3話 菊池、チンパン。あとおっさん。

 私が適当に歩いてる後ろを、だるま少女がトテトテとついてくる。すれ違った外国人が私のすぐ後ろを見ながら何か叫んで「オウ! ジャパニーズコスプゥレファッキンシッ!」いたが知らない。ムカつく。



「だいがくせーはここに来たことあるの?」


「新宿のことか? ……いや、高校生の頃一度来たきりだ」


「こうこーせーは強いの?」


「いや、大学生よりは弱い」


「だいがくせーは強い?」


「無論」



 だるま少女は、無論の意味がわからなかったのか首をかしげたが、私の得意げな表情をみて「そっかーつおいのかー」と呟いた。そもそも何の強弱を聞かれたのかわからなかったが。


 しばらくこのようなやり取りを経た後、私たちは道路を挟んだ所にある、新たな裏路地の入り口へ辿たどり着いた。



「れっつごー」


「待て」



 そのままズンズン進もうとした少女の肩を抑える。



「?」


「何故また裏路地に行くのだ。もっと、こう……どこかあるだろう?」



 せっかく広めの通りに出たのに、なぜ裏路地に行こうとするのか。



「どこかってどこ」


「わからん」


「じゃあ、ご、ごーほーむ?」



 ここは君の住処すみかなのか。

 

