見るべきは空でなく

蒸奇都市倶楽部

見るべきは空でなく

 その日、私は帝都を歩き回ってくたくたになっていた。

『記事になるネタを掴めるまで戻ってくるな』

 朝、機嫌が悪い次長デスクにそう命じられてからというもの、探訪者タネ取りや情報屋など、可能な限りの伝手を頼りにあれこれと経巡へめぐったが、めぼしいネタを掴めぬまま夜を迎えてしまったのだ。


 私のような雑報記者は足で稼ぐと言われている。

 だが、実態は足で稼ぐしかないと言った方が正しい。


 当時、世間は西部市で起こった大事件で賑わっていた。

 記者ならばその大事件を取材すべきでは、と思われるかもしれないが、我々にも縄張りがあって、そういった大きな出来事への取材は普段から一面を取り扱う精鋭がほぼ独占している。

 彼ら精鋭はその精神性はともかく、身なりは紳士的で、着流しや雪駄といった普段着で帝都を駆けている私のような雑報記者とはまるで人種が違っているかのようだった。むろん知識においても、政治や経済、世界情勢に明るく、探訪者や情報屋など駆使せずとも、官僚や各界の知識人との会話や食事から自然とネタを仕入れてくるようであった。我々を併合した大新聞出身というのもむべなるかな。

 他方、高度な専門知識を有さない私のような小新聞出身の三流記者は、世間の潮流とは関係なしに、糧のために強引にでも人の間に立ち入ってネタを探さなければならない。新聞記者にとってのネタは文字通りに飯の種だ。なので肝心の種がとぼしい時には、ほとほと困り果ててしまうのであった。


 このとき雑報記者にとってのネタ――世間の興味を引く市井の噂や覗き趣味的な出来事――がとぼしかったのは、世間の噂や好奇心を西部市の大事件に奪われてしまっていたからだ。誰に聞いても、どこを尋ねても、人々の話題は西部市の連続工場爆発事件で持ち切りで、それ以外はかき消されてしまっていた。

 私のような雑報記者はネタを人に頼っており、だからこそ世間の噂が一色に染まってしまうと、かえって仕事にならなくなってしまうのだ。

 加えてこの大事件に関する記事は、たとえ雑報的な内容であっても、一面の精鋭以外が取り扱うのを禁じられていた。

 昔ならば脚色で記事を仕立てられたのであるが、新しい編集長からは脚色禁止令が出されている。それに世間が一つの話題に染まっている時に、それに関連する脚色記事を書けば、虚偽情報を拡散したとして警察の世話になりかねなかった。



 ことごとく当てがはずれた私は、頼るものもなく帝都郊外の森林公園を訪れていた。

 悩み事があったり上手くいかなったりする時はここに足を運んで、気分転換をはかっている。


 都市の中心から離れた公園の空気は澄明で、その冷たさに心地よさを覚えるほどだった。

 鼻から深く吸い込んで、口からそっと静かに、長く吐く。

 たったそれだけで、空気が甘やかに感じられる。

 もちろん空気に味などない。

 それでも鼻孔を、肺を、喉を駆け抜けるこの見えない存在の清澄さを美味しいと感じる。

 この街で澄んだ空気を味わえるのはここにしかないからだろう。


 帝都の人間は煤煙に侵されている。

 すべては都市を発展させた蒸気機関によるものだ。

 それを皮肉って科学の恩恵だという人間もいる。


 我々が侵されているのは肺だけではない。耳もだ。

 この一帯は都市のどこにいても聞こえる唸り声のような駆動音が聞こえてこない。

 穏やかな寒風が森閑とした緑地帯の葉擦れを響かせる。


 そのときだった、散策路の奥にある広場で、人々が声を交わしあっているのに気付いたのは。

 こんな時間に一体なにを?

 記者の勘が声を原因を突きとめろと命じている。

 ネタになるかもしれないぞ、と。

 私は足音を忍ばせて、広場を取り巻く木の陰にそっと入った。



 そこにいるのはごく普通の人々だった。

 年輩者が多いようだが、裏社会であるとか、地下組織であるとか、そういった暗い場所に馴染んだ人間が放つ雰囲気はどこにもなおい。服装も粗末ではなく、厚手の普段着といった格好であるから、浮浪者でもないようだ。


 その一団の最も奇妙な点といえば、みんなが一様に上を見ていることに尽きた。

 私もちらりと空を見上げるが、星々が満天に散っているばかりだ。

 だが、彼らの姿勢に秘密の匂いをかぎ取った私は、もう少し様子をうかがおうと決める。

 もっともこの時は「ネタにならなさそうだ」と半ば諦めつつもあった。

 彼らが何をしているのか、おおむね見当がついていたからだ。


 観察している間にも別の散策路から一人、二人とばらばらに合流してきて、そのつど「見えましたか」「まだです」といった言葉をかけあっている。

 そうして後から合流した者も空を見上げる。

 よくよく見れば芝生の上に座ったり、仰向けに寝そべって空を見る者もいる。


 彼らの会話でこの集団が何をしているのかがわかった。


 星空を観察しているのだ。

 森林公園は空気が澄んでいる。分厚い煤煙に空を奪われた都心と違って、夜空に煌々ときらめく星を眺めるにはうってつけの場所といえよう。夜空を彩る無数の明かりは確かに美しく、しかも帝都では珍しいものだ。ネタ探しに疲れきっていなければ私も同じように魅入っていただろう。


