第2章

第18話 魔女の提案

 現代の日本のとある地方都市の一角。既に日は西の空へと落ち、立ち並ぶ店や走り去る車といった営みの光が代わりに闇を照らす。

 それらの光は同時にそこに住む人々の生活の様子を如実に表していた。


 そしてその街の中心部の地域、いくつかのオフィスビルが立ち並ぶ商業地区。その一つ、既に中の人間は皆無であるビルの屋上、低めのフェンスを越えた先のへりに腰を掛け、スラリとした両足を遊ばせて街を俯瞰する少女がいた。


 本来ならば人のいるはずのない場所であり、いるはずのない時間帯。それなのに何事もないように平然と。

 月光を受け輝くふわりとした銀の髪を夜風に揺らし、明け方の蒼の瞬間の空を思わせる色の澄んだ瞳は宝石をまばらに散りばめたような夜の街へ向けている。

 その少女がそこにいる、それだけで周囲はまるで、違う世界のような雰囲気に満ちていた。




 …………言い過ぎかな。まあ、こんなシチュエーションだ、多少自分に酔ってみたくもなるもんだ。



 僕は今、この辺りで一番高いビルの屋上から自分の故郷である街を見下ろしている。

 正確には前の僕が生まれた街であり、そして……死んだ街でもある。訪れるのは七年ぶりくらいだ。


 何十年もご無沙汰なわけではないから、そこまで大きな変化は見受けられない。それでも知らない公園やコンビニなんかができていたり、ここからでも見える場所で様変わりしている場所はちらほらある。

 それは僕に時間の経過というものを否が応でも感じさせていた。


 正直なことを言うと、もうここには来る事はないと思っていた。

 僕は少し前セシルさんから、そのまま一緒にいるかそれとも帰るかと聞かれたが僕は前者を選んだ。その時から、もう自分はこことは一切の関わりの無い人間だと考えていた。

 いや、本当はそのはずだったんだがなあ……



    ◆◆◆             ◆◆◆



 新たな土地での生活を始めて一ヶ月ほど、住む家も簡単に見つかり、すぐさま住みやすいように改装も済ませた。そうして僕たちはその土地にすぐに馴染み始め、まあまあ快適な生活を送っていた。

 何よりも周りの人間から好かれているのが大きかった。セシルさんは研究者としての本業のほかに、よくお医者さんや学校の先生といったことをやっている。そしてここに来てからも、既にこの地域にも、国を隔てて、ある程度魔術師としての名が知れ渡っているのもあり、簡単にそれらの地位を手に入れられた。

 そういう職に携わるのは稼ぐのが楽というのもあるが、それ以上に手っ取り早く周囲に溶け込むことができるかららしい。


 様々な土地を転々とするセシルさんが言うには、新天地での生活は信頼を得ることから始まるとのことだ。

 僕自身も手伝いとして働いているが、買い物をするとき顔を覚えられていておまけしてもらったり、小さい子どもから懐かれたりしたときなどすでに日常の中でそれを実感するときがある。


 そんな楽しい生活の中で、とある日の夜、夕食を食べ終わり、くつろいでいたときのこと……


「むむっ、くっ……このっ」

「……」


 そうやって何やら、うなっているセシルさんは、ソファーに寝そべりながら落ちものパズルゲームをやっている。

 こういうのはシンプルなだけにいくらでも飽きずにできる、僕たちのお気に入りの一つだ。


「あっ……」


 声を出したまま、手が止まった。きっとミスって終わったんだろう。


「ふぅ……ね~え、レンちゃん」

「何ですか~」


 ため息を一つ、ゲームの電源を切り、机の上において起き上がったセシルさんは唐突に話しかけてきた。それに僕は読んでいた本から目を離さぬまま、声だけで返事をする。

 どうせ大した事ではない、明日の朝食は何がいいとか、その程度のことだと思ったから。


「私たちってさ~出会ってから結構経つよね~」

「そう……ですね」


 いきなり変な事聞くな、何の話だろう……


「でも、僕たちはほとんど変わりませんけどね」

「そんなことないよ。私はともかく、レンちゃんは成長したでしょ~」

「本当ですか~」


 そのままの調子で会話を続ける。何とな~くだが……その意図が分かってきた。


「ホントホント、なんていうか落ち着いたっていうか……大人になったと思うよ。身体は変わらないから、あんまり変わった感じはしないかも知れないけど、精神が若いままってことと未熟であるってことは別だからね」

「そうですか……で?」

「!?」

「いや、なんか言いたいことがあるんでしょ? ほらほら、早く言ってくださいよ」

「…………」


 今まで流暢に話していた口がピタリと止まる。図星のようだ。

 この人は僕と話すとき、切り出しにくい話題を振るときに、突然脈絡がなく、当たりさわりのない話から始めることがままある。今回もそんな感じがしたが……正解だったな。


「ん~そういうところも鋭くなったよね……いいことだよ。実を言うと、一度、レンちゃんのいた世界に、というか日本にまた行きたいな~って思ってる」

「……はえっ!?」


 突然の展開に変な声が出てしまった。読んでいた本を膝に置き、ガバっと身を起こしてセシルさんの方に向き直る。

 ちょっと待てよ……聞き間違いじゃないよね?


「どうしてそんな急に? この前、もう僕は向こうに未練は無いって言ったじゃないですか。それにこっちの暮らしもいい感じになってきたのに……」

「あ~それはわかってる。だから……レンちゃんの為じゃなくて、私が行きたいの」

「はあ……」


 僕のためじゃなくて、自分が行きたい……か。


「確かにレンちゃんは例え帰れるようになっても私と暮らすって言ってくれた……でも、向こうにまた行きたくないとは言ってないよねえ。それにホントは一度は戻ってみたいんでしょ?」

「うっ……それはそうですけど」

「じゃあ、いいでしょ! 引っ越してから忙しくて、丁度落ち着いてきたこの時期だからこそ、一度故郷でゆっくりとしようよ」


 僕が拒否できずにいると、突然嬉しそうになるセシルさん。その口ぶりから、もう行くことは決定事項のようだ……


「別に向こうに住むってわけじゃない。ほんの二週間くらい、ちょっとした旅行感覚だよ」

「うん、まあそれなら……」

「それにレンちゃんもせっかくだから、ご両親に一度顔を見せたらどう?」

「…………そうですねぇ」


 父さんや母さんに……


「だけど会ったとしても、僕の心は変わらないですよ。あくまでもこっちに住み、一緒にいるってことは」

「もちろん、そのことはわかってるよ。あと私もご挨拶したいしね」

「じゃあ……いいですよ」

「決まりだね。あ~ワクワクしてきた」


 確かに僕はセシルさんとこれからも一緒にいることを選んだ。どんな世界でも付いていくすることを選択した。もうそれは例え両親に会っても、揺るがない決心だ。

 でもだからといって、会いたくない、行きたくないなんてことはない。

 つまりセシルさんも一緒にきて一時帰宅。考えてみれば……まあ悪くない話だ。


 でもなんだか……僕がそれなりの覚悟をして決めた選択を、茶番にされてしまった感じがしたが……こういう人だ、それは仕方ないか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る