砂漠の民、ソマリ

入川 夏聞

本文

      一


 裸で汗をほとばしらせながら足を踏み鳴らす数十人の男たち、歌い手達が昼夜を問わず無心に叩き続ける大小様々な太鼓の音、いつもは広陵として何も無い砂漠の丘の中心に設けられた、円形の祭り場。その中心には、背の高い、一本の木。周囲には、熱気に騒ぐ見物客。

 祭りは数日続く。砂漠の中で、数日続く。円形の祭り場は、その砂漠に押し込められた者と、押し込めた者との、境界線なのだ。

 砂漠の民は、中心の木の周りで、ただ、踊り明かすのだ。


      二


 少年は、幼い頃の光景をよく覚えていた。彼が初めてみた祭りでは、一族の男たちが一心に中心の木を振り仰ぎ、両手をひろげ、足を踏み鳴らしながら、祈りを捧げる。祭りの前夜には、中心の木の前で、父はまず、こう教えてくれた。

「我々は、太陽の子で大地に住まう者だ。大地で暮らすので、天に還るのは死ぬ時だけだが、それまでは、四年に一度、このように天へ我々の祈りと血を贈るための儀式を行う。中心の木は、天にそれらを贈るための、アンテナのようなものだな」

 そう言って、父は少年を肩車してくれたものだった。少年は、まだ、そこから手を伸ばすだけで何でも手に入れることが出来た。地平線の先まで散らばる雄大な星空も、岩だらけの砂漠に時折転がる美しい鉱石も、目の前のちぢれた父の剛毛と、その愛情までも。

「ソマリ。お前はこれから、何でも出来る。これまでのように、一族の中だけで生きていく必要は、無いんだ」

 ため息をつく父の肩が下がったので、少年は捕まっていた父の髪を強く引いた。ただでさえ、首筋の筋肉が盛り上がっており、収まりづらいのだ。

「おっと、分かった。下を向くなと、言うのだな、すまん、すまん。明日は俺も、儀式の中心で祈りと血を捧げる。ソマリ、お前も砂漠の民だ。よく見ておきなさい」

 はーい、と色良い返事をした息子の細い足を握りしめ、父はもう一度、中心の木を仰ぎ見た。ソマリは父の頭にしがみつきながら、砂漠の民に産まれて良かった、こんなに楽しいのだから、と思っていた。だから、父がぽつり、「次はお前が、八歳になる時か」と寂しそうに言ったのを、特に気にも止めなかった。


      三


 四年が経った。祭りの前夜、ソマリはまた、父と共に、中心の木へとやって来ていた。父のちぢれ毛には透明な白い筋が混じるようになっていたが、筋骨逞しく無駄のない肉体に衰えは見えず、むしろ絹糸のように太陽の光を時折反射するその筋と、一族の族長となり鋭さを増した眼光を備えた父の勇姿は、ソマリの畏敬の対象だった。

「ソマリ、刈り出しはよく手伝っていたな」

 もう族長である父は、それでもソマリと二人きりの時は、昔のように優しい父だった。

「うん。この木、毎年ホーピ高原から刈り取っていたなんて、全然知らなかったよ」

「あそこは、昔から我々の聖なる場所なんだ。そこに生える最も大きく、真っ直ぐで、厚い葉が空をおおうように枝葉の豊かな壮年期のコットンツリーを大地から譲り受けて、我々は太陽へ祈りと血を捧げるのだ。そうして、一族は永劫の安寧を保つ」

「うん……」

 腕を組んだ父は、少年の顔を覗き込んだ。

「明日は、大切な祭りだ。お前も女たちと見届け人たちの世話を手伝うことになる。浮かない顔をしていると、笑われるぞ?」

「父さん、僕達の一族って、かわいそうなの?」

 父の眉間に、深い彫りが刻まれる。ソマリは、下を向いていて、父の表情には気づかない。

「学校の友達がね、いつもからかうんだ。可哀想な砂漠の民は、住む場所も砂漠と決められて、野蛮な祭り産業で生きている……ってさ」

 ソマリが父の顔を見上げた時、すでに父は木を仰ぎ見ていた。

「ソマリ。世界は、広い。お前は、もっと広い世界を知るために、学校でよく勉強するといい。我々の一族が、本当に可哀想なのか、そうではないのか。お前が、決めるといい」

「……父さんは、族長なのに、否定しないんだね」

「もう、寝よう、ソマリ。だが、これだけは言っておく。私は、この一族の全てを誇りに思っている。それは昔もこれからも、絶対に変わらない。だから、私は他人がどう言おうと、構わない。人は、自由なのだ。太陽の子は、この大地で、自由に生きることを許されているのだ。我々は、その感謝を忘れない。祭りは、その証なのだ。さあ、寝よう、ソマリ。明日の祭りを、よく見ていなさい。そして、外と内の境界線上で、人々の目がどこを見ているのかを、よく観察していなさい」

 父は、ソマリの背中を支えるように、押した。ソマリは少しだけ、明日が待ち遠しくなった。


      四


 四年が経った。祭りの前夜、ソマリは一人で、木を見上げていた。泣き腫らした顔は赤く膨れ上がり、何度もこすった目元は黒い跡がモヤのように貼りついていた。

(何だよ、こんな祭りが、何だって言うのさ)

