第11話 化物の集い

 魁は変異して飛び出していった蟇目に追いつくと注意深く周囲を窺う。

 突然紗耶香が倒れたのは見えたが、何だか様子がおかしかった。

 叫び声をあげて、独りジタバタと地面をのたうっていたのだ。

 まるで、何かに襲われたように。

 しかし魁にもその何かは見えなかった。

 暗がりで距離があったが、紗耶香の他に人影は見えていない。

 魁はヘタに近づく事はせず、周囲を含む全体を見渡せるように位置を取る。

 蟇目も同じように周囲を窺いながら言う。

「逃げるか? この香水の匂い、お前昼間の友達だろ。もう正体はバレてる。平常に戻りたけりゃオレ達を始末するしかないんじゃないのか?」

 突然蟇目は何かをかわすように身を屈め、空に攻撃を放った。

 蟇目が地面を蹴って飛び出すと、動物の悲鳴が上がり、塀に何かが打ち付けられた音がする。

 そして音がした所から獣の姿をしたモノが現れた。

 それはイタチのような印象の、少し鋭いフォルムをした変異種。

 しかし全身を覆う短めの毛は、異様な動きで揺れている。風などではなく、一本一本がそれぞれ意思を持っているかのようにうごめいていた。

 光を反射するように煌めいているようであり、ガラスのように透き通っているようでもある。

 虹色にジラジラとしていて直視していると目が痛くなりそうだ。

 この変異種が、昼間会った晴美? と魁は唾を飲み込む。

 晴美はふうっと息を吐くと塀に背を張り付けた。全身の毛が一斉に規則正しく整列し、その色を変える。

 晴美の姿は塀と同化して見えなくなった。

「今までも色んな奴に出会ったが、カメレオンみたいな奴は初めてだな」

 蟇目は飛び出して塀に爪痕を残すように引っ掻いたが、もうそこに晴美はいなかった。

 魁は歪む背景を目で追う。

 体が透けているのではない。表面の色を変化させているだけだから、動きについていけず変化が遅れた分が歪んで見える。

 角度によっては顕著に表れるので注意深く追っていれば追えない事もない。

 だが薄暗い上に周りはのっぺりとした塀。見えにくいが蟇目ならば――と思っていると、青毛の首から血が飛び散る。

 蟇目は反撃するが空振りしたようだ。

 そのまま周囲に注意を払うが見失ったようだ。

 魁も蟇目の周囲を注視する。

「蟇目さん!」

 揺らぎを見て警告を発したが、蟇目の足から赤い血がほとばしる。

 蟇目はくぅと呻き、

「どうやらお前の出番のようだぞ。オレは変異すると色覚が弱くなってな……」

 香水のせいで匂いも追いにくいと言われて魁は逡巡する。

 今日は元々戦いに来たわけではない為、刀も鎧も無い。

 もっとも変異種の正体が晴美だというのなら斬るのは気が引けるが、攻撃を防ぐ手立てもない。

 しかしこのままでは蟇目が……、と考えていると青毛の獣は敵に捉えられないように飛び跳ねる。

 魁はゆっくりと体を回して周囲を見回した。

 早く視線を動かせば見つけにくい。かといって動かなければ敵は背後から襲ってくるだろう。変異した姿からは忍び足に長けた種類のようにも見えた。

 相手も能力の特性を理解した上で、ゆっくりと動いているようだ。

 視界の端に歪みを感じて手刀を繰り出す。

 相手は軋むような奇声を上げて飛びのいた。魁はそのまま歪みを目で追うが、距離が離れると見失ってしまう。

「分かってるとは思うが、今のでどのくらい近づけば見つかるのか測られたぞ」

 おそらくそうだろう、と魁も身を引き締める。

「おや、こんな場面に珍しいお客さんだ」

 電柱に取り付いて遠くを見るようにしている蟇目の視線の先から、小さな女の子が現れる。

 雑に切ったような髪に簡素なワンピースを着た少女。

「燐花さん!」

 魁が声を上げると同時に歪んだ影が燐花の方へと走るのが感じられた。

「いけない!」

 と魁も燐花のもとへと走る。

 晴美は燐花を人質にしようとしている。

 だが当の燐花は澄まし顔のまま、その体を大きく膨張させた。

 牙をむき出し、毛を逆立させた凶暴な怪物へとその姿を変える。

 晴美は動揺したのか、姿を現した。

 その瞬間、燐花は飛び出して爪を閃かせる。晴美はそれを飛んでかわし、また姿を消した。

 相手が見えなくなったからか、燐花は魁に照準を変えて同じように飛び込むが、魁はそれを僅かに身を捻る事で流した。

 攻撃は直線的で単純。

 元々子供な上に理性を失っている為、かわすのは容易い……かと思われたが、燐花は跳躍して周囲を飛び回る。

 前に蟇目に対して使った戦法だ。

