恋するお嬢様!それと執事

華咲薫

お嬢様と執事

 ――コンコン


「入っていいわよ」

「失礼します、お嬢様」


 私の返事を待ってから扉を開き、恭しく頭を下げる同い年の男の子。幼少の頃から屋敷の執事として仕えているだけあって、一連の仕草には全く淀みがない……のだけれど、今日に限っては大問題だ。


「……一緒に外へ出掛けるって言ったわよね? その格好はどういうつもり?」

「そう言われましても、学生服以外には執事服しか持ち合わせがありませんので」

「じゃあ服装に関しては置いておいて、喋り方もかえて頂戴。今日だけは契約外なんだから」

「しかしお嬢様……」

「口答え無用! それ以上文句言うなら命令ってことにするわよ?」

「……今日だけだからな」


 ようやく見せる年相応の言葉遣いに、思わず頬が緩む。


「さ、それじゃ行きましょうか」

「了解。どこまでもお伴しますよ、お嬢様」

「だから敬語は禁止だってば!」


 口では抵抗しながらも、四年ぶりに目にした彼のしたり顔がたまらなく愛おしかった。


 ◇ ◇ ◇


「はい、次はこれね」

「……まだ試着させるのかよ」

「当然。せっかくなんだから、一番似合うのにしたいじゃない?」

「どうせあと数時間しか着ないんだぞ?」

「だからこそよ! 私の辞書に妥協という文字は記されていないの! ほら、とっとと着てみて」

「わかりましたよ、わがまま姫」


 ぶつぶつと恨み言を並べながらも、私の選んだ服を持って試着室へと入っていった。二人で最初に訪れたのは洋服屋である。どれだけ執事服が様になっているとはいえ、あの、その……で、デートには相応しくない。私は今日のためだけに新調したというのに。新調! したのに! 毎日顔を合わせているのだから、気が付いてくれたっていいのに! ああ、考えるとムカついてきた!


「ほら、どうだ?」

「カッコいいじゃないのよ!」

「なぜキレる?」

「うるさい! このニブチン!」


 執事なら主人が今日をどれだけ楽しみにしていたかくらい察しろ、馬鹿!


 ◇ ◇ ◇


「なんなのあの男! うだうだと悩んでばっかりで! さっさと駆け落ちすればよかったのに!」

「いやいや、それだとハッピーエンドにはならないだろ? 僕は綺麗な終わり方だったと思うけど」

「結末はね! でも過程が許せないの! 終わりよければ全てよし、なんて都合のいい戯言よ」

「……シェイクスピアのファンに刺されないよう気を付けることだな」


 映画を見終えた私たちは近くにあった喫茶店で休憩している。話題はもっぱら映画について。

 直感で選んだものの、非常に異議申し立てしたくなる内容の恋愛物だった。身分の違いが枷となる二人の恋愛模様を描いた、とてもありふれた作品。それなのにここまで感情移入してしまったのは、自身の境遇を重ねてしまったからだろうか。

 ――もしくは、私たちには選べない結末を簡単につかみ取ってしまったからだろうか。


「じゃあ聞くけれど、君は二人だけが幸せになればよかったと思うのか? みんなに祝福される可能性が僅かでも残っているのに、それを切り捨てる男の方が好み?」

「それは……」


 咄嗟には答えられなかった。

 肯定すれば、あなたは私を連れ出してくれるの?

 否定すれば、あなたは周囲を納得させられるの?


「ごめん、意地悪な質問だった。忘れてくれ」

「……うん」

 

 私たちにハッピーエンドは用意されているのだろうか。


 ◇ ◇ ◇


「そろそろ帰らないと」

「…………」

「聞こえてるか?」

「……分かってるわよ」


 すっかり日も暮れてしまった頃、私たちは何をするでもなく公園のベンチに腰掛けていた。いや、これは抵抗だ。屋敷に戻ればこの夢から醒めてしまう。

 一緒に服を見繕って、ランチして、映画を見て、感想を言い合って、ちょっと豪華なディナーを食べて。笑えるくらい普通のデートだったけれど、私にとってはこの上なく特別な一日だったから。


