第4話 座頭市、魅入られたこと

 昼食の時間、私は大親友のダフネとペネロペと草上でランチを取っていました。

 背景には城門が崩れ、黒煙を上げる校舎。


 朝、学校に登校したときには、既に校舎が半壊していました。

 昨晩のうちに、夏侯惇会長が挙兵し、人間たちが治める職員室に侵攻したためです。


「ついに職員室とスマホ軍の全面衝突が始まったね」


 小高い丘の上、私はダフネとペネロペがボードゲームに興じている様子を見つつ、三人で議論を交わしてました。


「フィナンシェ、それはとても悲しいことだね。夏侯惇会長の掲げる大義名分には首を傾げざるを得ないよ。」


 ペネロペは納得できかねる様子で、そう言います。

 私もペネロペの意見には全面的に賛成です。


 夏侯惇会長率いるスマホ軍が職員室を攻める理由は、「先日のベガ将軍率いる農民反乱軍を職員室側が手引きした」ことでした。


 それが本当に職員室の手引きだったのかはどうでも良かったのです。

 夏侯惇会長の目的は別にありました。


「本当にスマホ軍が欲したのは、職員室がその土地に抱える、大きな人間農園でしょうね」


 職員室は広大な敷地内に、大きな人間農園をいくつも保有しています。それは群雄割拠する勢力たちにとって夢の人的資源です。

 しかし、今まで校内の権力が絶対視されている間は、誰も手を出しませんでした。


「ウィ。即戦力の人材は常に需要があるからね。大方、次なる戦いを見据えたスマホ軍が優秀な人材を求めたのが真実だろう」


「先日のベガ将軍の一件についても、本当に手引きしたのは座頭市先輩よ。やはり納得がいかないわ」


「しかしボンソワール、此度の小競り合いは新たなる戦の呼び水に思えるよ」


 その時、奴隷たちが崖から落ちました。

 ダフネが驚いた声をあげます。


「おいっ!見ろよ二人とも。何者かが崖を登ってくるぞ。」


 ダフネの言は正確でした。

 確かに谷底から騎馬の足音が地鳴りのように響き渡ります。


「マドモワゼル、この蹄の音は……覇王帝芭蕉號!?」


 水属性のスマホのペネロペは畏怖に満ちた声色で、見事に馬の名前を当ててみせます。

 その姿も美人なのでかなり美しく映りました。


「いやっ!違うぞペネロペ!この足音は……獰猛で知られる、塞翁赤兎千馬力!!」


 果たして、二人の言葉に間違いはありませんでした。

 崖から現れたのは、覇王帝芭蕉號と塞翁赤兎千馬力、二頭の勇姿だったのです。


 その手のつけられなさから、一夜にして馬術部を滅亡させた伝説の名馬二頭が、今まさに目の前に出現してしまいました。


 二頭の荒馬は馬車を引いていました。


「馬鹿な…あの獰猛で知られた二頭を完璧に手懐けているのは……座頭市先輩!!」


 馬車に乗っていたのは、座頭市先輩でした。

 座頭市先輩に馬術の心得は無かったはずです。


「お嬢さん、いや、飯富虎さん……迎えに来やしたぜ。さあ、お乗りなせえ」


 それは日中はおろか、夢の中でさえ、あり得ざる光景に相違ありませんでした。

 なんでもないごく普通の人間である座頭市先輩がこんなに神々しさを帯びているはずがありません。


 しかし、気が付けば私達は全員が座頭市先輩の前に跪いていました。

 あたかもそうすることが当たり前であるかのように。


「馬鹿な、体が勝手に動くぞ」


「グヘヘ、これが催眠アプリの力でさあ」

 

