人魚B

佐々木実桜

Bianca

昔々のそのまた昔から、私達の世界に伝わる童話の中に『人魚姫』というものがある。


『人間界に憧れ、美しい声を失う代わりに人間になった人魚姫は王子と結ばれることなく泡となって消えてしまいました』


そんな、悲しいお話。


『人魚姫』で私達人魚は「人間界への憧れは愚かなものだ」ということを学ぶのだ。


しかし、そんなことを学びながらも私達の世界にはこんな話も流れる。


曰く、『15になる日、太陽が上る頃に指輪岬で祈りを捧げると人間になれる』とか。


どこから流れたか定かでない、単なる噂話。


そもそも希少価値が高いとされる人魚にとっては人がいるかもしれない岬へ行くことすら命取りなのだ。





「バーバラ、そんな所にいるのはやめなさいと何度言ったら分かるんだ。」


はるか昔に設けられたものの別の場所が作られ放置されてしまった見張り台で魚達を眺めていると、厳しい父に見つかってしまった。


「パパ」


今日は少し機嫌が悪そうだ。


「全く、下劣な人間なんかに見つかりでもしたら逃げ切れると言えるのか。お前のそこの輝く白銀の髪はひどく目立つんだぞ。」


父は、父に限ったことではないけれど、酷く人間を嫌っており、深い海の底とて人間に見つかる可能性があるとすぐに怒る。


「…ごめんなさい」


本当は逃げ切る自信はあるけれど、ここで口答えしても余計に怒られるだけだ。


「全く、家に居なさい。夜には王様に謁見するんだぞ。」


人魚の王様、ポセイドン12世。


その身体は非常に大きく、尾はシャチのものだと言われている。


「はい、パパ。」


今日は、私が15回目の誕生日を迎える前日。


伝統として、人魚はポセイドン12世に逢いに行き成魚となる15の誕生日を王城で迎えなければならない。


(行きたくない・・・)


