第19話 麗らかな日々 ~ 3 ~



ほうぅーと蕩けるような息を吐き、女官たちは呟く。

    

   

   「眼福ですわ……」

   「ええ、ほんとに……」



彼女たちの熱い視線の先にいるのは、

リバルド国王太子アスタリオンと、彼の専属侍従、エミリオ。


二人は窓辺に立ち、王立アカデミーでの食事会の衣装を相談しているのだが、

窓から降り注ぐ陽射しが麗しい二人の姿を際立たせ、

部屋の中でそこだけが、特別に明るく、照り輝いているかにみえた。



   

「オフホワイトのこのクラヴァットなら、

金の台座のこの琥珀のブローチがいいと思います。」




そう言いながら、エミリオがクラヴァットを結ぼうとアスターの方へ

腕を伸ばせば、彼がやりやすいようにと配慮した王子が、ひょいと首をさげる。


   

   

「あぁ!」

   



二人の距離が急速に近づき、ちらちらと二人を盗み見ていた

(すっかり仕事の手を止めてしまっている)

女官達を悶えさせた。


さらにエミリオが近づいた距離に顔を赤らめさせ、それに目を留めた

アスター王子の口角がにっとあがって、彼女たちは息を飲む。


そして、さらにさらに、そんな女官達の様子にまったく気づいていない王子が、不遜な笑みを湛えたままエミリオの耳元に口を寄せ、秘そめた声でつぶやいた。



   「なんだ、意識しているのか、私は男だが?」

   「そんなことありません!」




小声でエミリオが言い返すと王子はおかしそうにふっと笑い、

エミリオの額をぴっんと指で弾き、むくれたエミリオが上目づかいに

王子を睨めば、アスターの笑みはますます深くなって、

女官たちに至ってはもう失神寸前だ。




   「あぁっ!」

   「……っ!」

   「この、ツーショット......、美しすぎますわ!」

   「王子御一人おひとりでも幸せでしたのに、エミリオ殿が加わって

     もう……何と言っていいのか、言葉もありませんわね」

   「はぁぁ〜」

   

   


エミリオが王子付き侍従となって一ヶ月半、東棟の女官たちのため息が

聞かれない日はまずない。


この天地がひっくり返るほどの人事にエミリオは多いに驚き、悩んだが、

王子が幼い時から専属侍従を務めるハグサム副侍従長の言葉が、

彼の決心を促した。



   

   「アスタリオン王子は、どんなに優秀な者を勧められても、

    お側に置こうとはされませんでした。

    その王子が長く務めた私の代わりになると判断され、

    自ら希望されたのです。ですから、あなたならできると私は思いますよ。

    重い責任を負う者は孤独です。

    あなたがモルヴィッツにこられてから、王子は少し変わられた。

    いや、昔の快活さを取り戻されたというべきでしょうか」




もちろん、この人事を訝しがる者はかなりいた。

が、命を救われた恩返しだと思い渾身的に尽くすエミリオの姿と、

王子の満足げな表情、そしてなによりエミリオの能力の高さが、

陰口をたたく者の口を自然と閉じさせていった。



だがそれでもアスターは用心し、仕事は身の回りの世話を中心に、

長く王子に仕えている者が多い東棟からエミリオが出ることがないようにと

配慮している。


だから今日も、アカデミーにはハグサム副侍従長が同行することになっていた。





動き出した馬車の中でくつろいだ様子で窓の外を見ているアスターに、

向かいに座ったハグサムは声をかけた。



   

