公平な獣と平等な肉

公平な獣と平等な肉(前)

 ぐるぐると様々な気持ちが渦巻く。色とりどりの石が混ざった泥のように、全体は柔らかいが、ところどころに固いものがあって、気味の悪い動きが止まらない。

 茶話さわかいが始まってどれだけ経っただろうか。この短い間に聞かされた食人鬼社会での生活は、僕の浅はかな好奇心を打ちのめすには充分だった。


 けれど後悔はしていない。想像を絶する彼らの世界は、僕にとっては恐ろしく残酷なものだが、訊かなければ良かったなどとは決して思わない。

 なぜなら僕は【肉】には飢えなくとも、智に飢え続けているのだから。


「俺も六歳の時、生え変わりニマーハーガンの祝いに〝弟〟を食ったよ」


 一人で干しトマトの揚げ物を平らげて、タミーラクが静けさを破った。


「俺が食った友達の名前はウェロウ〔Velou〕――もう顔も思い出せないのに、あいつは嘘みたいに美味かったんだ。すね肉の砂糖煮とか、脳の黒バターがけとか」


 Velouさだめ――「(ザドゥヤ語)運命、宿命、(物事の)成り行き、結末」だ。


 か弱い子供は、人間に戻りたい悪霊たち、ザツワやダルククにとって格好の獲物だ。守護聖霊ニマーハーガンは日夜それと戦っているが、五年から七年で力尽き、棲んでいた角が抜け落ちてしまう。この時、子供は最も無防備な状態だ。


 そこで親は、生まれた時に与えた初い牙のアウク短剣に加え、新しく宿り牙のアウク短剣を与えて、二つ一組で肌身離さず身に付けさせる。

 死んだニマーハーガンは祖霊のもとへ還り、新たな力を与えられてよみがえるので、新しい角が生えればひと安心だ。これを境に、犬歯も急激に発達してくる。


 こうして、ニマーハーガンへの感謝と子供の健康を祝って、同じ歳の、できるだけ一緒に育った子供を食べるのだ。最初期には、実の兄弟を殺して食べさせたらしい。


「うちには何人も〝ウェロウ〟がいた。コガトラーサじゃ、ニマーハーガンの生け贄はみんな同じ名前をつける……兄上たちに一人ずつ、俺にも一人。お祝いのたびに、その子がいなくなる。だから、俺は嫌だって言ったんだ。こんなのはいらない、ウェロウを返して! って」


 その時初めて、父はタミーラクを平手打ちした。


『お前は馬に同情し、尾とたてがみを残す狼か?』


 たとえタミーラクが食べようが食べまいが、料理された時にはすでにウェロウは死んでいる。だから食べずにそれを無駄にすることは、決して許されない。


『タミラ〔Tamira〕、食べものにはただ感謝せよ、さもなくばウェロウの命に対する侮辱だ。あの子はお前の中に生きる、生かすために食らい、その味を忘れるな』


 それ以上父に抵抗することもできず、泣きながらタミーラクはスープを口にした。二、三口でぴたりと涙が止まって、目の前がはっきりしてくる。

 鼻をすすり、改めて料理の匂いを胸いっぱいに吸いこんで、「ウェロウはこんな匂いだったんだ」と思った時、猛烈に空腹を覚えた。後は、もう無我夢中だ。


『父上、ウェロウはこんなに美味しくなって、偉いね!』


 最後には笑って、命をありがとう、と繰り返し言っていたという。


「今年はまた、新しいウェロウが死ぬ。甥っこと、そのウェロウがいてさ、もうそろそろ角が生え変わりそうなんだ。料理する時は俺も手伝うから、とびっきり美味しくしてやりたい。そういう運命ウェロウだ」


 晴れ晴れとした笑顔で彼は語り、僕はただただ絶句するしかない。


「んーと、そうだな」タミーラクはものを数えるように、ぴんと指を立てた。「あんた、俺の名前が変だって思わなかったか?」


 急に話題が変わったなと思ったが、それは僕も気にしていた点だ。


「僕はザドゥヤの言語文化にはまだ疎いですが、〝タミーラク〟が外来語であることは分かります。伯爵のカズスムクも、ハーシュサクも、どちらもタルザーニスカ神話由来の名前だ。おそらくやや古風ながら、男子名としてはごく伝統的なものでしょう。でもあなたは、異国の古代史に登場する将軍の名前から取っているから、発音もザドゥヤ語の法則から外れている。ですよね?」

