ヴァルプルギスの夜に逢おう*4

      *


 翌日、横浜の高台にあるハーブ料理店『おかしな家』に、隣のアパートに住む青年が訪れた。


「こんにちは」

「あら、橘さん、いらっしゃいませ。今日はお早いんですね」


 銀髪の天使が微笑んで出迎えた。


 柚樹も微笑んだ。


「はい。今日は仕事が休みなので、なんだかぐっすり寝ちゃって。なので、ブランチです」


 店の時計は、十一時前を指している。

 客は、彼一人だ。


 小学生くらいに見える少年と少女が、テーブルを拭いたり、一、二輪のささやかな花を飾る小さい花瓶を置き換えたりしている。


 平日の昼間に来たことはなかったからなんとも思わなかったけど、この子たちは昼間も働いてるのか?

 学校は?


 ちらっとそんなことを思いながら、テーブルに着くと、柚樹はローズマリーを見上げた。


「まだ少し早いですが、ランチメニューもOKですよ。本日のランチは、黒豚のビール煮ラプンツェル添えと、かまど焼きピザ風ホタテのパスタがありますが、どちらになさいますか?」


「ああ、昨日は夕飯も食べ損ねて寝ちゃって、今なんだかすごく腹が減ってるので、両方にします」

「わぁっ、ありがとうございます」


 ローズマリーの淡い紫色の瞳が輝いた。


 子供たち二人が柚樹に注目し、何かを問いたそうにローズマリーを見上げたが気付く様子はない。


 料理をトレーに載せ、少年が柚樹のテーブルにやってきた。


「さっき、夕飯を食べ損ねたって、言いましたよね?」


「ん? そうだけど」


、ということを覚えてるんですか?」


「ああ、うん……そうかな」


 不可解な問いかけに、不思議に思いながら柚樹はうなずいた。

 少年は横目で、パスタを運んできたローズマリーを見た。


「どういうことです? イルゼさん」

「えっ? えっ? そんな! ヘンゼル、私、ちゃんとやったのに……!」


「そういえば、『イルゼさん』とも他の人からも呼ばれてましたね。ローズマリーさんの苗字なんですか? なんかわかんないけど、綺麗な響きですね」


 その柚樹の何気ない質問にひどく動揺したローズマリーは思わず一歩下がり、少年のみならず少女までもが眉間に皺を寄せながらつかつかとやってきた。


「え? な、なに?」


「グレーテル、『』」

「『見る』だけならね」


 うなずくと、10歳ほどの少女は柚樹の額に二本指を触れずに向けた。


「……忘れ切れてない……みたい」

「ええっ!? そんな、どうして!?」


「あ……」


 グレーテルと呼ばれた少女が、口を押さえる。


「ヘンゼル、ちょっと」


 グレーテルは少年に耳打ちした。


「多分だけど、……恋の力の方が勝っちゃった……のかも」

「え……」

「イルゼさんの技で記憶を消す時、おでこにちゅーするよね?」

「……もともと気に入ってたのが、それで火がついたみたいに恋の炎が一気に燃え上がった……とか?」


 顔を見合わせた二人は、目を丸くしてローズマリーと柚樹をさっと見た。


「いやあ、この黒豚、美味しいですね! 昨日見た黒豚の丸焼きを思い出します」

「えええっ!」


「あれ? 黒豚の丸焼きなんて、どこで見たんだろ? どこかの山……なんでそんなところ行ったんだろ?」


 豚肉をもぐもぐ頬張りながら首をかしげる柚樹を、ダラダラと冷や汗を流しながら引きつった顔で見つめるローズマリーだった。

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ヴァルプルギスの夜に逢おう【短編】 かがみ透 @kagami-toru

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