 いや、疑問形なのでこれは自分の言葉が理解できていないのだな。


 これまでの会話で、このだるま少女の会話癖や性格がだんだんと分かってきた。大丈夫か、私。



「…………」



 私が裏路地へ入るのに躊躇ちゅうちょしていると、背後からいきなり話しかけられた。



「お前さんじゃないか!」



 ビクッとして、後ろを振り返ると、友人の菊池きくちが片手を挙げ、ヒラヒラとしながら近づいてきた。



「菊池か」



 今日飲む約束をした内の、同回生の方であった。



 菊池は私のことを「お前さん」と呼ぶ唯一のやからである。


 その脳味噌のうみそ内訳うちわけは90%の性欲と10%の性欲であるらしいが、実際はわからない。


 というかお前はどういう評価を世間から受けているのだ。100%性欲じゃないか。チンパンジーにもおとるぞこの男。



「そうだよ、お前さんの友人、菊池だ」


「私にチンパンジーの知り合いはいない」


「なにいきなり!? どういうこと!?」


「うるさい」


「お前さん酷いな、全く。というかどこに行こうとしているんだ。風俗か?」



 チンパンジー未満の生物となぜ私は知り合ったのだろうか。



「いや、裏路地……だ」



 私がそう言い、親指で背後の裏路地を指差すと、チンパンジーがキョロキョロと私の背後をのぞいてきた。



「…………いや、壁しかないけど」



 こいつ、ついに退化しすぎて現実を頭が処理しきれなくなり始めたか。巫山戯ふざけてるのかお前。



「何を言う、私をだまそうなどとんでもない。ここをよく見るのだ、チンパン」



 そうやって、菊池を裏路地の目の前に立たせた。一人の友人(?)として、彼をコッチの世界に戻さねばならない。



「では、前に進みたまへ。現実を見るのだ。チンパン」



 菊池の背中を押して裏路地へと導く。



「ちょ、ちょお前さん、無理だって、壁! 壁だから!」



ーーゴッ。



「アガッ!?」


「なんと」



透明なガラスに顔を押し付けた時と同じ現象が起きた。ほっぺたが空中で潰れている。


パントマイムなんて珍しい芸を覚えているな、菊池。



「だ、だかふぁかへだって」


「なんだって?」


「はなふぃて」



 私は手を退いた。



「だからだって言っているだろう相変わらず無茶な野郎だなお前さんは」



 菊池は顔を抑えて早口に言った。


 そんな演技、私は騙されんぞ。


 だるま少女は、私たちのやり取りを見ながら呆然と突っ立っていた。口があんぐり空いていた。



「こ、こやつはだれだ?」



 菊池を指差して、恐る恐る聞いてきたので応えてやる。



「菊池だ。こいつは菊池だ、チンパンとも言う」


「? お前さん急になに言ってる」



 菊池が首を捻った。



「いや、このだるま少女がお前は誰かと聞いてきたのでな」



 そばほうけている少女を指し示す。



「お前さん。俺は騙されんぞ。何を企んでいるのかはわからんが、随分ずいぶんわかりやすいじゃないか。なにがだるま少女だ」



 そして菊池は、そもそも俺は間違ったことは何一つ言ってないんだがな、と続けて腕を組んだ。



「何を言っているのだ、貴様の目は節穴ふしあななのか。この娘を見てみなさい。ほら、君も話して」



 少女は口を開けたまま何も話さない。なぜだ。



「はぁ……お前さん。疲れているのは良くわかった。悩みがあるならば今日の飲み会で全部吐き出せ、な? よければ良い女の子がいる店だって教えるぜ?」



 心外である。私はまともだ。貴様にはこの幼いだるまが見えぬのか。巫山戯るのも大概たいがいにしてほしい。



「……ま、とりあえずまた後で飲み屋でな」


「お、おいちょっと待て菊池」


「俺はちょっと用事があるんでな! 愚痴ぐちなら後で聞いてやるからさ!」



 スリには注意しなー、などと言って菊池はどこかソワソワと去って行った。そっちに確か風俗店の看板がチラホラ見えた気がするが、まあ良いだろう。


 私をバカにする友人は消えたのだ。結局あいつの頭は煩悩ぼんのうで埋め尽くされいただけだったのかーー。



「ーーって良くはない。絶対に良くはないッ!」



 私は今ここが何処なのかすら理解していない遭難者そうなんしゃなのであった。


 思い出しても時すでに遅し。菊池は人混みの中へ消えてしまっていた。


 あやつめ、私はもう忠告以前にスられているというのに…………!!



「だいがくせー、いこー」



 気の抜ける声がした。


 振り向くと、だるま少女が裏路地の中へ入って行くところだった。



「…………う、うむ」



 私は応えて、裏路地の暗がりへと進んでいった。このまま放っておくわけにもいかない。保護者が不在ならば尚更なおさらだ。


 暗がりの中をテクテクと歩いていく。


 テクテクテクテク…………。


 テクテクテクテクテク…………。


 テクテクテクテ、おい長いぞどういうことだ。


 というか、さっきから同じ道を進んでいる気がするが。



「君」


「神さまとよびなされ」


「君、どうしてさっき話さなかった」


「だって、だいがくせー、 みどり色のおばけと話してた」


「菊池のことか」


「あの、キクチっておばけなの?」


「ある意味でバケモノだが、あれは私と同じ人間だ」



そう、彼は性欲モンスターである。



「うそ、ぜんぜんみため違ってたもの」



 ーーこの少女には世界がどのように見えているのだろうか。


少なくとも私の目に、菊池はチンパーー人間に映っているが。やはり純朴じゅんぼくなる子供には全てを見透みすかされているのか。少なくとも人間として見られているであろう私には朗報である。味方が増えた。菊池ドンマイ。


いや、それよりも聞かねばならぬことがある。



「で、君、ここは何処どこだ」


「ここはここだす。わたしも知らぬです」



 そう言って、さらに奥へとズンズン進んでいく。出口がさっきから全く見当たらないが、本当に大丈夫であろうか。



「ここはおちつきますな」



 口調が変になってる気がするんだが。



「君は裏路地出身かい?」


「それは違うとおもわれる」


「君、神さまならば警察へ連れて行ってくれたまへ」


「ぶつりほーそくには逆らえぬのです」


随分ずいぶんと現実的な神さまだな」


「いまは地上におりますゆえ」


「柔らかそうだなそのだるま」


「やわらかいです」



そう言った途端に、だるま少女がこちらへ突っ込んできた。



「だるまあたーっく!」



 「どーん」と効果音を口で発しながら私の体に体当たりした。



「うげっ!」



 だるま少女がうめいた。私に跳ね返され、転がったのだ。おい、弱いぞこのだるま。



「おのれだいがくせー! きさま強いな!」


「確かに柔らかいな」


「だろう? じまんのいっぴんだ」


「怪我はないかい」


「だるまがまもってくれましたとさ」


「それはよかったとさ」



 随分打ち解けてしまった気がするがまあいいだろう。


 あまりの裏路地の長さにうんざりしていたことだ。少々茶番に付き合ってもいいだろう。


そんなことを考えながら、その場でしばらく立ち止まっていると、



「おい」



 と頭上から声がかかった。


 そちらを見ると建物の裏からニュッと出ている階段に、見知らぬ男が座っていた。40代くらいであろうか。少しやつれた顔をこちらに向けていた。黒いエプロンを身につけていた。

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