第10話 空虚の爪

 紗耶香はすっかり暗くなった道をとぼとぼと歩く。

 言い過ぎただろうかと後悔もしつつ、いつかは言っておいた方がいいと思っていた事でもある。

 世間にもてはやされ、天狗になりつつある友人に節度をわきまえるよう進言するのが真の友だろう。

 しかしカリスマファッションデザイナーの友人という立場に心地良さを感じていたのも事実だ。

 それを失うかもしれないという気持ちが思い留まらせ、遅くなればなるほどに今更になっていく。

 そうしているうちに、段々と紗耶香に対しても傲慢さを見せ始めていたので、近いうちにこうなるんだろうとも思っていた。

 覚悟はしていたものの、いざそうなってしまうとやはり落ち込む。

 特に目的もなく街をうろついて、気が付けばこんな時間になっていた。

 ふと背後にひたひたと足音を感じて振り返る。

 しかし誰もいない。

 確かに何かが追ってくるような気配を感じたのだが……、と釈然としないまま歩き出す。

 ストーカーとまではいかないが、紗耶香も男に付きまとわれた経験くらいはある。

 いまやカリスマファッションデザイナーとなった晴美とつるんでいるような人間だ。

 つけてくるような気配には敏感だ。

 しかしそれらしい人影どころか、人が隠れられるような場所もなかった。

 耳を澄ませ、背後の音に集中する。

 やはり何か音がする。

 足音にしては妙だ。

 靴の音ではない。しかし確かに足音のようなリズムで音がする。

 ひたひたと、なんというか、まるで裸足で歩いているかのような……。

 背筋が寒くなり、そっと背後を振り返る。

 やはり何もいない。

 しかし音も聞こえなくなったように思う。元々はっきり聞こえていたわけではない。自分の発する音の反響か何かだったんだろうとまた歩き出す。

 気のせいだと思いつつも早足になる。

 ひたひたという音がさっきより大きくなった。

 早足のまま振り返った紗耶香の目には、背後にゆらゆらとうごめく影のような物が見えた。

 ひっ、と声にならない悲鳴を発して紗耶香は走り出す。

 しかし走る目的でデザインされていない靴は軋みを上げて、早足に毛が生えた程度の速度しか出ない。

 そこへ背後から衝撃。

 どん! と押された紗耶香の体はスライディングするように前方へ倒れた。

 手に下げたバッグから小物が散らばる。

 何が起きたのかと仰向けになった紗耶香の目に、何者かの影が伸し掛かるのが見えた。

 それは黒い、というかジラジラと細かいチラつきのある人型。

 人よりは少し大きいその影は、すぐ目の前にいるのによく見えない。

 陽炎のように揺らめいているようでもあるが、その頭に当たる箇所にはハッキリと紗耶香を見下ろす二つの眼がある。

 猫のようでもあり、鷹のようでもある金色に光る眼は人間の物ではなかった。

 そしてその手で、紗耶香の胸元を押さえ、もう一方の手がスカートの中に入ってくる。

「きゃーっ! きゃーっ!」

 紗耶香はありったけの声を上げて身じろぎし、押さえている腕を振り払おうと掴んだ。

 その感触は表面に毛の生えた、しなやかな動物の腕のようだった。

 穿いていた物を太ももまでずり下げられ、紗耶香は目の前に覆い被さるものを必死に叩く。

 派手に暴れ、腕を強引に振り払うと起き上がって走り出そうとしたが、膝まで下げられた下着に足を取られて転倒。その足を掴まれた。

 再度得体の知れないものを引きはがそうとしたが、足を取られて蹴る事もままならず、悲鳴を上げる事しかできなかった。

 ふと得体の知れないモノが、突然紗耶香を放して飛びのく……とほとんど同時に、紗耶香の目前に風を切る音と共に何かが飛来した。

 飛んで来たのはさっきの得体の知れないモノよりも大きな、全身を青い毛で覆った獣。

 紗耶香は一瞬、きょとんとそれを眺めていたが、微かに引きつった笑みを浮かべるとバタッと倒れた。

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