「……うっ……ぐすっ……」


 だから、明日からを想像すると涙が溢れてきて。


「……泣くなよ」

「……だって、だってぇ……」


 彼は執事という職業上、一年中休みなく働いている。しかし不備か故意かは分からないけれど、彼を縛る契約は365日と明記されていて。つまり、四年に一度訪れるうるう日にだけ彼と私は、執事と主人ではなく、ただの男の子と女の子になれた。唯一普通が――特別が許される日。


「本当に泣き虫だな、君は」

「……誰のせいだと思ってるのよ」

「運命……かな」

「……全然カッコよくない」

「会心の台詞になんて評価を下すんだ」

「……ふふっ、馬鹿なんだから」

「やっぱり、君には笑顔が似合うよ」


 どちらともなく寄せ合った肩が触れ、そのまま私は彼に頭を預けた。


「……あ」


 彼は黙って私を受け入れて、サービスとばかりに、けれどぎこちなく頭を撫でる。心地良い時間が緩やかに流れる。時が止まればいいと、本気で思う。


「あのさ……」

「……なに?」

「その服、似合ってるな」

「……遅すぎるわよ。気付いてたならもっと早く言いなさいよね」

「年頃の男にはハードル高いんだよ」

「知らないわよ。チキン、ヘタレ、ニブチン」


 でも、ありがとう。その一言でまた四年間頑張れる。

 我ながらちょろいと思うけれど。でも会えないわけじゃない。会えないわけじゃないんだ。だから頑張れる。いつまでも。いつまで……頑張れる?


「四年後には二十歳になる」

「……え?」


 また気持ちが溢れそうになった瞬間、彼は思いもよらない台詞を口にした。


「僕と君は執事と主人だ。その関係はいつまでも変わらない」

「そう……ね」

「でも、変えられないわけじゃない」


 その言葉に驚いて頭を起こすと、彼はいつからか私を見据えていた。覚悟をその瞳に宿して。


「四年後の今日、僕は君を迎えに行く」


 熱っぽい言葉が、想いが、冷めかけていた私の身体を沸騰させる。


「もちろん、問題は山積みだ。周囲からも色々と言われるだろう。ぐちゃぐちゃな過程に、君はうんざりするかもしれない」


 彼の言う通りだ。我が家系の契約は命よりも重いとまで言われている。穴があるとはいえ、すべてを覆すのは生半可なことではない。


「でも、絶対にハッピーエンドに辿り着いて見せる。終わりよければ全てよしだって、身をもって実感させてやる。だから、待っていてくれないか?」


 肩を掴む手に力が込められる。目をぎゅっと閉じて、私の判決を待っていた。

 肯定すれば、待ち受けるのは茨の道だ。身も心もズタズタに引き裂かれるだろう。

 否定すれば、これまでと変わらない日々が訪れる。心さえ殺してしまえば、順風満帆な暮らしが送れるに違いない。


 ――そんなの、考えるまでもなかった。


「……ねえ、顔上げて」

「ああ……んッ⁉」


 避ける隙を与えず彼の顔に――唇に、私のものを重ね合わせる。

 今日という日を忘れないように。

 茨に切り裂かれても、立ち向かえるように。

 強く、強く、刻み付ける。


 一瞬とも、永遠とも思える時間の後、目にした彼の顔は見たこともないほど真っ赤に染まっていて。


「……キスくらいでなにニヤニヤしてるのよ、ばーか」

「……その言葉、そっくりそのまま返すよ」


 あまりにも見慣れない様子に、二人で一緒に笑いあったりして。


「今のは先払いだから」

「……先払い?」

「そう。四年後の報酬。受け取ったからには、諦めるなんて許さないからね?」

「これだけじゃ割に合わないな」

「え? なに言って……っ!」


 戸惑う隙に、今度は彼から唇を触れ合わせてくる。

 さっきと同じように、とても強く、決意を込めて。


「……もぅ! ヘタレの癖に不意打ちなんて生意気よ!」

「はいはい、悪うございました。……さて、本気で帰らないとマズいな」


 そう言って立ち上がり、私の正面に回ったかと思うと恭しく手を差し伸べてきた。

 まるで映画のワンシーンみたいに。キザったらしい王子様みたいに。


「待っててくださいね、お嬢様」


 言葉だけは丁寧に、けれど皮肉たっぷりな口調で告げられた彼の覚悟に、私も精一杯の皮肉と、想いを告げる。


「早く迎えに来なさいよ、王子様」

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恋するお嬢様!それと執事 華咲薫 @Kaoru_Hanasaki

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