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「!」


 ぼくは思わず高科さんの顔をのぞきこむ。彼女は恥ずかしそうにうつむいていた。


 今にして思えば、部屋で一緒にいたとき、彼女はずっと何か言いたそうにもじもじしているようなところがあった。だけど、ぼくの帰り際になって、ようやく心を決めたらしい。


「え、ほんとに? いつなの?」


「来月の4日だけど」


 文化祭が来月の2日の土曜だから、終わった直後、連休の最終日だ。


「行きたい! あ、でも……チケット、買わないと……だよね」


 お金……あるかな?


「実はね……二人分のチケット、既にあるんだよね」


「ええっ?」


「ラジオ番組のプレゼント企画でね、お父さんが応募したら、ペアチケットが当たったの。ところがその日、お父さん、出張が入っちゃって、行けなくなったんだって。だから……翔太君が行けるのなら、一緒に行きたいな、って……」


 そうだったのか……


 ぼくはちょっと、がっかりした。結局、お父さんの代わりでしかないのか。


 だけど、ぼくは今までJポップのアーティストのライブやコンサートになんか、行ったことがない。クラシックだったら一応二回経験がある。最初は学校に来た移動オーケストラ。そして二回目は、川村先生のリサイタル。

 でも、動画サイトでいろいろなJポップアーティストのライブ映像を見る限りでは、クラシックとは全然雰囲気が違う。クラシックのコンサートでは演奏中に観客が騒いだりすることはないが、Jポップのライブでは、曲の最中でも観客がもう大盛り上がりで、踊ったり手を叩いたり奇声を上げたりしている。そういうのを体験するのも、きっと悪くない。


 そして。


 このライブは、高科さんとの二度目のデートになる。これはもうぼくとしては大いに望むところだ。また彼女との距離を縮めることができるだろう。


 答えは決まった。


「なんか……お父さんに悪い気もするけど……チケット無駄にするのももったいないよね。だから、お言葉に甘えることにするよ」


「良かった」


 高科さんの顔が、一気にパァッと明るくなる。


「それじゃ、一緒に行こうね。約束だよ」


「うん」


 こんな風に、未来に楽しみができるのって、なんだかとてもワクワクする。


 考えてみれば、彼女からイベントに誘われるのはこれで二度目だけど、川村先生のリサイタルの時は、結構あっさりと誘っていた気がする。あの時はこんな風にもじもじしたり、明るく笑ったりはしなかった。やっぱり、少しずつだけど……彼女もぼくのことを意識し始めている……ような気がする。でも……どうしても確信が持てない。


 それに。


 実はぼく自身も、高科さんに対する気持ちが、よくわかっていない。彼女と一緒にいると楽しいし、ドキドキしたり、胸が締め付けられるような気持ちになったりする。これ、彼女のことが好き、ってことなのかな……今まで、こんな気持ちになったことなかったから……よくわからないよ……


 とりあえずぼくは、文化祭が終わるまでは今の関係を続けることにして、終わった後でも今の気持ちが変わっていなかったら、彼女に告白しよう、と決めた。


---


 読み合わせがようやく終わり、時間もなんとか30分に収まるようになった。いよいよ立ち稽古(実際に体を動かして演技しながらの稽古)だ。基本的には中田先生が演技指導をするのだが、先生もいろいろ仕事を抱えているので、毎日は稽古に出てこれない。そうなると、メインとなって演出をするのは、ぼくの役割になる。


 主人公の「ドン」役は、ぼくと同じ苗字の坂本 大樹だ。彼は割と整った顔立ちなのだが、実は超絶的にアニオタなので女子ウケがあまり良くない残念なイケメンだ。もっとも彼はそれでも何も気にしていない。三次元の女には興味がないのだそうだ。


 しかし意外に大樹は演技が上手い。やはりたくさん映像作品を見ているからだろうか、芝居がかったセリフ回しが自然にできる。そして歌唱力もある。アニソンをカラオケで歌いまくって鍛え上げたのだそうだ。ただ、大きな問題があった。


 映画でジーン・ケリーが見せていたような華麗なタップを踏むのは、彼もさすがに無理なのだ。だいたい、タップシューズも誰も持っていないし、わざわざこのために買うというのもあまり現実的じゃない。そもそもタップダンスを教えられる人もいないし、いたとしてもあと二週間ほどの練習でタップダンスができるようになるとも思えない。

 だけど……あの印象的な雨の中のダンスのシーンは、短くはしたとしても、全て削ってしまうのは誰も望んでいないことだった。


 どうしたらいいんだろう。みんな考え込んでしまった。


 そんな時、隆司が言った。


「吹き替えをやったらいいんじゃね?」


 つまり、タップダンスのシーンは、タップダンスをしているかのように見せて、裏でタップシューズの音を鳴らす、という作戦だ。確かにタップを実際に踏むのは無理でも、踏んでいるように見せかけるのはそれほど難しくない。