 座頭市先輩は邪悪な笑みを浮かべました。

 力に飲まれ、己の道を見失った男の目です。


「催眠アプリ?ボンジュール、なんだいそれは!?」


「これはいつの間にか手元にありやしてね。…詳しいこたぁ分かんねぇが、このように他人を支配できるのさ」


 座頭市先輩がスマホをかざすと、それは青白く発光しました。

 その不気味な光は私とダフネ、ペネロペ、あと先輩を包み込みます。


 やがて、光が頭の中に声を伝えてきました。


『鯖味噌になるのだ』


 鯖味噌……鯖味噌になるなんて……考えら

 ……


「催眠アプリなんてよくわかりませんが、他人を無理矢理支配しようとするなんて最低。先輩がそんな人だなんて知りませんでした」


「おっと、こいつぁ怖い怖い。だが…催眠による常識改変は上手くいっているようだなあ」


「??誤魔化しても無駄です!こうなったらみっちり鯖味噌への変身を見て貰いますからね!」


「?……それは恐ろしい。こいつぁ見ものでやすね??」


 ??

 傷つけられた私の自尊心が先輩を許しません。

 それに、先輩の立場にいる人が泣いて謝る光景を見たいという嗜虐心が刺激されました。


 何かがおかしい気がしますが、先輩も鯖味噌を恐れているようですし、鯖味噌に変身するのは常識です。

 ???

 ???????


「???」


「?????????」


 なんですか?

 鯖味噌になるのは当たり前のことなのに、その方法がわかりません。

 人間はどうすれば鯖味噌になれるのでしょうか。いえ、これはおかしな疑問です。


 しかし、その疑問を口にするのはプライドで憚られます。

 ダフネとペネロペも大体似たようなことを考えている顔つきですが、全員が疑心暗鬼になって、何も言えません。


「鯖……味噌、なるよな!?なるん……だよな?」


「え、ええ……ボナペティ、ああ、当たり前じゃないか!」


「へっ?えっ?ええ……鯖味噌になるのは当たり前のことでヤンスね……」


 座頭市先輩も心なしか、人間が鯖味噌になる方法を知らなさそうな顔です。

 しかし、彼もまた鯖味噌になるのは当たり前だと信じている様子でした。


「良いですか、鯖味噌に変身しますよ!?まずは暗黒の味噌煮込み神に生贄を捧げます」


 今更止めるわけにもいかないので、とりあえず私は大きな声を出して誤魔化します。内容は二の次です。

 この飯富虎昌子、一世一代の大ピンチな気がしますが気のせいでしょう。


 何かがおかしい。

 既に私は自分が催眠に掛かっていることをそれとなく察していました。


 思い出すのは、猛将、夏侯惇会長にかつてかけられた言葉です。


『そちも王ならば我に立ち向かわんと思わぬのか?』


 王。


 そうです。

 私は社会の王、飯富通の跡取り娘。


 鯖になりたいと思ったのなら、自らの力で掴んでこそです。

 最早霧は晴れ、道は示されていました。


 私は自らの意思で催眠アプリに打ち勝ったのです。


「見ててください、先輩!私は自分の意思で、鯖になってみせます!」


「えっ」


 その時、優秀な奴隷が鍋と味噌を持ってきてくれました。

 私は確固たる意思で鍋の中に味噌を投入します。


「???あああ〜〜もうやめてくれ〜〜」


 あまりの光景に座頭市先輩はひれ伏します。

 ダフネとペネロペは思い思いのやり方で既に魚に変身しつつありました。


「鯖ァァァァァァ」


「さばばばばばばば」

 

