金比羅心中(殺伐百合短編)

七田つぐみ

第一幕 縁結び


 欲を知らず、悪を知らず、十四年もの間生きてきたのだと思います。

 

 昭和のある年の春まで、私はそうした白すぎる生を歩んでおりました。高等女学校三年の四月でした。その生の白が、藤に、墨に、紅にまだらに染まり始めたのは。

 

 「縁結びをしましょうよ」という同級のキヨに誘われ、私――すず安井金比羅宮やすいこんぴらぐうに訪れたのです。風の吹きすさぶ日でした。制服の裾も、たらふく縁切りの願いを託された絵馬も、いしに貼られた形代も、全てが風で揺れておりました。

 

 そこで見た光景が、私の生の白に藤の色をぽつりと落としました。


 春の陽に頭を垂れる藤と、洗い髪の女性がそこにおりました。重そうに風に揺れる藤の花と、その方の洗い髪の揺れがどこか似ていて、藤が人になったのだと、そんな馬鹿なことを考えました。


「ねえ、あんた、いくつ?」


 それが自分に対する問いだと気づくのに、随分と時間がかかりました。小さく「来年、十五になります」と答えれば、その方はくつくつと笑いだします。


「どうして笑うのですか」

「あんた、十四でこんなところに来るほど苦しいのかい」


 そう言い、その方は細枝のような腕を、瓦のように重なりあふれた絵馬に向けました。促されるまま絵馬を見て、私の体は自然と怖気づき、半歩後ろに下がりました。


 夫と夫の愛人との縁をどうか切ってください。


 息子が道ならぬ恋をしています。相手と縁が結ばれぬようにしてください。

 

 どうか私の夫との縁が永劫切れますように。

 

 それには未だ私の知らぬ感情が、願いが込められておりました。その未知のものが、私はその時ただただ怖かったことを覚えております。


「あんたは、ここで願わなくても大丈夫だよ」


 その言葉に背中を押されるように、私は走りました。藤の香りが追いかけてくるようで、友を置いてきたことすら忘れ、どこを目指すでもなく走りました。


 走って、走って、疲れ果てた時、私はようやくふと気付きました。


 あの女性の真白い首に、首くくりの縄目の跡があったことに。


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