第7話

ライデンとひとしきり話して、朝早くに出て来てしまったのもあり、絵美は重い足取りで帰路についた。

帰り際美貌の妖精は優しげに目元を緩ませて、


『またいつでもお帰りください』


いつもの言葉を口にして見送ってくれた。

その言葉がいつにも増して身に染みたのは、いろいろなことがあり過ぎたからだ。


本当は朝から晩まであの場所にいたい。

けれど、あの洋館は絵美を中には入れてくれなかったのだ。

ライデンいわく、洋館自体にも魔法がかけられていて、魔法をかけたアルフォンスの認めたものしか入ることのできない造りになっているのだとか。

ただ、絵美はアルフォンスの孫であるから、魔法の上書きが可能であると言われたが、魔法を使ったことのない絵美からすれば、そんなもの無理難題であった。


それに、と絵美は思う。

たとえ上手く魔法が使えたとして、孫の顔も知らずに亡くなった祖父が築き上げた領域を、絵美が勝手におかしてもいいものなのか悩むのだ。


あれほど夢にまで見た世界が、今はとてつもなく憂鬱に感じられた。


花のアーチを目の前にして、足を止めた。


それは城に戻るのがもちろん嫌だったのもあるが、アーチの向こうに誰か立っていたからだ。

こちらから向こうは見えているが、向こうからこちらは見えていないのだろう。

真っ直ぐ立っているその人は、不安げな表情でこちらを見つめていた。


「…メリナ」


それはこの2週間、献身的に絵美に仕えてくれていた少女だった。

ミルクティー色の髪は綺麗に結えられ、青葉色の少し垂れ目がちな瞳。優しげな見た目に反して、強かで、はっきりものを言う。

歳は絵美より8つも離れているからか、少し距離があるように思っている。


彼女は何も悪くないのだが、真面目だろうその性格から、きっと絵美のことを心配していたに違いない。


(とりあえずこの顔をシャキッとしなくちゃダメね)


気持ちを切り替えるために訪れたはずの場所で、さらに微妙な気持ちになってしまっては行った意味がないと、ばちんっと音を響かせて頬を叩く。


「……っ……よしっ!」


あまりにも強くたたき過ぎて、痛さに顔を引きつらせて気合を入れその勢いのままアーチを潜り抜けた。


突然現れた絵美に驚いたような顔したメリナに、しっかり貼り付けられた笑顔を向ける。


「ごめんメリナ。ちょっとそこまで遊びに」


ついでにぺろっと舌を出そうとしてやめた。

26歳の女がすることではないだろう。

絵美が笑顔を向けたからか、メリナが口を開こうとして、そして最後は悔しそうに眉を寄せた。


「ーー急にいなくならないで下さい。こちらにいらっしゃるとわかっていても心配になるのです」


ひょっとしたら他に言いたいことがあったのだろう。けれどそれを口にしなかったのは、絵美のせいだ。


「本当にごめんね」


真面目に言っているだろ相手に笑って謝るのは失礼だろうが、その優しさに触れるには相手はいささか幼過ぎて、まだ全てを任せられるほど信頼できてもいなかった。



あまり会話も弾まないまま与えられた部屋へと戻り、1人になりたいとメリナに伝えた。

絵美にも酷なこと言っている自覚はあった。

けれどあんな唖然として、そこから青葉色の瞳に涙が溜まるのは一瞬のこと。決してその涙を零すまいと、慌てて頭を下げて出て行ったメリナに、絵美もかける言葉がなくいっとき突っ立ったままになってしまった。


瞬時に頭を駆け巡ったのは、『大人気ない』の一言だ。


立ち尽くした状態からやっと正気に戻ると、近くにある柔らかそうなソファに、頭を投げ出して横になった。


「…あんな顔させたかったわけじゃない」


そんなこと今更言ったところで、もう後の祭りである。


「…おばあちゃん……お母さん…」


呟いてから泣きそうになった絵美は一つ深呼吸した。

あれほど憧れた世界に、背を向けたくてしょうがない。

知らない言葉が城のあちこちで飛び交って、その噂話に否定も出来ず肯定も出来ず、もう逃げたくてしょうがないのだ。


(どいつもこいつもあたしを無視してペラペラと…)


そこまで考えてから、手のひらで顔を覆いながら今日一番のため息を零す。


(…無視してるのはあたしも一緒ね)


