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 リディアが男の名はリオネルというらしい。フロランス王国の北西にある島国のブリタニカ公国出の今年二十二になる外交官だということだ。


 その若き外交官は現在、リディアの実家ではなく、クレイヤンクール邸でかくまわれていた。


 あれから三日。アリアドネは特に何の動きも見せていない。



「で。君はその外交官のことが気になってしかたがないということか」

「分かっているくせに、わざわざ呼びつけて聞くなんて悪趣味だな」

「いや、君の口から直接聞きたいじゃないか。こんなに興味深いこと」

「興味深いんじゃなくて、面白いと正直に言ったらどうだ?」

「いやいや。わたしはお気に入りの臣下の傷をえぐるような真似はしないよ」



 この国で一番尊い存在であるフロランス国王アルフォンスは執務室に近衛士官であるジョエルを呼び出し、件の状況報告という名のジョエルをからかって遊ぶ時間を設けていた。


 傷をえぐるような真似はしないと言いつつ、机に両肘をつき、その上に顎を乗せてニコニコと笑っている。ジョエルのぞんざいな物言いにも決して不快な顔を見せず、この時間が本当に楽しくて仕方ないといった風だ。



「それで? 彼女はちゃんと婚約を了承してくれたのか?」

「さぁ」

「さぁ?」



 ここで初めてアルフォンスの眉がピクリと動いた。

 正直、幼馴染だと聞いていたからすんなりいくだろうとタカをくくっていた部分は大いにある。そして、すんなりいってもらわないといけない理由がアルフォンスには少なくとも一つはあった。



「それはどういうことだ?」

「リディアは気分でコロコロ発言が変わるから。絶交と言ったのに、しばらくするとケロっとして話しかけてくる。だから今回だって、彼女にしか分からないな」



 その口ぶりだと、今回も絶交を言い渡されたらしい。何を言ったかしたか知らないが、それはリディア達の問題であって、当然ながらアルフォンスの問題ではない。



「ほぅ」



 アルフォンスは顎を引き、さらに手を沈めた。


 それから壁際に身体を寄せ、直立不動で立っている自身の秘書官の方を見た。



「マクシム。この悠長にことを構えている少佐殿に教えてやるといい。彼がおかれている状況というものを」

「はい、陛下」



 マクシムは持っていた書類を縦に開き、低くよく通る声でその書類に書かれた文章を読み上げた。



「アルフォンス国王陛下におかれましては御年二十四。先のスパーニュ皇国出征も成功に終わり、そろそろ外政だけでなく、内政についても盤石なものにしていくべきかと存じます。つきましては、王妃殿下としていずれかの娘を娶られ、お世継ぎを作られるのもその道の一つかと」

「マクシム。もういい。やはりゾッとする」



 自分で言わせたのにも関わらず、アルフォンスはその美しい顔をしかめた。すぐさまマクシムもその書類を畳み、アルフォンスの目につかぬよう自分のジャケットの中にしまい込んだ。大した忠誠心の持ち主だ。


 ふぅっと憂いを宿す溜息をつき、アルフォンスはジョエルへ視線を向けた。



「これが誰から送られてきたか分かるか?」

「知るわけがないだろう」

「……そうだな。そうだとも。マクシム。教えてやるといい」

「はい、陛下。こちらの書簡を送ってこられたのは王太后様です」

「つまりだ。お優しい王太后様は若くて純真無垢な息子のためにご令嬢をあてがおうといういらぬお節介を焼こうとしているわけだ。ここで困るのは誰だと思う?」

「自分で自分を純真無垢だという大変厚かましい男にあてがわれようとしているご令嬢だな」

「わ・た・し・だ!」



 指で机を弾きながらアルフォンスは声を荒げた。


 終いには机をバンっと叩き、荒々しく立ち上がった。そして机の前をうろうろと回り始める。



「結婚なんてしてみろ。朝から夜まで公務やら書類仕事やらに追われているというのに、私室に戻ってすら追い回される生活になるんだぞ。地獄か、この世は」

「ご愁傷様」



 これ以上聞いていたらまた面倒なことを言い出されそうな気がする。

 嫌な流れを察したジョエルは座っていたソファーから立ち上がり、そのまま執務室から出ていこうとする。



「話はまだ終わっていないぞ、クレイヤンクール少佐」



 アルフォンスに呼び止められ、その声に反応したマクシムに行く手を阻まれた。そら来たと仕方なしに振り向くと、アルフォンスが不機嫌極まりないといった顔でジョエルを睨みつけた。



「その妃の有力候補としてリディア嬢も選ばれている。これがどういうことだか分かるな? さっさとアリアドネの件を解決して、リディア嬢をモノにしろ。でないと、ババアにしてやられるぞ」

「……くそったれ」



 端から見れば憂愁の貴公子然としているジョエルと大輪の華のような艶やかな雰囲気を纏うアルフォンス。しかし、口を開けば二人とも、大変言葉使いをされていた。




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