「いやそこまで解説しろとは言ってねえんだけど」


 タミーラクは眠そうな虎そっくりの、うんざりした顔になった。

 ちなみに彼の名前 Tamirrag をザドゥヤ風に発音するなら「タミルライタミッライ」である。


「こういうのをさ、〝赤い名前スタンザ・ユニム〟〔Stanzå ynim〕ってんだよ。角を塗るのと同じ、贄に出す用スタンザの子供には、ひと目で分かる名前をつけんの」


 ニマーハーガンの祝いを終えた後も、タミーラクは友達がいなくなったこと、自分がその子を食べてしまったことを思って泣いた。そこへ父が現れて告げたのだ。


『聞きなさい、タミラ。お前は陛下のザカーになる、そのために生まれてきた。ウェロウと同じだ、日々すこやかに成長し、お前が美味しいと喜んだあの料理のようになる。だから、これからもたくさん食べなさい。二十歳になる年、陛下のもとへ行くその日までは、お前も私の愛する家族なのだから』


 その瞬間に何もかも、ふに落ちた。友達を食べた自分もまた食べられる、そのことはひどく自然で、理屈にかなっている、と。そう思った瞬間に、またウェロウの味がよみがえってきて、――こんなに美味しくなれるのなら、悪くないと思えた。


「あなたも、贄!?」


 アジガロのことを聞いたとき以上の衝撃で、僕は思わず声が大きくなった。彼の爵位について僕は疑問を記したが、その答えがこれだ。


 贄候補スタンザの子供は法的には〝供出きょうしゅつ〟という身分になる。彼らは親が爵位を持っていれば、それに準ずる位を与えられた。家督はもちろん、財産の相続権も持たないが、として。


[ザドゥヤ語で貴族を意味するカヤフギェは「供物を捧げられる」であると同時に、「供物に捧げられる」でもあった。これは明らかに平民、被食階級を指すサルクスとは区別された呼び方だろう。すなわち〝高貴なる贄〟だ。]


 実は、僕がマルソイン家の使用人だと思っていた案内役も、タミーラクの実家が寄こしたお目付け役だった。彼は一人で外出も許されない身なのである。

 絶句した僕の顔は、さぞかし見ものだったに違いない。


――美味しく食べてもらわねえと、死ぬのも無駄になる。


 火葬と土葬の話で彼が言ったのは、そういう意味だったのだ。そして、味見のために肉を抉った僕を笑ったり、「綺麗にやってやれよ」などとまで! こうなると、ソムスキッラの「オレンジを食べさせる」も印象が違ってくる。

 タミーラクは体格が良く、たくましい体つきをしていた。だからたっぷり肉が取れるだろう、なんてバカな考えが混乱した僕の頭をよぎっていく。


 タミーラクは「してやったり」と言わんばかりに、ニンマリと笑っていた。彼はいつからから狙っていたこの場所に、石つぶてを投げ入れるつもりだったのだ。

 それが見事、お目当ての所に命中した。


「ま、角を塗るまでは〝候補〟どまりだけどさ。平民が貴族に【肉】を差し出すように、貴族は皇帝陛下とそのご一族に【肉】を差し出す。年にざっと三十六人、持ち回りで供犠方ザカールシギャ〔Xakhrzigja〕になった三十六の家から」

「三十六人?」


 ガラテヤのとある公爵家では、十二号月から一号月の八週間で、二千名近い客をもてなし、2万2936コドラ〔Qdla〕の肉が消費されたと言う。

 これは客人と公爵一家が食べた後、使用人たちに下げ渡す量も含むが、それでも狩りで食用に供されたキジなどを差し引いてこの数字だ。


 仮にこれを人肉として成人男性で換算すれば、二百人近くにもなる。それを、皇帝といえど年間三十六人で我慢せねばならないのか。

 ソムスキッラが説明を引き継ぐ。


「帝国臣民三千万のうち、貴族と定められている家は千二百十八家族。すべての貴族は約三十四年に一度、供犠方の役を負って、一族の一人を贄として献上するのよ」

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