メリナの優しさに知らないふりをして、あんな顔をさせてしまった。

相手はまだ18歳の少女である。この世界でいくら成人を迎えた女性だとしても、絵美の世界ではまだ成人していない子どもだ。


泣きたいのか、怒りたいのかよくわからない感情が渦巻く中、絵美はそのまま眠りについた。


次に目を覚ましたのは、コンコンと扉を叩く音である。

ハッとして目覚めた絵美は、ぼんやりする目を音のする方にゆっくりと彷徨わすと、コンコンと再び音が鳴った。


どれくらい眠ったのか。テラスの向こうを見て、まださんさんと陽が照っていることからあまり時間は経ってないようだ。

三度目のノックオンに絵美はやっと返事を返した。


「ーー…はい」

「国王陛下の使いのものがお越しです」


扉の向こうから部屋を守る衛兵の低い声が、聞こえた。

普段はメリナが入り口で対応してくれるが、その彼女は今はいない。


とりあえず居住まいを正して、どうぞと声をかけた。


ゆっくりと扉が開かれて、入って来たのは見たこともない、けれどどこにでもいそうな男だった。

だいたいアーノルドが使いに寄越すのは見慣れたレオンと言う男の侍従だったのもあって、絵美は訝しげ眉をよせた。


「失礼します、姫さま。陛下がお呼びでございます」


自己紹介もなくただそれだけ言う男に、さらに首を傾げる。

絵美は朝、朝食に誘われていたとメリナが言っていた。それは朝早くしかまともな時間が取れなかったということではないのか。


「では参りましょう」


返事も待たずに男は、手を差し出してきた。

絵美はその手を見る。手を取れということだろうことはわかるが、わざわざそんなことする必要性を感じがなかった。

後ろをついていけばすむ話だ。


「ーー…どうされました?」


一向に手を取らない絵美に痺れを切らしたのか、声をかけてくる。


普段なら歯牙しがにもかけないようなことであるが、この時ばかりは絵美はその手を取れないでいた。

もともと警戒心が強い上に、ただでさえ誰も信用できていないのだ。


「ーー…自分で立てるので大丈夫です」


その手を取らないですむよう、極力笑顔で素早く立ち上がった。


すると男は、一瞬その濁った土色の瞳をしばたかせて、そのうちどろりと瞳を細めて笑った。


「ーー…いけませんね、姫さま」

「ーーっ!?」


それは先程の男と同類なのか。ニヤリといやらしく笑う男は差し出していた手を、そのまま絵美に伸ばしてつかもうとしている。

ぞくりと肌が粟立ち、絵美は反射的にその手を避けた。

その手が絵美を掴むことなく空掴むと、男はだらりと手を下ろして困ったように首を傾げた。


「ーーどうして避けるのですか」


本当に不思議そうにつぶやかれた言葉に、絵美は無言で返す。

返す言葉が見つからなかったというより、得体の知れない男に恐怖を抱いたからだ。


「手荒な真似は私の矜恃ではないのですがね」


その恐ろしい言葉を聞いて絵美の答えは決まった。


ガシャンっと大きな音を立てて、サイドテーブルに置かれていた花瓶が粉々に砕け散る。

そのまま逃げるため、背を向けずに後退りをした。

花瓶の割れる音を聞いて、扉の衛兵がノックも疎かに慌てて入って来た。


「困りましたね」


ちらりと衛兵の方を煩わしそうに見て笑った男は、そしてすぐに絵美に向き直る。

衛兵は2人の異様な空気を感じ取ったのか、すぐに絵美の方へ走って来ようとして、壁にぶつかった。


「っな、これは結界っ⁉︎」

「邪魔者は静かにしていてください」

「何をーーーーーー」


その後衛兵の声は全く聞こえなくなる。

何かを叫んでいるのに、全く聞こえないのだ。

どうしようもない現状に1人がもう1人に指示を出しているのか、慌てたよに走って行ったが、絵美は1人ひんやりと背中に冷たいものが垂れるのを感じた。


(このままじゃ、この男から逃げられないっ!)


その間もじりじりと後退りをする絵美を、男は笑って追い詰める。いつでも捕まえられるだろう絵美を、ゆっくりと追い詰めるのだ。


そしてそのまま大きなテラスまで、出てしまった。

激しく心臓は脈打つのに、空は絵美の気も知らず美しく晴れ渡っていた。


「大人しくしていて下さいね」


諭すようお願いしてくる男に、逃げ場のなくなった絵美は引きつりそうになる笑を無理やりつくる。


「大人しくなんてできるわけないでしょう?」


ちらりと手すりの下を覗く。高さは三階ほどの高さだ。下は柔らかな芝生が敷き詰められて、落ちたとしても命は助かるかも知れない。


(これぐらいの高さ、あの空中遊泳に比べたら大したことないみたいに見えるわね)


ファルファームへ来たときのことを思い出した。あの高さに比べればこの高さは可愛いものに見えてくるから不思議だ。

絵美は震える息を浅く吐き出した。

この世界に来て2週間。なんでこんなにも平穏がないのか。

精霊女王に精霊王、どこから出たかわからない噂や陰口。


(英雄の孫で、聖女の娘?それだけ大それた肩書きで、なんの力もないなんて言わないでよっ)


そろそろ限界なんだ。


(おばあちゃんっ、力を貸して)


振り回されているのは。


絵美は手すりに手をかけた。

どうかしていたのかも知れない。それでもなんとかなるという、当てのない確信が彼女をその行動に移させた。


ふわりと宙を舞った絵美の身体は、そのまま落下すると思われた。

けれどいくら待ってもその気配は感じられない。それどころか、身体中を優しく包むような風がふわりと駆け巡る。

恐る恐る絵美は銀の瞳を見開く。

そして瞬いた。


「ーーっ。『黄金の林檎』?」


絵美の腕の中でクルクルと回りながら、美しい黄金色に輝く林檎が輝きを放っていた。

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