 しかし、記者として考えると、たったの事である。


 素人の星空観察など人目を惹く記事にはならない。

 彼らの集団性にはいささかの疑問は残るが、同好の士の集いか何かだろう。

 これが学者の天体観測ならばまだ少しは話題になるかもしれないが、そもそも天文学者ならば帝都を飛び出してもっと良い観測地へ赴くだろう。森林公園は空気が澄んでいる、といっても、『《蒸気都市》帝都にあっては』という枕が省略されている。専門家が観測するには不適であろう。

 

 ここでもネタを掴めなかったか。

 私はひどく落胆した。

 思いがけずネタに遭遇したかと、少しでも期待しまったことによる心理的な疲労が大きかった。


 このまま帰ろう。

 会社には戻らないから次長の『戻ってくるな』という命令には背いていない。

 肩を落としたまま家路につこうとした、その時だった。


「見えた!」「あれだ、あれだ」

 にわかに集団がざわめきだしたのだ。

「あっちにも」「いま行ったぞ!」

 彼らの言葉には興奮の色が隠しきれていなかった。

 私より年輩らしきいい大人たちが空を見てはしゃいでいる。

 同じものに熱中する同好の士という間柄では興奮を隠す必要もないのだろう。

 これを大いに脚色できれば、【夜の公園に奇妙な集団】という見出しで記事を書けるのだが。

 疲労のせいか、ついつい詮の無いことを考えてしまう。


 彼らの興奮した声を冷めた心持ちで聞いていた私であるが、

「もうひとつ!」「今日は恵まれていますなあ」

 などと聞こえてくるたびに、いくら好きなものが対象で、かつ同じものを好いている者同士とはいえ、いい年をした大人がそこまではしゃげるものなのかと、かえってその点が気になってきた。そして一度気になりだすと、次第に、なぜそんなに熱中できるのかという部分も気になってくるのであった。

 彼らを熱狂させているのは星空に違いあるまい。

 しかし星空のどこにそこまで興奮できるのか。

 この時の私の気にかかりようは記者としての好奇心というよりも、他人同士の喧嘩や変態性欲者を遠巻きに眺めたいという、覗き趣味や野次馬のような心理であった。


 しかし、まずはその原因を確認しようと空を見上げたのは、まぎれもなく記者心理であった。


 空は星で満ちている。

 地上の声々とは無関係に、静かな世界だ。

 その中を、ひとつの輝きが尾を引いてすっと下方へ落ちていった。

 あ、と思ったときには次の尾が別のところに現れてすぐに消えた。

 しばしの間をおいてまた別の方向から一瞬だけ横に伸びて消える。

 尾の中には落ちるどころか、上がるようなものさえあるではないか。

 かと思えばしばらく何も変化がない時もある。


 流れ星がこんなにたくさん空を飛び交うとは。

 一体何が起きているのか。

 いてもたってもいられなった私は、集団に慎重に近づいて声をかけて、空で起こっている不思議についての取材を始めていた。このときにはとっくに彼らの興奮の波に呑まれていたのである。

 彼らは飛び込みの私を温かく迎えてくれた。



『ある時期に群発する流れ星を指して流星群という。

 記者が目撃した流星群は四年に一度にしか見られない希少性の高いもので、それを観測しようと趣味者は森林公園に集まっていたのだ。

 天文現象は我々ヒトが古くから解明を試みてきた自然のひとつで、その体系たる天文学といえばとりわけ古い学問である。しかしいまだ星辰の仕組みについては人知の及ばぬことが多い。しかしである、昨今天文学はほとんど顧みられなくなった学問であるといえよう。

 科学による発明品、とりわけ蒸気機関の登場によってこのかた、科学といえば人に資するもの、経済成長を生むもの、という見方が強まったからだ。政治や経済もそれを求める形で科学者を支援してきた。そんな中にあって天文学は占いのような扱いを受けている。科学は発達したが、人はかえってこれに隷従するようになった。

 天からこぼれ落ちるような流れ星は、科学といえば機械的なもの、という現代の風潮に対する自然の涙なのかもしれない。……』


 そういった方向で原稿を書いてきたが、私はふと思い立って、記事の方向性をがらりと変えることにした。一面を扱う精鋭へのやっかみから、ついつい科学や文明批判じみた原稿にしてしまったが、そうした展開は彼らが知識をもって切り込んでこそ真価が発揮されると思ったからである。

 私はあくまで雑報記者、社内においては三流だ。

 その三流はこれまで何によって記事をものしてきたか。

 それは人の話によってである。


 あの時の私は流れ星そのものよりも、それを眺める人々に注目していたはずだ。

 取材をした直接の原因は空を見たからではなく、趣味者の興奮を見たからだ。

 であるならば、そうした人々を中心に据えて書くことこそ、雑報記者の本懐であろう。



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