「いいわね! 細野君、そのアイデアいけるわ!」


 中田先生に褒められて、隆司はめちゃくちゃ嬉しそうだ。そして、大樹はそれに見事に応えてみせた。まず映画の音声に乗せて少し踊ってみたのだが、それなりにタップを踏んでいるように見える。あとは裏方の効果係がタップシューズの音を出せるように練習すれば上手くいきそうだ。そして、この方法なら「ドン」だけじゃなく、他の配役がタップを踏む場面でも同じようにできるだろう。


 しかし。


 大きな問題は、実はもう一つあった。どちらかというと、こっちの方が深刻だ。


 ヒロインの「キャシー」を演じる、瀬川さん。彼女は物覚えはすごく良いのでセリフはあっという間に覚えてしまったのだが、どうにも演技力が厳しい。なぜかセリフが棒読みになってしまう。かといって、配役を変えるわけにもいかない。原作の「キャシー」のイメージに一番近い外見を備えているのが彼女なのだ。

 しかも彼女は歌唱力も抜群。歌うパートでは皆が聴きほれるほどの美声の持ち主だ。そして、本人のやる気もすごくある。だから中田先生もぜひ彼女に演ってもらいたい、と思っているらしいのだが……先生は今は主役の「ドン」の演技指導に力を入れていて、彼女の方にまで手が回らない。それでぼくと隆司が二人で彼女の稽古に付き合っているのだが……どうしても芝居パートの棒読み感が拭えない。


 それに。


 これはぼくの責任でもあるのだが、シナリオが変わって悪役の「リナ」もそれなりに救われる展開になったので、「リナ」役の岡田 里奈さんが、がぜん張り切ってしまった。瀬川さんは岡田さんと同じ部活(卓球部)で、すごく仲が悪いというわけではないが、ちょっとしたライバル関係らしい。なので瀬川さんは、それもあってかなり神経質ナーバスになっているようだった。


 瀬川さんはどっちかというと美人系。高科さんとはタイプが違うけど、性格は気さくでスポーツマンらしくさっぱりとしているので、とっつきやすい分だけ男子の人気は高科さんよりも高い。だけどぼくはもちろん高科さんが一番好みだ。


 岡田さんは明るい性格で、かわいい系の女子。歌唱力が若干厳しい……が、もともと「リナ」は歌が上手くない、という設定なので、むしろ打ってつけと言えなくもなかった。

 だけど岡田さんも、最初は悪役(しかも自分と同じ名前の……)だったので随分気乗りがしなさそうだったのに、僕の脚本を見たとたん、目をキラキラさせて、


「私、この役すごく演りたい!」


 と、わざわざぼくに言ってきた。そして彼女は、持ち前の明るさを活かしてぼくがアレンジした「リナ」を生き生きと演じてみせた。ちらっと見ただけだけで、中田先生がいきなり絶賛するほどだった。


 だが、このままでは「リナ」が「キャシー」よりも目を引くようになり、どっちがヒロインか分からなくなってしまう。それだけに、瀬川さんの落ち込み方はすごかった。自分でもうまく演技できないのはよくわかっている。だけど、どうにもできない。彼女が苦しんでいるのは、誰の目にも明らかだった。


 それでも、文化祭の期日はどんどん迫っている。立ち稽古が一通りできたら、通し稽古(実際に本番と同じようにシナリオに添って演技をする稽古)をやらなければならない。


 その日の放課後も、教室でぼくと隆司は瀬川さんの「キャシー」の立ち稽古に付き合っていた。大道具、小道具の係のメンバーもそこで作業をしていた。


 練習を何度も繰り返しているはずなのに、瀬川さんのセリフはどんどんぎこちなくなっていた。表情も固い。


「うーん。今のシーン、もう少しにこやかにできないかな。もう一度やろうよ」


 ぼくがそうダメ出しした、その時だった。


 いきなり、瀬川さんの目から大粒の涙がこぼれ落ちる。


「……ごめんなさい!」


 そう言って、瀬川さんは顔を両手で覆うようにして教室を飛び出して行ってしまった。


「美玖! ちょっと待ってよ!」


 彼女と仲のいい、小道具係の女子が二人、その後を追いかけていく。ぼくはそれを呆然と見送ることしかできなかった。


「……」


 周りの視線が痛い。なんだかぼくが彼女を泣かせた、みたいな雰囲気になっている。そんなにきつい言い方したつもりはないんだけど……でも、あのシーンのダメ出し、これで5回目だったからな……きっと彼女もすごく辛かったんだ。ダメ出しされるだけで心が折れてしまうくらいに。そんなふうに気づけなかったぼくの心が、罪悪感でいっぱいになる。やっぱり、ぼくのせいだ。


「翔太、お前……瀬川のところに行ってやれ。俺がここで、他のキャストの立ち稽古見てるから」


 隆司がそう言って、教室の出口の方に顎をしゃくってみせる。


「わかったよ……みんな、ごめん」


 みんなに向かってぺこりと頭を下げると、ぼくは一目散に駆けだした。


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