スパンコールのきらめきを

Planet_Rana

スパンコールのきらめきを


 けばった糸の先を口に含み、毛先を整えて狭い穴に通す。


 私が何度挑戦しても越えられなかった通過の儀式を僅か数秒で終えた彼女は特にそれといった感想を口にする訳でもなく、通した先の湿った糸先を切り落とした。滞りなく、当たり前のように使いようの無い端切れと同一化するそれを尻目に、彼女は糸と糸の端を結ぶ。二本取りするらしい。


 糸の通った細い金属針は、油に濡れて艶やかだ。それを慣れた手つきで白い生地に通していく。素材の端を二重に曲げ、縁を作る。これは生地がほつれないように。端の方まで縫い上げたら、少し戻るように縫う。これも糸がほつれないように。


 糸と生地との関係は、人間関係のかけあいにも似ている。先を急げば完成形は雑になってしまうし、かといってこだわれば際限ない。ボビンを回してミシンを使うのか、人の手で一刺し一刺し縫い上げるのかでも、突き詰めるのではきりがない。結局のところ収まるべきところに収まって、人は人が使いやすいと思った方に適応する努力をするだろうし、できなければ他の道を試すだろう。


 他の道を。


 糸の端で球を結び、糸切りばさみで切り落とした。余った糸を針穴から引き出し、針を持ち替える。彼女が針差しから取ったのは更に細い針だった。ビーズを広げたゴムマットの上から、青いスパンコールを針で弾き引っ掛ける。糸は先程と同じく二本取りするようだが。


「三月一日」


 彼女は唐突に呟く。


「だったっけ。誕生日」


 言葉に起伏はみられず、淡々と語る様はロボットだ。AIでも搭載しているのだろうか、目の焦点は依然針の先。指を刺されても困るので、こちらに向いて欲しいとは言わない。


「そう。戸籍上は三月一日だよ」

「でも、産まれた日は二月二十九日なんでしょう」

「うん」


 回答するが、返事はない。スパンコールを縫い付けて、次の色を針で掬う。ラウンド型のそれはキラキラとLEDの白を反射する。


「待ちに待った三月一日が一日分遠ざかるなんて、四年に一度の嫌がらせみたいね」


 玉止めをすることなく、続けて二枚目のスパンコールを縫い付ける。


「耐水性を考えて、生地をビニール製にした方が良かったかな。布製だとやっぱり汚れが目立っちゃう」

「良いよ、君がしたいように作って」

「もう一回作るのは時間が足りないから、ごめんね」


 彼女は言って、スパンコールを縫い付ける。

 青いスパンコール。黄色いスパンコール。

 きらきらと光るそれが手の中で輝く。


「土に還るのは麻」

「そうだね」

「糸だってちゃんと選んだよ。できるだけ、速く土に還るものを」

「そうなんだ」

「このビーズだって、実はコーンスターチからできてる」

「まじかよ」


 はっとして口元を抑えるも、彼女の返答はない。余程作業に集中しているのだろう。独り言が多くなるのは悪い癖だった。

 通り雨の過ぎた潮騒、テーブルを積み込んだ車内。ダッシュボードの上にある廃材キャップ製の針差し。手元を照らすLEDランプのシェードが傾く。


「できた」


 仕上がったのは三十枚のスパンコールが付いた掌サイズの小袋。彼女は額に手の甲を当て、それから白い石が入った袋を取り出した。


 岩塩。……岩塩!?


 うろたえる私に構わず、彼女は取り出したその石を躊躇なく小袋に詰めた。糸で丁寧に口を閉めていく。


「ロレーヌ岩塩だよ。フライドポテト好きだったもんね」

「確かにフライドポテト好きだけども、だからといって岩塩贈られたらどう扱うべきか手に余るわ!」


 魂のツッコミを全力スルーして、彼女は袋の上部を縫い止めた。どうやらお守りのような形状だ。

 しかし、ストラップをつけることも、名前を刻むこともしない。祈りをささげるには簡素な、のっぺらぼうのお守りである。


 彼女はそれを握りしめ、広げた作業台を片付ける事も無く下車する。

 防波堤の簡易階段に足を掛ける。バランスを崩しそうになるも、落下はしなかった。堤防の上、消波ブロックが波打ち際までを覆っている。


 どっぱあん、ざざざざあーっ。


 波しぶきが彼女の頬を打つ。そうして大きく息を吸い込んだ。

 何度も何度も、飽きるぐらいに。破顔して目頭が真っ赤になるぐらい嗚咽を飲み込んで、鼻をすすりながら歯を食いしばり、手に握り込んだスパンコールのお守りを大きく振りかぶって。


「こぅとぉおしぃのオリンピックはぁあああ! あんたの好きなドイツだってよーっ!」


 投げた。


 綺麗な放物線を描いてお守りが宙に舞い。落下する。着水する。塩水に落ちた岩塩入りのコーンスターチ製スパンコール。


 ルアーがそうするように、周囲に流線を纏い、海流に埋もれて消えていく。勿論、あのきらめきに繋がる釣り糸はない。何かの魚に食われるか、それより先に砂に還るか。岩塩が溶けだした高濃度の塩の膜が暫くは魚を遠ざけるだろうが、人に拾われない保証もない。


 アリアドネも真っ青な寒中水泳。自ら作ったお守りにそれを強いた彼女は、赤くなった目をこすり更に酷くした顔で、精一杯笑う。


「私は! まだそっちに行かないから!」

「うん」

「あんたより沢山楽しいことして! あんたの分も辛い経験して! 全部土産話にして持っていくから!」

「うん」

「大人しく! そこで待ってて!」

「……うん」


 視界がぼやける。どうやら時間らしい。

 手の届かない、けれど確かにそこに存在する貴方に。感謝したい。

 けれどやっぱり岩塩はないと思うんだ、岩塩は。

 色々言いたい事はあるけれど、そのことは君が来てから話そうか。

 ああ、楽しみ。

 四年に一度の誕生日を祝う親友の背に私は指を伸ばして、でも辞めた。


 日が沈む紫の空。水平線は遥か、雲の流れは追いつかない。

 湿った風、潮の匂い。

 彼女は赤い散光と色を増す月を眺めている。


 その瞳は、捧げられたスパンコールの様に。




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