリバルドで安心してすごせるようにもすぐに

    取り計らいましょう」  

   「あ、ありがとうございます。これで少しは私も役に立てた

    かもしれません。

    亡くなったノーズ公爵にも顔向けができますよ」




アスターの眉がぴくりと反応した。



   

   「博士は公爵とはお知り合いだったのですか?」

   「大學で机を並べて勉強した仲です。

    身分は違いますが、公爵は良き友人でした。

    彼は自然を愛し、議会議長という政治的に重要な立場にも

    かかわらず、太古の自然を残すムリノーに住み続けていました。

    亡くなる少し前によこした手紙には、” 後は頼む” とあったのに、

    非力な私はなにもできず…… 」

   「危険をかえりみず真実を伝えに来てくださった、充分ですよ」

   「殿下……」




博士は泣き笑いのような顔になって肩を震わせ、

やさしい笑顔のユーリック教授がその肩に手を置く。


温かいお茶が準備され、やっと和やかな時間が流れ始め、思い出話や

学術的な話などが続く中、さりげなくアスターは先ほどから聞きたくて

仕方なかったことを尋ねた。



   

   「そういえば、ノーズ公爵には御令嬢がひとりいらしたと思うの

    ですが、博士はその方の事もよく知っていらっしゃるのでしょうか」

   「ええ、美しくて賢い、素敵なお嬢さんでしたよ。

    隣国の王子の耳にその評判が入っていても、驚きませんね 」

   「そのご令嬢は今、どこに?」




ほころんでいたアンブル博士の顔がさっと曇る。

重く悲しみに満ちた声で、博士は答えた。



   

   「亡くなられました、ノーズ公爵とともに」

   「共に?」

   「公爵は国を立て直そうとしていましたが、ウィーズが卑劣な

    方法で追い詰め、彼を死に追いやったのです。

    娘を残しては行けなかったのでしょう、国王が手に入れた

    がっていた と聞きましたから。 

    我々の仲間で、耐えきれず亡命した者や、亡くなった者、

    遠くへ追いやられた者は、数知れませんよ。

    ロンドミルの獅子と言われたブラン将軍もそうです」




アスターの胸が、どくんとひと打ちした。



   

   「辺境に追いやられ、王都からは遠ざけられ、それでも私たちは

    密かに連絡を取りあって……」

   「ブラン将軍ともお親しいのですか?」




どくどくと胸の鼓動が早くなる。

震えるような予感が、大波のように胸に打ち寄せ駆け上ってくる。



   

   「政治家、軍人、学者と、畑違いですが、私たち三人は

    若い時から気が合いましてね」  

   「ノーズ公爵とブラン将軍も、親しかった?」

   「ええ、静の公爵に動のブラン将軍。

    全く異なる印象の二人ですから、国内でも親しいと知る者は

    少なかったですが、彼らは親友同士でした」




膝に置いていた手をアスターはぐっと握りしめた。

求めていたものが、かすかに姿を現す。


点と点が、今、やっと結びついたー ー。


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