第3話

「おはようございます、エミ様。陛下がご一緒に朝食をと」


メリナは2週間前にこちらに来られた、アルフォンス様のお孫であり、アーノルド陛下の姪孫てっそんであられる姫のお世話を任されていた。

いつものように寝室へ呼びに行き、大きなテラスのある窓のカーテンを開ける。そうして部屋へ朝日を注ぎ、寝台へ近づいて行き目覚めを促すのだ。

大きな天蓋てんがいの寝台の真ん中が盛り上がっていて、まだ就寝中であることがわかる。

普段ならまだ寝かせてあげたいところだが、今日はアーノルド陛下が忙しい合間をぬって、姫様と朝食を取りたいと言うのだ、しっかり準備しなくてはならない。


「エミ様、起きてください。朝でございます」


返答はない。

メリナは仕方なく掛け布団剥ぎ取ることにした。


「失礼いたしますっ!……エ、ミ、様……?」


バサリと剥ぎ取られた掛け布団の下を見て愕然とする。

わなわなとメリナは震えだすと、叫ぶのだ。


「っっっっエミ様ぁああああっ‼︎またでございますかあああああぁあっ⁉︎」


そこには丸められ簀巻すまきにされた布団の塊があるだけで、肝心の主人は間抜もぬけのからであった。





バルサ王宮の中には3つの庭園が存在する。


一つは表側の広大な庭園。

二つは中庭の温室庭園。

三つは裏庭の王族専用庭園。


その三つ目の王族専用庭園は、その言葉通り王族しか入ることの出来ない庭園だ。

そこへ落ち着いたクリーム色のあまり華美でないワンピースを着た女性が現れる。

伸ばしっぱなしだった黒髪は、最近背中の辺りまでに整えられ、パサパサだった髪はだいぶ艶が出てきてた。それもこれも、四六時中お世話をしてくれるメリナのおかげであろう。

肌にしてもそうだ、ひょろりとした体型は相変わらずだが、肌触りはだいぶ滑らかになった。

26歳にもなって、誰かにお世話されるとは思っても見なかったが。


絵美は裏庭へと続く花のアーチをくぐる。

このアーチの先が、王族専用庭園なのだ。

警備員も何も立っていないこのアーチのどこが王族専用なのかと、疑問に思うことだろう。もちろん絵美も最初はそう思ったたぐいである。

けれどもこのアーチには血の誓約という魔法がかけられていて、バームバッハの血が流れるいわば王族のみ通ることができるのだ。

そこへ王族ではない者がアーチをくぐろうとも、その者は通り抜けたはずのアーチの入り口にまた戻るらしい。

普通なら血の誓約だ、魔法だと言われて信じられないものだが、絵美には凛音がいてくれたおかげで、その手の話には免疫がある。

むしろ、お伽話と思っていた話が現実で、絵美としてはおいしい。

そしてアーチをくぐれる絵美は、れっきとした王族なのだそうだ。

祖父のアルフォンスはこの国の第二王子として産まれ、凛音と出会い結婚し百合を産み、百合からまた絵美が産まれた。

そして絵を通して絵美はこちらの世界に来ることが出来た。それがなぜなのかはわからないが、きっとあの祖父の絵が関係しているのは間違いない。


くぐり抜けた先は色とりどりの花々が咲き誇るのかと思いきや、そこは生い茂る森の中だ。くぐり抜ける前までは確かに花々が見えていたが、それはこの森を隠すための幻覚魔法でそう見せていると聞いた。

そもそもこの森は次元が違うのだという。

王宮の裏にあって、裏にはない場所。

と、言われたとしてもあまり理解はできないのだが、このファルファームの世界はこれが日常なのだ。

この森がここまで閉鎖的な場所なのは、森の中にある〈精霊の泉〉が原因だったりする。

精霊の泉というのは、精霊が精霊界から地上へ出入りするための入り口であって、そんな代物がほいそれとその辺にあってはならなかったため、精霊側が指名した管理者という者に管理をさせるのだそうだ。

そしていくつかある中の泉の一つをバームバッハ王家が管理しているのだという。

人工的に造られた道を少し歩くと、その問題の泉が見えてきた。


(……んー、今日もいるじゃない)


