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 スタッフの人がピアノ椅子を持ってきて、元々川村先生が使っていたピアノ椅子の横に並べる。そして、川村先生の右隣に、当然のように彼女が並んで座る。アンコールだ……しかも、連弾……?


 拍手が一気に消え、高科さんの椅子の高さ調整が終わる。演奏が始まった。


 これは……ラヴェルの「マ・メール・ロワ」だ。その四曲目、「美女と野獣の対話」。高音の「美女」の部分を高科さんが担当し、低音の「野獣」の部分を川村先生が担当している。


 すごかった。二人の息がぴったりと合っている。


 そして、二人の指が止まる。万雷の拍手。

 

 二人は並んで立ち上がり、揃って観客に向かって頭を下げた。


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「ごめんね、ずいぶん待たせちゃって」


 制服に戻ってメイクも落とした高科さんが、大きなバッグを持って玄関にやってきた。バッグには、たぶんドレスが入っているんだろう。


「いや……別に、いいけどさ。でも、びっくりしたよ。いきなり連弾してるんだもの」


 高科さんは、かすかに笑ったようだった。


「大成功」


「え?」


「翔太君をびっくりさせようと思って、黙ってたんだ」


「そうだったのか……」


「ね、翔太君」


「なに?」


「冬にまたここで発表会があるからさ。その時、わたしの演奏聴きに来てくれる?」


「あ、ああ。ぜひ聴かせてもらうよ」


「約束だよ」


 そう言って、また彼女はかすかに笑った。


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 文化祭まで3週間。


 ようやくシナリオができた。30分に収めるためにかなり内容を省略してしまった。劇中で使う音楽も3曲に絞った。"Singing in the rain"、"You were meant for me"、そして"You are my lucky star"。高科さんは「Fit as a fiddle」もどうしても入れたかったようだったが、とても30分の枠の中に収まらないし、そもそもあのダンスを役者キャストたちが再現するのはまず無理だ、となるとさすがにあきらめたようだ。


「待ちくたびれたよ……もう他のクラスは稽古始めてるところもあるんだぜ」


 隆司は口を尖らせながらも、シナリオを受け取った。


 キャスティングは隆司に任せてある。と言っても、登場人物は基本的に原作からそう変わらないので、シナリオができてなくても決めることが可能だ。一応ぼくは演出のメインと音響のサブを担当することになっているのでキャストからは外れているし、高科さんはずっとピアノに向かっている必要があるので、やっぱりキャストにはならなかった。


 もちろんキャスト以外にも、大道具、小道具、照明、音響などの係が必要だが、それらもすべて隆司がクラス会で決めてしまっていた。演劇大会には、クラス全員が何らかの形で関わる事になるのだ。


 時間がかかりそうな大道具は、映画を参考にして既に作り始めているらしい。ちなみに隆司は音響のメイン兼歌唱指導担当。実は彼は小学校の頃から少年合唱団に所属しているため、歌は抜群に上手いのだ。


 さらに、彼は軽音楽部でギターを弾いているので、音響の知識も豊富だった。と言っても、音響再生機器についてはぼくの方が詳しいくらいだが、楽器やエフェクター、ミキサーなどの音響制作機器に関しては、彼の知識には全くかなわなかった。実際彼はDTMで作曲もやっているくらいなのだ。


 クラス委員長で、なおかつ軽音のギタリストということもあり、隆司はぼくと違ってかなり女子にモテるのだが……彼は中田先生一筋で周りの女子には目もくれない。高科さんもあまり彼の好みではないらしい。彼と女性の好みが違っていて助かった……って、なんでそんなことでぼくはほっとしてるんだ?


 それはともかく。


 その後、ぼくはシナリオを総監督である中田先生に渡した。シナリオに一通り目を通してから先生は、これなら特に修正しなくてもいいんじゃないかな、と言った。お墨付きをいただいた、というわけで、ぼくはシナリオをそのまま人数分コピーして、各キャストに配った。まずは読み合わせだ。キャストを全員集めて、最初から最後まで自分のセリフを読んでいく。


 本当はその前に本読みと言って、脚本の作者がキャストの前でセリフを読んでいく、という過程があるのだが、あまり時間もないし、キャストたちは予め映画の「雨に唄えば」を何度か見ておくように隆司から要請されていたので、自分の役のイメージは既にできているようだった。だからいきなり読み合わせに入っても大丈夫だろう、とぼくは考えたのだ。


 最初の読み合わせには中田先生も同席して行われた。しかし……そこで、問題が発生した。


 やはり、時間が足りないのだ。


 ぼくは自分で一通りセリフを読んで時間を計り、歌を含めても30分以内に収まるように書いたつもりだった。だが、先生は「セリフをもっとゆっくり話さないと伝わらない」と言い始めたのだ。


 確かに、ぼくは自分でもかなり早口でセリフを喋っていたような気がする。でも、やっぱりその速さでは聞き取りづらい。実際にキャストに口にしてもらって、よくわかった。


 しかし……


 そうなると、歌無しでぎりぎり30分くらいになってしまう。歌がトータルで6分の予定だから、ちょうど歌の分の内容を削らなければならない。かといって、歌を削ったらミュージカルではなくなってしまう。


 なんてことだ。大失敗だ。

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