「それじゃあまた四年後に」

望月くらげ

「それじゃあまた四年後に」

雪でも降り出しそうにどんよりとした寒空の下、私は公園の入り口にある自販機で買ったホットココアを手に、待ち合わせ相手が来るのを待っていた。待ち合わせているのは田坂たさか悠一ゆういち。中学生の頃の同級生で、私の初恋の人だった。

 年度末直前のこんな時期に有給を取ったことで課長には嫌な顔をされたけれど、そんなことどうでもよかった。この日をずっと待ち遠しく思ってきたのだ。たった一日休むぐらいなんだ。私は四年も待っていたのだ。誰に怒られたってかまわない。

 

 悠一と私は、この公園でよく二人並んで飲み物を飲みながら話していた。買うのは決まって私がココア、悠一がレモンティーだ。夏はアイス、冬はホットに変わるだけで全く同じ飲み物を二人並んで飲んでいた。

 初めて悠一とこうしてこのベンチに座って話をしたのはいつだったか。中一のはじめだったかもしれないし、終わりだったかもしれない。もうハッキリとは覚えていないけれど、気付けば私たちは学校からの帰り道にあるこの公園の入り口で飲み物を買い、こうしてベンチに座って話すようになっていた。

 付き合っていたわけじゃない、でもいつかは告白したいそう思っていた。でもあの頃の私は、この時間を壊すのが嫌で、まだ時間はあるとそのときを先延ばしにしていた。

 終わりなんて、あっけなく訪れることを知らずに。

 中学二年のあの日もこんなふうに雪が降りそうな空をしていたっけ。ううん、あの日はもうすでに雪が降っていた。そんな中でもいつものように公園を訪れて私たちはベンチに座っていた。

 三年生の入試が終わり、いよいよ私たち二年生にも進路調査の紙が配られたあの日、私は悠一の進路が気になって仕方なかった。できれば同じ高校に行きたい。そう思っていた私が尋ねるよりも早く、悠一は言った。

「俺、引っ越すことになったんだ」

 その言葉に、私は何も言えなくなった。寂しいとか離れたくないとかいろんなことばが喉まで出かかったけれど、付き合っているわけでもない、ただこうして帰り道で飲み物を飲みながら話をする友達に過ぎなかったから。

 今思えば別に友達だから言っちゃいけないなんてそんなことはなかったと思うし、むしろ友達だからこそ言ってもよかったのかもしれない。でも、あのときの私はそんなことを言えば気持ちがバレてしまうことの方が怖かった。結局、私は可愛げのある言葉一つ言えないまま「そうなんだ」と言うのが精一杯だった。そんな私を悠一は笑うと、私に問いかけた。

「今日って何の日か知ってるか?」

「今日? 何だっけ。あ、そうだ。閏日だ」

「正解。閏日って四年に一回来るだろ? だから、俺も四年に一回、お前に会いに帰ってくるわ。なんて今思いついたんだけどな。どう? なんかよくない?」

 ヘラヘラと笑う悠一に「どこに引っ越すの」と声を絞り出して尋ねると、苦笑いを浮かべて「北海道」と悠一は言った。私たちの住む街からだと飛行機を使っても数時間かかる。お金だって何万円もかかるはずだ。中学生が簡単に行ける距離じゃない。四年に一度でも多いぐらいかもしれない。

「何しに帰ってくるの?」

「えー、別になんでもいいよ。例えば、ここでこうやって飲み物飲みながら喋るだけでもさ」

「そんなことのために……」

 どうしてこんな言い方しかできないのだろう。もっとほかに言い方があるだろう。でも、生憎と私の口からは可愛げのない言葉しか出てこなかった。

「お前にとってはそんなことでも、俺にとってはそんなことじゃないんだよ」

「ふーん」

「ま、お前が来ようが来るまいが、俺は四年に一度ここに来るから。だからお前も気が向いたら来いよな」

「考えとく」

 精一杯の答えに、悠一は笑った。そして「雪、積もってるぞ」なんて言いながら、悠一は私の頭に積もった雪を手で払うと、飲みかけのレモンティーを飲み干した。まねをして私もココアに口をつけた。ずっと握りしめていた手の中のココアはぬるくなってしまっていたけれど、触れられた頭から伝わる熱で、身体中があたたかいような、そんな気がした。