泉の上に、丸いテーブルとティーセットを広げてお茶を楽しむ人物を見て、絵美は肩を竦めた。

目的の場所に行くにはどうしてもこの泉の横を通り抜けなければならない。

下手に絡まれるのも面倒なので、とりあえずどうにかならないかと頭を悩ませたが、どうしても無理なようだ。


〈ーーあら?あらあらあらあら。エミったら、そんなところに隠れていないで、おいでなさいな〉


鈴の音のような美しい声が響き渡る。

諦めて絵美は、その声の主人に姿を見せた。


〈うふふ。今日もまたいらしてくれたのね〉

「…何度も言うけど、あんたに会いに来ているわけじゃないの」

〈あら、つれない。わたくしは貴女に会いに来ているのに〉

「ティティア、あんたあたしを殺す気?」

〈いいえ、わたくしは貴女と契約したいだけでしてよ〉


うふふと、雪のように白い指先が口元をおおう。

脈絡のない会話に白目を剥きそうになりながら、絵美はじろりとこの世のものとは思えない美しい人を見る。

トンボの羽のように薄く七色に光る羽が大小4枚、ビー玉のように光にあびて七色に輝く瞳に、頭のてっぺんから爪先まで緩いウェーブのかかったプラチナブランドの髪、水面の上をまるで床のように、テーブルと椅子を置いてそこに腰掛けている人、否、精霊女王ティティアは、なぜか絵美に会うたび契約をとせがむのだ。

ため息を呑み込みながら、絵美は呆れて口を開く。


「何度も言ったでしょ。あたしはあんたと契約しないの」

〈あら、どうしてかしら?〉

「ーーーっ、もう!だから、あたしにそんなこと出来ないし、仕方もわからないし、出来たとしても精霊女王なんてこの世界の信仰神と契約なんてできるわけないじゃないのよっ!」

〈でもアルフォンスとはしていたわ〉

「それ!それだ!おじいちゃんが契約してたせいであんたの嫉妬深い旦那に目の敵にされるんじゃないのっ!」


そもそもこの精霊と出会ったのは、ちょうど絵美がファルファームへやってきた日だ。

アーノルドについて、バルサ王宮に向かう途中にあったまさにこの泉で出会った。

その時もこの精霊女王ティティアは、泉の上にテーブルとティーセットを広げ、椅子に座って1人でティータイムを楽しんでいた。

静かに1人でお茶を楽しむ姿は、まさに絵のように美しく、絵美はその時スケッチブックと鉛筆を持っていないことをそれはそれは悔やんだ。それほど美しく幻想的な光景だったのだ。


〈ーーあら、アーノルド。お久しぶり〉


こちらに気がついた美しい人は、やはり麗しく微笑みかけた。

けれどその微笑みが少し寂しげに見え、絵美は小さく首をひねのだ。


「おや、ティティア。これはまた久しぶりだ。もう来ないかと思っていたぞ」


驚いたように銀の瞳を丸くしたアーノルドは、ついですぐに穏やかに微笑った。


(ーーティティア…!)


絵美はこの美しい人を知っていた。知っていた、とは少し語弊になる。

祖母が語ってくれたお伽話の登場人物だったからだ。


ーーおばあちゃんね、ファルファームで初めて友達になったのは精霊女王なのよ。

ーー精霊女王?

ーーそう、精霊女王。名前はティティアって言うの。とっても綺麗な精霊でね、プラチナブランドの豊かな髪と、ビー玉みたいな瞳が印象的な、とっても優しい精霊よ。

ーーへぇ、本当にいるならあってみたい!

ーーそうね。私ももう一度会えるなら会いたいわ。

ーーねぇねぇ、その精霊女王のお話聞かせて!