 工夫がないと言えばそうだが魁は初戦。

 はたして自分に見切れるか? と魁は息を整えて心を落ち着ける。

 ヴン! と耳元で空気が鳴ったように思って身をかわす。そこへ背後から飛んできた爪がかすめた。

「キイッ!」

 燐花が奇声を上げて一瞬動きを止める。

 なぜかわされたのか分からなかったようだが、それは魁も同じだった。

 燐花はまた跳躍する。数度壁を蹴ってから突進するが、魁は同じようにかわす。

 繰り返し攻撃が飛んでくるが、魁は全てかわしていた。

 魁は自分の事ながら嘆息する。

 蕪古流には「宙視」という全身を眼にするように周囲を把握する技があるが、会得するのはまだまだ先だと思っていた。

 しかし魁も幼い頃から父魁一郎に基礎を叩き込まれている。

 あとは実践あるのみ、という段階まで来ていた所に、素手で相対すると言う状況が、叩き込まれた技を発現させたのだった。

 加えて燐花も幼く、単調な攻撃ばかりだった事も功を奏している。

 一定のリズムで攻撃を繰り出し、必ず頭を狙う。

 魁は足を使って、体の軸をぶらす事無く、重心を最小限の動きでズラして身をかわす。

 流れる水のように力に逆らわず、最小の力で動く、蕪古流の基本だった。

 燐花は牙を剥き出して、地面に着地する。

 攻撃が全く当たらない事にイラついているのか、全身の毛が陽炎のように逆立っていた。

 これは……、と魁は身を固くする。

「気をつけろよ。見えない奴もまだ近くにいるぞ」

 蟇目がどこからか飛んできて着地する。

 こちらも、もう一体の敵と追いかけっこを繰り広げていたようだ。

 魁はどこからくるか分からない攻撃にも注意を払う、が対応できるとも思えず心が焦る。

 燐花の毛がバチバチと火花を散らすと同時に、蟇目は魁の体を引っ掴んで飛んだ。

 バッ! と目も眩むような閃光と共に獣の悲鳴が上がる。

 着地した魁達の目の前には、姿を現し、全身から煙を立ち上らせている晴美の姿があった。

 先日の自分はこうして電撃にやられたのか、と倒れる晴美を見ながら魁は表情を固くする。

 なんとも無様な……、と自嘲するも燐花を何とかしなければと構えを取る。

 毛が光を失っているので続けて電撃を放つ事はないのかもしれないが、油断はできない。

「さっさと用を済ませて帰るぜ。お前はこのガキを押さえてろ」

 と蟇目は倒れている紗耶香に向かう。

「え? できる事なら取り押さえて家に帰したいのですが」

 自分には攻撃をかわす事はできても取り押さえられるかどうか……と逡巡する。

「じゃお前がその女のパンツを脱がすか? 代わりにこれを履かせないといけねぇぞ」

 と蟇目は楓に持たされた代わりの下着を取り出す。

 いやそれは……、と弱っていると暗がりから人の気配がした。

 獣同士が対峙する異様な現場を気にする事なく歩を進めてくる人影は、全体的には人のフォルムはしているものの、人の形はしていなかった。

 全身を覆う黒いマントを着た、少し大柄の体躯に動物の頭。

 黒い羊のような、ヤギのような、角の形からしてどちらかというとヤギだろうか。

 それが人の頭ほどの大きさのメロンパンのような物を盆に乗せて持っている。

「なんだなんだ。今日はバケモンの集会か」

「そのようだね。今日は大変な収穫だ」

 蟇目の毒づきにヤギ頭が答える。

 蟇目が爪を広げて攻撃態勢を取ると、両者の間に倒れていた晴美が、突然一点に収束するように小さくなって消えた。

 何が起こったのか分からず唖然としていると、

「この変異種は貰っていくよ。君も大人しく従ってくれると助かるのだがね」

 蟇目は自分も消し去ろうとしていると受け取ったのか、怒りをあらわに突進した。

 だが蟇目は体を捻るようにして、爪をかすらせただけでヤギ頭を通り過ぎた。

「従う気はないようだね。一体手に入れた事だし、今日の所はこのまま帰るとするよ」

 蟇目は背後からも飛びかかったが、同じようにヤギ頭のマントに爪をかすらせただけで地面に着地した。

 燐花はヤギ頭の言葉に従うようにこの場を離れる。

 あ……、と呼び止めようとした魁を蟇目が腕を上げて制した。

「疲れるのが嫌なので今日は帰るのだ。どうしてもと言うのなら相手をしてやろう。好きに追ってくるがいい」

 とヤギ頭も踵を返し、不気味な笑い声を残して夜の闇に消えていく。

 それを魁達は動かずに見送った。

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