斯くして、カナリアは飛び立つ

斯くして、カナリアは飛び立つ(前)

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一二六八年三月七日 黒曜日カズゼルヤク

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 旅行を終えてしばらくは、コガトラーサ家に呼び出されたり拉致されたりやしないかとヒヤヒヤした。しかし結局、僕の行動は咎められなかったようだ。

 タミーラク当人は何事もなく戻ってきたから、向こうとしては許容範囲内だったのかもしれない。向こうにどれだけ筒抜けかは知らないが、最後の逃避行だけは、僕ら三人だけの秘密だ。こうして手記にはしたためさせてもらうが。



 タミーラクは角を赤く塗り、正式な贄として皇帝に謁見した。

 この儀式は公開のものではなく、贄の家族と帝室の間だけでひっそりと行われるもので、外部からの見学はできない。

 以後、彼の外出は制限され、やがては碧血城へ旅立つまで静かに過ごす。


 そういえば、九歳のタミーラクは「カズスムクが自分を傷つけたら、拷問されて殺される」と思っていたようだが、あれは正確に言えば間違いだ。

 角を赤く塗った贄だけが正式な贄であって、それ以前の贄候補を損なっても、酷刑に処せられるということはない。ただ、候補の家族が放っておくことはないだろう。

 その点では、タミーラクは別に嘘を吹き込まれたわけではないのだ。

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一二六八年から、六九年の述懐

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 ガラテヤから逃げるようにして、再びザデュイラルの地を踏んだ僕だが、何はともあれ先立つものが必要だった。そこで、僕はハーシュサクに働き口の紹介を頼んだ。


「じゃ、ちょうど良いからお前さん、うちで働けよ」

「いいんですか?」

「長年働いてくれていた事務員が、自分の地元で貴族に召し上げられる契約していてな。今年贄になっちまうんで、後釜を探してたんだ」


 一も二もなく僕は賛成した。ちなみに、僕のザデュイラルにおける身分は、マルソイン家の食用人のまま継続している。

 この国で働いている人族は皆、何年何月に贄として死にます、という契約を交わしており、その身分は雇い主が保証する仕組みだ。そこを利用して、僕は以前の渡航でマルソイン家が購入した食用人、という経歴を作ってもらった。


 ガラテヤに帰国していた間のことは「休暇」扱いらしい。

 ハーシュサクに雇われるにあたり、新たに「マルソイン家当主カズスムクは、食用人イオを叔父ハーシュサクに売却した」という書類上の手続きが取られた。

 役職は雑用係・兼・事務員・兼・売約済み食用人だ。


 とはいえ、いつまでも食用人でいるわけにもいかない。この頃のザデュイラルは、キリヤガン連邦から来た人族留学生を受け容れるようになっていた。

かの北の大国はザデュイラル同様に魔族国家だが、贄として確保するため多数の人族を国内に抱えている。近年、キリヤガンからの留学生の中にそうした人族が増えてきており、大学もあれこれ対応しているのだ。


 大学に入って学生の身分を得れば、食用の契約は解除できる。僕はすっかり、この国に根を下ろす気持ちを固めていた。



 国立ギレウシェ大学に合格したのは、六九年のことだ。

 外国人なのでザドゥヤ語の試験に加え、アース語のスピーチと小論文と面接、それに学部ごとの筆記試験があったが、どれも余裕だった。


……と言いたかったのだが、面接には苦労した。ザデュイラルでの面接では通常、料理に対する心構えを腕前を問われる。

 人生で初めて料理に取り組むにあたり、僕は再び、カズスムクから地獄のような特訓を受けたが、まあそれも良い思い出だ……。


 国が違っても、大学というのはどこか似た空気がある。新しい学び舎に入った僕は、それがことのほか嬉しかった。

 帝都の下宿で事務仕事と勉学に励む、めまぐるしくも充実した日々。

 時間が過ぎるのは、あっけないほどに早い。

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一二七〇年四号月七日 蛇曜日イヨデルヤク

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ご成婚おめでとうございますタリフキリ・オズ・ウリル・バシュルカ!」 〔Tarýchkirg ås ulir Basiewrqa!〕


 アンデルバリ子爵カズスムクは二十歳になり、正式にアンデルバリ伯爵位を継ぐと同時に、婚約者のイェキオリシ伯爵令嬢ソムスキッラとの結婚式を挙げた。

 カズスムクが式の介添えに指名したのはタミーラクだ。


おめでとうタリフキリ! おめでとうタリフキリ!」


 帝都ギレウシェの大聖堂に、祝福の鐘が鳴り響く。黄金に光り輝くカズスムクの飾り角ハロートに、フエミャで正装したタミーラクは約束のリボン・イチシをかけた。


「幸せにな」


 一言そう声をかけた親友に、カズスムクとソムスキッラは微笑みかける。

 結婚式の介添えは、贄であってもクロークを被らなくて良いらしい。その代わり、彼の首には輪廻十字の首環がつけられていた。


 天も祝福するようによく晴れ渡った温かな日、美しい大聖堂にふさわしい荘厳で豪奢な式。その中心に心の通じあった新婚夫婦とその友人がいる。

 永遠にとどめておきたいような、かけらも欠かさず幸福な情景。


 今日はイェキオリシ伯爵家より寄贈された贄が一人奉納される。この時、内臓のほとんどは保存食に回し、精肉部分が優先的に使われる。

 メインディッシュに出てきた料理は、胴体を中心にバラバラにした手や足や、脳を露出した頭部などが並べられ、人間をまるごとローストしたものだった。


 僕は何も知らずにそれを見たため、ぶっ倒されそうになるのを堪えた。夏至祭礼の印象から、元の形が分からない料理が出てくるだろうと思ったのに!

 新郎新婦がナイフで切れ込みを入れると、係の使用人たちが招待客に料理を切って配る。挨拶やスピーチなどの行事は長々と続いた。


 それが終わればのんびりとした歓談の時間。カズスムクは、久しぶりに会うタミーラクとゆっくりと言葉を交わしていた。

 この挙式まで、タミーラクはトルバシド侯爵邸に閉じこめられて過ごしていたのだ。この数年で彼が外に出されたのは、夏と冬に碧血城で行われる贄のお披露目だけ。そこでは、誰もが宮廷料理長自慢の食材を褒めそやす。


 カズスムクとはずっと手紙をかわしていたが、顔を見るのも数ヵ月ぶりだろう。結婚式と爵位継承の準備で、ここ半年は侯爵邸を訪ねる余裕もなかったのだ。

 この式と披露宴は、彼らが交流を持つ最後の機会になる。


 明日には、タミーラクの元へ碧血城の馬車が来ることになっていた。祭礼まですでに三ヶ月を切っているが、式のためにギリギリまで引き伸ばしていたから。

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