ーーふふ、じゃあこの話にしましょうか、


「ーー…『精霊女王と黄金の林檎』…」


あっ、と思った時にはすでに遅かった。

美しい精霊は限りなくそのビー玉の瞳を見開いて絵美を見ていた。


〈ーー…アーノルド、その後ろの娘は、どなた?〉


その白い指先が真っ直ぐに絵美に向かう。


「誰だと思う?」


一度絵美を見てから、今度は悪戯を思いついた子どものように、アーノルドは歯を見せて微笑う。

亡き祖父の双子の兄だとしたら、大伯父は今年77歳になるのだが、こういう仕草さえ歳を感じさせない、むしろ似合うのだから絵美は舌を巻いて黙るしかない。

ティティアは水面の上を滑るように絵美に近づき、ヒタリと、その白い指を絵美の頬へ添えた。

絵美はどきりとして、思わず肩を竦めて美しく儚い精霊を見上げた。


〈ーー…ああ、アルフォンスの面影があるわ。リンネとユリからはその髪色と、その低い鼻を受け継いだのね〉


ティティアはちょんと絵美の鼻を突いてくすりと微笑った。


(人が気にしていることを)


鼻を隠しながら、恨めしげな目で精霊の高くて形の良い鼻を見ては、言い返す気力も起きない。


〈ーー…アルフォンスも、リンネも逝ってしまったのでしょう〉

「っ、どうして?」


驚いて聞き返す。絵美はまだ何も聞かれていないのだ。聞かれてもいなければ答えてもいないのに、それは確信の言葉だった。

虹色の瞳が絵美をじっと見下ろして、悲しげに細められた。


〈ー…わたくしは精霊女王。全てを見て、全てを知る者。世界は違えど、見えてしまう。知りたくなくても、知ってしまうのよ。彼らはわたくしの友であった者たちだったから…〉


じゃあと、絵美は言葉に詰まる。

この美しい精霊は、祖父が亡くなった時も、祖母が亡くなった時も全て見えていたということだろうか。


〈アルフォンスが亡くなった時、わたくしはとても悲しかった。精霊は涙が出ないから、その代わり地上に雨を三日三晩降らせて、泣いたわ〉

「なるほど。あの時の大災害は君の仕業か」


アーノルドに覚えがあったのか、困ったように苦笑した。


〈そうよ。悪かったとは思っているわ…でも、耐えられなかった。だから私はに止められるまで、雨を降らせてしまった〉

「ーーティティア、君はその頃からアルが亡くなったことを知っていたのか。だから、地上へ降りて来なくなったのだな」

〈ーー…ええ。だって悲しいでしょう?人間と親しくなれば別れが必ずあるのだもの。アーノルド、貴方だっていつかは居なくなる。それならば人間と関わらない方がいい〉


寂しげに伏せられたまつ毛が、今にも泣きそうに震えた。

人の死は突然やってくる。

急な事故や、病気、寿命。

絵美もその事実を知っている。

つい1週間前に祖母を亡くしたのだ。


ーー絵美、お願いがあるの。


それは凛音がまだ元気だった頃。

大学を卒業して、適当な会社に就職した絵美が、凛音の家へ気晴らしに行った時。


ーーもし、絵美がファルファームへ行ったら伝えて欲しいの。


「ーー…”あなたと友達になれて良かったわ。私たちがいなくなることで悲しまないで。別れが在れば出逢いもあるの。その新しい出逢いもきっとあなたを幸せにしてくれる。だから、別れを恐れて泣かないで。あなたは優しく気高い精霊女王。私の大切な親友だから”…ー」


絵美の耳には一言一句しっかり祖母の声が残っている。

祖母は何もかもわかっていたのかもしれない。

絵美がファルファームへやってくることも、精霊女王が悲しんでいることも、自分の死期が近いことも。

ポタリと頬に雫が落ちた。

空を見上げると、先程まで雲ひとつない晴天だった空は、重く垂れ込めた雲が覆いかぶさり雨の雫を降らせていた。


「ーー…おばあちゃんは、またファルファームへ行きたいって。」


しばらくして激しくなった雨は、痛いほどだった。

いつも楽しそうに昔話を語ってくれた祖母は、ファルファームが恋しかったのだろう。


「あなたがファルファームで出来た最初の友達だったと、会いたいと言ってたわ」


雨の粒が頬を伝う。

泣けないといった精霊の頬に伝う雨は、彼女の涙のように見えた。


「おばあちゃんの友達でいてくれてありがとう」


その細くて白い手を両手で包み込む。

祖母が亡くなって悲しかったのは、何も自分だけではなかったのだ。

向こうの世界と同じように、ファルファームでもきっとたくさんの人が祖父と祖母の死を悲しむのだろう。

虹色の瞳がわなわなと揺れる。

頬を伝うのが雨だとしても、それは彼女の心で間違いない。

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