12

 ぼくは考えられる限りの場所を探した。でも、どこにも瀬川さんの姿は見えない。そんなに遠くには行ってないはずなのに……


 だけど、彼女を追いかけていった、彼女と仲の良い女子の姿が体育館への渡り廊下の窓からちらりと見えた。外に出たのか……


 内履きだけど、この際しょうがない。後でまた校内に入るときに靴底を洗えばいい。ぼくはそのまま渡り廊下の玄関から外に出る。


 瀬川さんが、いた。


 体育館の軒下、コンクリートの地面にうずくまって、泣いているようだ。左右に二人の女子がそれぞれ並んで、慰めている。ぼくに気がつくと、彼女の右側の子がキッとぼくを睨み付ける。


「何しにきたのよ!」


 その声に、瀬川さんが顔を上げる。目が真っ赤だ。ほっぺたが涙でぐしょぐしょに濡れている。


「翔太君……」


 瀬川さんがかすれ声でつぶやく。


「あんたのせいで、美玖がこんなに泣いてるのに……連れ戻そう、って言うの?」


 彼女の右側の子がぼくを睨み付けたまま立ち上がろうとする。が、


「いいよ、マイ」瀬川さんがそう言って右側の子の左腕を握り、首を横に振る。


「美玖……?」マイ、と呼ばれた女子が瀬川さんの顔を覗き込むと、彼女は、いかにも無理矢理だったけど、笑顔を作ってみせた。心配しないで、とでも言うように。


「マイ……ミカ……小道具の仕事、まだ全然終わってないでしょ? 私は大丈夫だから……戻っていいよ。翔太君と少し、ここで話したいし」


「……わかった」二人の女子が立ち上がる。「美玖、元気出しなよ。こんなヤツに何か言われても、気にしないでさ」


 そう言って、二人はぼくの方をちらりと睨む。なんだかすっかり悪役になっちゃったみたいだ。


「うん。ありがと」瀬川さんは弱々しく微笑んで、二人に向かって手を振り、彼女たちが渡り廊下に向かって歩いて行くのをしばらく目で追っていた。


「ごめん。瀬川さん」二人が校内に入ったのを確認して、ぼくは瀬川さんに向かって頭を下げた。「ちょっと言い方、きつかったよね」


「ううん。そうじゃないの。翔太君は何も悪くない。悪いのは……私だよ。ほんと、嫌になっちゃう。なんで上手く演技できないんだろう……」


 瀬川さんはそう言って、また悲しげに目を伏せる。


 こんな時、彼女に何を言えばいいんだろう。ぼくにはわからなかった。だけど、必死で考え続けたぼくは、去年の演劇大会で脇役だけどキャストをやったときのことを思い出す。


「ねえ、瀬川さん」


「え?」


「瀬川さんは去年、キャストだった?」


 彼女は1年の時はぼくと別のクラスだったので、その辺りは知らないのだ。


「ううん。衣装係だった」


 そう。彼女は裁縫が得意なのだ。今回もキャストとしての役割以外にも、衣装係の手伝いをしてもらっている。


「そうか……ぼくはね、去年、キャストだった。脇役だったけど。やっぱり、セリフが棒読みになっちゃってね。まあ、1年の演劇なんて、わりとそんな感じだったりするけど……でもね、そんなとき、中田先生が言ったんだ。『君、役を演じようとしてるでしょ』って」


「え……どういうこと? 役って、演じようとするものじゃないの?」


「うーん……難しいんだけど、先生が言うには、演技って、その役のふり・・をするんじゃなくて、その役の人に心からなりきる事なんだって。ぼくはただ、その役のふりをしていただけなんだ。でも、それじゃ棒読みになるのも仕方ない、って、先生に言われちゃった。本当に演じるためには、その役の人になりきって、その役の人の気持ちにならないといけないんだ、って。そうすると、セリフに感情がこもるんだって」


 言いながらぼくは、やっぱり一度だけでも中田先生に彼女の稽古を見てもらっておけば良かったな、と後悔する。きっと先生なら、彼女の問題点にすぐに気づいて、去年のぼくと同じように適切なアドバイスをしてくれたはずだ。そうしたら、彼女もこんなふうに泣くまで辛い思いをしなくて良かったかも……


「そうなんだ……確かに、言われてみれば私、『キャシー』のセリフは全部覚えているけど、ただ覚えただけで、『キャシー』がどういう気持ちでそのセリフを言っているのか、なんてあんまり考えてなかったな」


「『キャシー』になりきるんだよ。『キャシー』は今こんな気持ちなんだ、だからこういうセリフを言うんだ、ってさ」


「なるほど……感情移入、ってことね」


 随分難しい言葉、知ってるなあ。一応ぼくも意味は分かるけど。


「私、小説を読むときは、割と登場人物に感情移入できるんだけど、映像作品だとなぜか時々それが上手くできなかったりするのよね。ほら、小説だと地の文で登場人物の心理描写とかちゃんと説明されてるじゃない。だけど映像作品だとあんまりそういう説明ってないでしょ?」


「ああ、確かに」


「私、あんまり感受性豊かじゃないんだろうね。どっちかというと数学とかパズルとかの方が得意だし」


 確かに瀬川さんは数学の学年トップだった。だけど……それと感受性は、別な気もするけどなぁ……

 それに、感情の乏しさってことなら、ぼくのクラスにはどう考えたって彼女よりもはるかに上の存在がいる。


「そうかなあ」ぼくは首を捻ってみせる。「瀬川さん、いつも感情を豊かに表してると思うけど。常にポーカーフェースの誰かさんと違ってさ」


「ぷっ」瀬川さんが小さく吹き出した。「瑞貴のことね」


「ええっ?」


 ぼくは驚く。確かにぼくの意味する「誰かさん」はその人だけど、いきなり下の名前……?


「私、彼女とは1年の時はクラス違ったけど、幼稚園、小学校と被ってるのよ。でも私は途中で転校したから、一緒だったのは5年くらいかな? だけど彼女のことはよく知ってる。あの子、すごく綺麗だけど、変わってるよね」


 そうだったんだ……知らなかった。


「翔太君……あの子の事、気になってるでしょ」

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