愛国心の強い父の手前口に出したことはないが私はどうしても国王が好きにはなれなかった。


最後にお会いしたのは姉様が成人した7年前、「お転婆な貴方は一人にすると厄介なことをする」と母に連れられ王城へ行ったのだ。


何かされたなんてことはない。


ここ一帯の人魚を統べる王がただの娘に何かするなんて。


ただ、あの子はここにいるべきじゃないと、かすかにそう聞こえた。


きっと、私の髪のこと。


白銀色の髪は、どうしたって目立ってしまった。


海の青を持つ家族とは違って、私だけが、こんな色。


人魚の世界でやけに目立つこの色は、私が生きるのを難しくした。


王様に会うと、そのことがどうしても思い出されてしまう。


私の居場所はここではない。


私の生きる世界は、ここではないのだ。




「少し、休んでから行きます。」


「ああ、緊張する気持ちは分かる。だが、お前も明日で立派な大人の人魚なんだ。ちゃんと準備をするんだぞ。」



一人になってから私は、また人魚姫の言い伝えに思いを馳せた。


言い伝えはそれだけじゃない。


『人間に恋をした愚かな姫に怒りを覚えた海の魔女が姫の舌を切ってしまったから声が出なくなったのだ』というもの。


『指輪岬ではなく、イルカたちの導く先に行けば人魚になれるのだ』というもの。


そして私の大好きな言い伝えが、


『15になる前日、海から少しでも身を出せば、人間になれてしまうのだ』という、明らかに嘘だと分かるもの。


嘘のくせして、人生で一日しか試すことができないというのは、どうしてかお転婆心を刺すものだ。


父も知らない、数回会っただけの人魚らしくない人魚からきいた。


その人魚は赤い髪をしていて、そして口を動かさずとも言いたいことを私に伝えることができた。


声が出ないのだといった彼女に私が「まるで人魚姫だわ!」と言ってしまったことがあったが、彼女は微笑むだけだった。


彼女は、家族以外で初めて私の髪を褒めてくれた。


「他の子には変な髪って言われた」と泣く私に向かって「じゃあ、人間界にいってみるのはどう?」と言った。


「人間界には色んな人がいるらしい。貴方の美しい髪を愛してくれる人だってきっといるわ」と。



人間界は怖いものだと教えられてはきたものの、その言葉は私の頭に強くこびりついた。


言った本人であった彼女は、私が7つになった日、忽然と消えてしまったが。


残ったのは、緑色の鱗と、細やかな泡。


母に聞くと彼女と話していた時の私は空虚に語り掛ける子供そのもので、だれと話しているのとは聞けなかったらしい。


彼女はそもそも、私以外には見えてすらいなかった。


後に私は、王族の方々を見て驚いた。


濃さは違えど彼女と同じ赤い髪、同じ緑色の鱗。


曰く、王族はみな、この色なのだと。


あの、泡になった人魚姫も。



その日から私はこの日を心待ちにして生きてきた。


15になる前に、私は人間になる。


この世界とは違う場所で生きるのだ。


こことは違う、もう少し生きやすい場所で。


そして人間になることができても私は絶対恋なんかしない。





だって、


「[泡になんか、なりたくないもの。]っと」




「夕陽、新作はどう?」


同じ小説サークルの可愛い友人がホットミルクを片手に僕に声を掛けた。


「ホットミルクありがとう。ちょっと、行き詰まっていてね」


彼女はヨーロッパの生まれだというのに凄く日本語が達者で、こんな地味な僕にも気さくに声を掛けてくれる優しい自慢の友人だ。


たまに少し不思議な言動をする時もあるけれど。


「あら、人魚のお話だったわよね」


「うん、ただ、ありきたりじゃつまらないかなって。」


人魚の話なんて世の中には腐るほど出回っている。


その中でひときわ目立つ何かが欲しかった。


「そうね、じゃあこんなのはどう?」


彼女はそう言って話し始めた。


海から身を出したバーバラは浜辺に打ち上げられ、夢を見るの。


同じ年頃の男の子に綺麗な白銀の髪を撫でられる夢。


「大丈夫、もうすぐ助けが来るからね、大丈夫だよって」


そして目を覚ますと、たくさんの大人に囲まれていて、自分は何を失って人間になったんだろうと探すと、髪の色が変わっただけ、たったそれだけだった。少し悲しくなるけど、人間にはなれたからと大喜びをするのよ。


ただ、どれだけ探しても男の子だけはどうしても見つからないの。


恋をすると泡になってしまうんじゃないかと、恋をしなければ泡にはならないなら、恋なんかしないと決めていたのに、その男の子のことが忘れられなくなって、


「そして、見つけても男の子はバーバラのことは一ミリも覚えていないの」


「泡にはならない、声も失わない、幸せなはずなのに、王子様には気づいてもらえない。」


「そして気づくの、これは呪いなんだって」


「泡になった人魚姫は、その気持ちを誰かにも味わってほしくて、人間にしたんだって」


「やっぱり、人魚の話にハッピーエンドはないんだなって、気がつくのよ」


そう言って笑った彼女は「こんな話は、どう?」と僕に聞いてきた。


地味で恋愛経験も浅い僕に聞かれても困ると言えばよかったが、そうは言えなかった。少し潤んだ彼女の目を見てしまっては。


「途中までは凄くいいと思う。」


「ただ、僕はやっぱりハッピーエンドがいいから、そうだな」


「その男の子と出会わせて、そして、白銀の髪を持つバーバラじゃなく、人間になった彼女と結ばれる話にしようかな」


「え?」


「気づかれないことは悲しいかもしれない、でも、人間のバーバラとして、その子と結ばれることができれば、それで幸せだと思うから。」


「だ、だめかな?やっぱり君の話のほうが読む人は受け入れやすいかな」


僕の話はどうしても夢見がちで、幸せな終わりにばかり向かってしまうから彼女を除いたサークルのみんなからはあまり評判がよくないのだ。


「いいえ、やっぱり私あなたのお話大好きよ。幸せで、そして暖かい」


「ありがとう、でも凄いね、まるでファンタジーじゃないみたいだったよ」


「ふふ、そうね」


窓辺に近づいて彼女は言った。


「海の底では、日向ぼっこはできなかったわ」と。


「え?・・・」


振り返って笑う彼女の太陽の光を浴びた髪が一瞬、白銀色に輝いた気がした。



僕の友人のビアンカは、少し不思議な女の子だ。








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