   「今日の装いも良い見立てですな、エミリオですか」

   「ん? ああ」

   「アスタリオン殿下の装いが最近変わったと評判ですよ、

    以前とは違うセンスの良さに優雅さも加わったと」

   「前がずいぶん酷かったみたいじゃないか」

   「酷くはありませんが、無頓着だったでしょう。人の勧めなど

    素直にお聞きにはならなかったですし」

   「ふん」




鼻を鳴らしてアスターがムクれ顏になり、自分の前ではいつまでも

子供のような態度の王子にハグサムは微笑む。



   「エミリオの見立てがすばらしいということですよ。

    しかし、不思議な子です。平民の出にしては上流社会のことを

    よく知っている」

   「両親が将軍家の使用人だからな」

   「いえ、特別に執事の息子などは、親の跡目を継ぐために早くから

    躾けられたりしますが、彼の両親はただの下働きのようです。

    ただ見聞きしただけで、あれだけのことが身につくとは思えません。

    それに私は時々、彼自身が高貴な生まれなのではと感じることが

    ありますよ」

   「……」




アスターが考え込むように眉をよせて黙りこみ、ハグサムは口を閉じた。


やはり、見る人が見ればそう感じるのだ、とアスターは思う。

エミリオに感じる違和感 。

それはわずかなモノだが、喉に刺さった小骨のようにもどかしく、

アスターを悩まし続けている。


” ブラン将軍家の使用人の息子で、軍属の事務官、準兵士であるエミリオ “


“ 貴族の子弟並みに教養が高く、上流社会に詳しく、マナーも身につけている

 エミリオ “


真逆 …… 、まるで、一方がもう一方を打ち消すかのように。


どきんとアスターの胸が大きく鳴った。

それに、男として生活しているが、彼の容姿は女と見まごうほどだ ……

いや、だが 。

ありえないというようにアスターは首を振る。

彼は女じゃない……彼の身体は、厳密に言えば男でもないが、女でもない 。

身体はいくらんなんでも誤魔化せない。

もし公爵家となんらかの繋がりがあり、本当は彼自身が高貴な育ちをしたので

あれば、なぜ周りはそれを隠す?



軽快に走っていた馬車の速度が落ち、沈ませていた視線を上げれば、

中央の尖塔に自由と平等を謳う学園旗をひるがしたアカデミーの建物が

見えてきた。




ここはアスターの父、現国王フェルラー二世が王位についてすぐ創ったものだ。

国内外から優秀な人材を迎え、若者が学ぶ目的でつくられたここは、

父王の思いが詰まっている。


” 王政に関わる貴族の子弟は必ず一度はここで学ぶ ” そういう仕組みを

つくることで、家の格がモノをいう貴族政治を変えようという父王の試み。

それは今、少しずつだが実を結びつつある。

例えばイアソンがそうで、彼の実家のモロー家は下級貴族だが、

彼はアカデミーを優秀な成績で卒業し、王子の執務補佐官という

重要な役に就いている。


どちらかと物静かな父が王位を継ぎ、旧体制然とした大貴族たちに

どれほどの我慢を強いられてきたか、だからこそ父王は芽生えはじめた

新しい世代と、王位を継ぎ彼らの君主となるアスターに、大きな期待を

寄せているのだった。



   

   「アスター、お前は母親似だ。

    私にはないその資質、亡き王妃に礼を言わねばな」




いつもそう言って、大きな手で頭を撫でてくれた父王。


自分と亡くなった母、両方が褒められたようで嬉しかった言葉が、

いつしか重く感じるようになり、幽体離脱してただの男の子として、

広い世界を自由に飛び回ることに夢中になったのは、このくびきから

逃れたい気持ちがどこかにあったからだと思う。


でもあの森の小屋で、稲妻が彼女との間を裂いたあの時から、

魂は二度と身体から離れることができず、自由に世界を飛び回る力は

無くなってしまった。


なぜだ? なぜだ! なぜだ!


答えを求めありとあらゆる本を読み、ここ王立アカデミーにも足繁く通う

王子を、周りのものは勉学に励む立派な王太子と思ったらしいが、本当は違う。

今だってそうだ 。

出迎えた学長や教授たちとにこやかに笑みを交わし、彼らの望む王子としての

姿で振舞う。

それが心底嫌なわけではない。

自分の立場は自覚しているし、全う《まっとう》しようとも思っている。

ただ …… …… 。

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