羽衣花―はごろもばな―

三浦常春

曰く、それは特別な日

 二月二十九日。


 この日付は四年に一度しか訪れない。いうなれば三百六十六日目の日である。そんな特別な日、僕はとある場所にそそり立つ、とある山へ足を踏み入れた。


 前日の雨ゆえにぬかるんだ地面、滑りやすくなった岩。悪路にも関わらずなぜここを訪れたのかというと、それは決して外すことのできない理由があるからだ。


 ――四年に一度だけ咲く花がある。


 この情報を手に入れてからというもの、僕は今日という日を楽しみにしていた。今日、つまり二月二十九日にしか咲かない花を何百日も首を長くして待っていたのだ。


 しかし現実とは非情なもので、「花」が見られる山頂付近に到達する前に日が陰ってしまった。西の空を照らす赤色すら見られなくなり、夜まで秒読みというところまで差し掛かる。


 暗くなる前にキャンプの判断をつけておけばよかった。強く後悔しながら開けた場所を探していると、突如として木がなくなった。


「あれ……」


 葉の落ちた樹木が円を描き、随分と近くなったように見える空まではっきりと口を開けている。その中央には、青葉の茂る一本の木と小さな祠が立っていた。


 まさかもう山頂か――そう思ってベルトに括り付けていたGPS受信機に視線を落とすと、いつの間にか目的地のすぐ真横まで到達していたようだ。その証拠に、数歩踏み出してみれば、ピーピーと電子音が鳴った。


 目的地に到着したらしい。


「祠の奥は行っちゃ駄目だよ」


 突然、背後から声が聞こえた。ぎょっとして振り返ってみると、そこには一人の少女が立っていた。


 赤いワンピースの、齢十五ほどの少女。手にはランタン型の懐中電灯を手に立っている。模型か何かのようにきっぱりと切り揃えられたおかっぱ髪が、ゆらり、ゆらりと少女の動きに合わせて揺れていた。


「そこ、雨が降ると小さな泉になるんさ。今は水が乾いて何もないように見えるけど。沼だから。底なし沼。やめた方がいい」


「あ……ホントですか」


 気まずい空気が流れる。僕はひとまず泥の付いていた頬を擦って、


「えっと、あなたは?」


「管理をしてる」


「管理?」


「うん」


 短く、少女は応じる。またしても間が空くが、今度は少女が会話の綱を手にした。


「お兄さんこそ、何しにここに?」


「花を見に来たんです。四年に一度しか咲かないっていう花を」


「花? ……あーね」


 合点がいったのだろう、少女はこくりと頷いた。


「私も花、見に来た」


 少女はゆっくりとスニーカーを動かして、木の根元に立つ。掲げられたランタンが、背の低い木を照らした。


 何よりも先に目につくのは、白い布だった。いや、布のように見える花――それが、二月にも関わらず茂る葉に、引っ掛かるように咲いている。


 ひとたびそよ風が吹けば、物干し竿に吊るされた洗濯物のようにはためき、飛ばされてしまいそうだ。


「お兄さん、この花を見に来たんでしょ。いつまでいるの」


「枯れるまでの予定です。今日一日しか咲かないんでしょ? 一応テントや食料も持って来たので、泊まる準備は万端です」


「なら、教えてあげる。あの花について」


 テントの設営、火起こし、食事の用意。宿泊のために必要な諸事を進める僕を、少女は興味深げに眺めていた。どうやらキャンプをするのは初めてらしい。


 僕とて回数を熟しているわけではないけれど、キラキラとした目で見つめられると、ついサービスをしたくなってしまう。キャンプに彩りを添えるグッズを炎の中に放り込めば、じわじわと炎の色が変化した。


 「炎色反応っていうんですよ」そう教えてやれば、少女は「知ってる」とオニオンスープを啜った。


 しばらく炎色反応を楽しんでいたが、炎がワンピースと同じ鮮やかな赤色に染まった時、思い出したように少女が語り出す。


「『羽衣花はごろもばな』っていうんさ、あれ」


「『羽衣花』?」


「この場所に住んでいた女の人――天女が使っていた羽衣が花になったんだって」


「羽衣伝説、ですか」


「うん」


 曰く、天女は麓の村に住む男と恋に落ち、やがて結婚した。そしてこの場所――『羽衣花』の咲く山頂から離れたそうだが、彼女は故郷のことが忘れられず、故郷との繋がりを示す唯一の物を求めた。


「唯一の物って……羽衣?」


「天女は山を下りる前、自分の羽衣を木に掛けていったの。だけど彼女が帰ってきた時に羽衣はなく、代わりに羽衣と同じ白色の花が咲いていた。これが『羽衣花』の由来」

 

「『羽衣花』の名前の由来は分かりました。でも、どうして二月二十九日にしか見られないんですかね? 四年に一度しか咲かない、という条件に加えて咲く日は不確定って言われてるなら分かるんですけど……」


「その理由もちゃんと話すから。羽衣を失くした天女は、羽衣の代わりに花を持って帰った。目的の物ではなかったけれど、気は紛れると思ったんだろうね。だけど花はすぐに枯れてしまうでしょ。そこで三百六十五日――故郷の恋しさゆえに、毎日欠かすことなく、家族の待つ村へこの花を摘んでは持って帰ったんだって」


 だけど、と少女は声色を硬くする。


「末年、天女は病に罹った。あまりにひどい病だったから、家から出ることすら許されなかったらしい。その間も天女は故郷のことを忘れられなかったのかな。夜な夜なすすり泣いて羽衣を――『羽衣花』を求めたそうだよ」


「故郷に帰れず羽衣失い、さらに病気に罹るなんて……天女、不憫ですね」


「きっと家族もそう思ったんだろうね。そこで毎日――元気だった頃の天女と同じように毎日花を摘んで、三百六十五日欠かすことなく天女に『羽衣花』を渡した。天女の死後も、それは子孫代々受け継がれたんだって」


 少女は赤いワンピースを揺らして立ち上がる。ゆらり、ゆらり。今にも倒れてしまいそうな歩みと共に、一輪の花が宿る木へと近づく。


「病に倒れて以降、天女は自力で山を登ることはできなくなった。人が運んでくる花を待つばかりだった。だけど四年に一度――うるう年の二月二十九日だけ、この場所に来ることが許されたんだって。天女が訪れるその日だけ、この木は花を摘まれることを逃れたの」


 少女が立つのは、色の移り変わる炎が辛うじて照らすことのできる位置だ。


 照らされた赤い背中が、それから伸びる白い腕が、木の葉へと伸びる。踵が浮いて、少しバランスを崩して、すぐに持ち直して――


 ぷつり。


 少女は花を摘む。


 青葉から切り離された白い羽衣は、細い指に纏わりついて、ひらひらと切なげに揺れていた。


「花が木に咲くことを許されるのは、木が花を宿していられるのはだけ。それ以外は全部、天女の墓に供えるのがしきたりなんさ。その管理を、私はしてるってわけ。これが『四年に一度だけ咲く花』の由縁だよ」

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羽衣花―はごろもばな― 三浦常春 @miura-tsune

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