 先程の父の荒声が耳元に不快に残っている。

「ソマリ! 貴様は、我々一族の誇りに、泥を塗る気か! 俺がお前を外地の者と同じ学校にやっているのは、そんな戯言をほざくような者にするためでは、断じてない!!」

 そうして父の岩盤のような硬く大きな右手で頬を張られる映像が脳裏に浮かび、ソマリはギュッと目を閉じた。また、涙粒が溢れて、足元の乾いた大地に染み込んでいく。

 背後で、音がした。ソマリは急いで、涙を払った。

「ソマリ、やっぱり、ここね」

 ソマリは、腰に手を当てて、木を見上げながらぶっきらぼうに言った。

「母さん。女は祭りの中心には、入れないんだ。父さんが、怒るよ」

 母はくすくすと、笑った。

「父さんは、そんなくらいじゃ怒らないわよ。それに、祭りは明日から。あなたも今年からは、サークルの中で、祭り男の見習いよ。早く、寝なくちゃね。祭り男にメスが入るところを見るのだから、血の気が足りないと卒倒、しちゃうわよ?」

 母はソマリの側に来ると、ショールを肩からかけてくれた。チクチクとした羊毛の感触が肩先にくすぐったく伝わり、共に乗せられた母の手から伝わる温もりが、目頭を熱くさせた。

「……これは、何ドルなのさ」

「あら、女みたいな事、聞くのね」

「僕は、今学校で社会と経済を学んでる。祭りが一族にとって、大事な産業だって、理解してるさ。だから……」

「血を捧げる野蛮さを無くして、各地で興行しよう、って?」

 ソマリは、黙った。拳が、震えている。母はその様子をチラリと見やり、それから木を見上げた。

「ねえ、ソマリ。この木は、何でここに立っているのかしら」

「ふん、何も知らないんだね。僕らは太陽の子、四年に一度、偉大な太陽へ、祈りと血を捧げる必要がある。その依代となるのが、この木さ。聖なる場所ホーピ高原に育つこの木には、大地の精霊が宿り、僕ら一族を天に還す橋渡しをしてくれているんだ。そうしてこの木を中心に祭りを行い、一族の繁栄と、大地の平和を祈る」

「あら、さすが父さんの子ね。とっても詳しいわ」

 ソマリは、母を睨んだ。それに気づいた母も、優しい眼差しで彼を見つめた。

「当たり前さ! これくらい、誰でも知っているべきなんだ。それなのに、最近の一族の奴らは、てんで理解していないんだ。学校ではバカにされて、聖なる祭りは見世物にされて、それでも呑気な顔して平気なんだ! 僕はそれを変えたい! この一族の誇りある祭りは、もっと神聖なものなんだって、この国の連中に、思い知らせてやりたいんだ! 野蛮さを無くして、各地で興行出来るよう上手くやれば、一族全体の収入だって上がるし、そうすれば……」

「ねえ、ソマリ」

 めずらしくソマリの話を遮るように切り出した母の側を、砂漠の風がふわりと駆け抜けていく。

「明日の祭りは、どこがどう、野蛮なのかしら」

「それは……祭り男の胸の皮を摘んで浮いた部分へメスを入れて、その隙間にツリーの枝を差し込むなんて、外地の見届け人からすれば、野蛮さ」

「あなたは、どう思うの?」

「野蛮なもんか! あれは血を捧げるための大前提で、挟んだ小枝にはこの木に繋がる紐を繋ぐ。大地と天と、全てに繋がれた祭り男は足を踏み鳴らし、汗に混じる血を大地に振りまいて、祭りの数日間をずっと祈り続けるんだ! それのどこが、野蛮なのさ! ちくしょう!」

 涙声で地団駄を踏む我が子を、母は優しく包み込んだ。

「それならば、あなたは立派な砂漠の民よ。私にとってはね、あなたがあなたで、そのままで十分に、幸せなことなのよ」

「……わからないよ、ママ。わからないよ」

 小さく寄り添う親子を包み込むように、星空は遠く輝き、砂漠の民の子の泣き声は、柔らかな砂漠の風に乗り、中心の木はそれに合わせるように、重なる葉をざわめかせながら、いつまでも歌っていた。


      五


 四年が経った。ソマリは一人、今年も木の前に、立っている。祭りの前夜は、いつもかつての自分を、思い出す。楽しい記憶も、悲しい記憶も、全ては自分のものだ。

 もろ肌脱いだ彼の上半身は、すでに張りのある筋肉で覆われて、祭り男の伝統的な化粧の赤い筋が、あざやかに周囲を照らすかのようだった。

「ソマリ」

「族長」

 ソマリはゆっくりと振り返り、胸を張った。すっかり白くなった父のちぢれ毛は、砂漠の風になびいて微かに揺れた。

「行くぞ。お前の番だ。一度繋がったら、祭りが終わるまで、そのまま祈りを捧げるのだ」

「ああ、わかってる。誰よりも」

 父はふと目の奥に込み上げるものがあり、あわてて木を見上げた。

「父さん」

「……なんだ」

 その時、砂嵐のようなつむじ風が足元から沸き立ち、砂を避ける二人の一族の男をなで上げるように上昇しながら、中心の木の葉を激しく揺らした。

「僕は、この木を、誇りに思うよ」

「……そうか」

 父は息子の肩に手をおいて、共に歩き出した。いつか感じたその硬い手のひらからは、熱い血潮の流れが伝わったように、ソマリには感じられた。

 父は、言った。

「お前は立派な、砂漠の民だ」


(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

砂漠の民、ソマリ 入川 夏聞 @jkl94992000

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