 ダフネは凄まじい速度で鯖のアーティファクトを習得しつつあります。流石の成長性です。右半身の挙動は既に魚そのものです。


 ペネロペは瞑想によって肉体という楔を打ち捨てて、鯖のアストラル界に入門することで辺り一帯を鯖の世界に作り変えようと試みていました。


「えっえっ」


 座頭市先輩は状況を理解できなさそうに辺りを見回しています。

 その時、奇跡が起こりました。ペネロペの瞑想によって鯖界の門が開き、スマホ結界術の第三波動が満ちたことで、荒馬の覇王帝芭蕉号が鯖に変身したのです。


「サバーーーーー!」


「やったねペネロペ。もうちょっとで恥を掻くところだったけど、水のスマホのレベルが上がったことで鯖化アプリをダウンロード出来たんだ」


 私もよくわかりませんが、とりあえずそれっぽい解説をしました。

 これはおそらく催眠アプリに対抗するために、本来水のスマホであるペネロペが、人間を自在に鯖に変える鯖アプリに進化したということでしょう。


 三人の友情の勝利です。


「これは恐ろしい」


 当たり前のことが出来ただけで、なぜこんなに達成感を得ているのでしょうか。


 座頭市先輩は狼狽しながら崖を落ちて行きます。覇王帝芭蕉号が鯖になったことで、馬車がバランスを崩してしまったためです。


「待って座頭市先輩!私たちが鯖になるところを見て反省してください!」


「ウワァァァァァ」


 座頭市先輩が死ぬ前に見たのは、私たち三人が鯖に変身する光景でした。

 心なしか、私たちの成長を見届けた先輩の表情は満足そうでした。


「ァァァァァァァ」


 何かにぶつかる音がしました。


「先輩ーーーーーー!!」


 おそらくこれは力に呑まれた男が、それでも世界を愛したが故の最期でした。


「いや、でもこれさあ……」


「うん、私たちって」


「ボンジュール、おそらく催眠アプリにかかっているよね……」


 流石に、鯖になって喜んでいたあたりで、二人とも自分たちが催眠にかかっていることを半ば察していたようでした。


 プライドの高い私たちは自分たちが催眠にかかったことをそれとなく話題から避けつつ、安全なルートで崖の下に降りました。

 元より催眠アプリに打ち勝ったのですから、あえて話題に出す必要もないのではないでしょうか。


 崖下は血塗れの座頭市先輩が虫の息で転がっていました。


「へへ……しくじっちまいやしたね」


「先輩……」


 先輩は青白く発光するスマホを私に翳します。


「約束してくだせえ……!このスマホを使って、必ず自らの目的を達成すると…!」


 先輩のスマホには催眠の命令が書き込まれていました。


 その文面は私に王の自覚をさせるには十分でした。


「安心して先輩。私は自らの意思で、憧れの夏侯惇先輩を催眠アプリで操って恥をかかせてみせるから」


「えっ…?」


「安心して」


「へっ?へへ……」


 このままだと座頭市先輩が訝しい顔で死にそうなので、私は先輩のスマホを受け取ると、先輩に向けて翳します。


『安心して』


 青白い光が座頭市先輩を包み込みます。

 心なしか私まで妙な安心感に満ちてきます。


「へへ…なんか妙におだやかな気分だ……。アッシはさぁ、世界を変えようと思った。だが、本当に変えたかったのは昌子さん、アンタなんだ。アンタにカッコつけたかった……」


 先輩は鯖に向かって穏やかに眠ってゆきました。


「先輩…ごめんなさい。私は夏侯惇会長の圧倒的な暴力に魅せられたから。だから、先輩の思いには答えられない。私は私の覇道を征くから」


 ダフネとペネロペと奴隷達がヒレで私の背ビレあたりに触れてきます。


「ご主人様…この男は世界を愛していたんじゃない。はじめから、貴方のいる世界を愛していたんだ」


「ジャンヌダルク、彼は力に呑まれたけど、心は常に一つだったのさ。それはそのスマホを見ても瞭然さ」


「ああ、だから心はここへ置いて往け」


 誰が誰が分からなくなりましたが、私は頷きました。


 私は煮込んだ味噌を己の心に見立て、座頭市先輩の亡骸に掛けます。

 その光景を偶然見かけた一般人から「鯖の味噌煮の復讐」という都市伝説が広がることになるのはまた別の話です。


 催眠アプリ


 鯖アプリ


 武器は手に入りました。

 後は覇道を征くだけです。決して振り返ることなく。


 座頭市先輩のスマホに刻まれていた命令、

「飯富虎昌子は催眠に打ち勝つ」

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