 あれから、三度の閏日が訪れた。そのたびに、約束通り悠一は帰ってきた。高校三年生の閏日はお互いこんなことしてる場合じゃないねって笑い合い、二十二歳の閏日は春から社会人になることに喜びと一抹の不安を抱えていたのをよく覚えている。それでも「それじゃあまた四年後に」と言った悠一の言葉を支えに頑張り続けてきた。

 それから――三度目、二十六歳の閏日は。

「あ、降ってきちゃった」

 空からは真っ白な雪が次から次へと舞い落ちてくる。この調子だと、夜には積もるかもしれない。そうしたら、飛行機が飛ばずに悠一は北海道に帰れないかもしれない。そうなったら明日も休んで悠一と一緒に過ごそうか。どこかへ行くのもいいかもしれない。

「――なんて、悠一が来たら、の話だけど」

 四年前の今日のことをよく覚えている。スーツ姿でやってきた悠一は二十二歳のときよりもずいぶんと大人の顔つきになっていた。趣味のいいネクタイは誰かからの贈り物だろうか。四年間ずっと会いたかったはずなのに、目の前に立つ悠一がまるで知らない人のように見えた。

「久しぶり」

「うん」

 あんなにも会いたかったはずなのに、話したいことがあったはずなのに、私たちの間には気まずい空気が流れるだけだった。

 結局、たいした話もしないまま悠一が帰る時間になり、私は立ち上がる悠一の姿を見上げた。

 そして気付いた。悠一の左手の薬指に、四年前にはなかった指輪があることを。

「結婚したの?」

「……来月、式を挙げるんだ」

「そっか……」

 おめでとうって言うべきだってわかってたのに、言葉が出てこない。代わりに、溢れそうになる涙を必死に隠すと、私は悠一に背中を向けた。

「っ……そろそろ、行かなきゃでしょ。じゃあ、また四年後にね」

「……ああ」

 そう返事をする悠一の声が聞こえたあと、悠一が公園を出て行くのがわかった。

 まだ、だ。まだ泣いちゃダメだ。

 遠ざかる足音が完全に聞こえなくなると、私はその場にしゃがみ込んだ。ほとほとと流れ落ちる涙が、足下に小さな水たまりをいくつも作っていく。

 本当は気付いてた。会いたいのなら、四年に一度なんて約束を守ることなく会いに行けばいいこと。連絡だってしようと思えばできたのに、それをしなかったのは私だ。想いを、伝えなかったのも私だ。

「ぅ……くっ……」

 私に泣く権利なんて、悲しく想う権利なんてないのはわかってる。わかってるけど!

「あっ……あああっ!」

 一度あふれ出した涙はとどまることを知らない。泣いて泣いて泣き続けた私の背中には、気付けば雪が積もっていた。でも、もうその雪を笑いながら払ってくれる人はいなかった。


 気がつけば夕方になっていた。わかっていたけれど悠一は来なかった。当たり前だ。結婚して可愛い奥さんがいるのだ。もしかしたら子どももいるかもしれない。こんなところ来ていいわけがないのだ。

 もう帰ろう。そう思って私はベンチから立ち上がると、ぬるくなったココアを飲み干してゴミ箱に捨てた。

 もう二度と悠一はここには来ない。でも、それでも私は次もその次も閏日が来るたびにここを訪れてしまうだろう。

 彼と過ごした忘れられない日々を確かめるように。

「それじゃあ、また四年後に」

 呟いた言葉は、雪に吸い込まれるようにして消えた。そして私は一人歩き出す。いつか、彼と歩いた道を。

 

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「それじゃあまた四年後に」 望月くらげ @kurage0827

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