第4話 あの雨の日に起こった事(回想①)〜想起〜

 道の窪みにくちばしを叩きながら可愛らしいさえずりを響かせる雀を尻目に、僕は一目散に学び舎へと駆け抜けていた。時刻は早朝。少し曇った空から垣間見える太陽の光と心地の良い空気を感じながら走っていた僕のズボンのポケットがブブッとかすかに揺れる。


「……また会長からメッセージ? えぇっと……」


 僕は後ろのポケットからスマホを取り出すと、画面に表示された会長からのメッセージに目を通す。


【小堺くん……今どこだい? なぜ返事をくれないんだい? 何かあったのかい? もしかしてもうどこかに行ってしまったのかい? どこだい? 君は一体どこにいるんだい?】


 いつもの凜とした威風堂々たる姿からは想像もできないようなメッセージ。それもそのはず。前日から十時間以上も僕と離れていた会長は完全に充電切れを起こしており、このような情けのない文を大量に製造するマシーンと化しているのだ。そして、そんな会長に朝一番に会いに行くというのが今の僕の日課になりつつあるのだが、正直この大量のネガティヴメッセージに辟易しているのも嘘ではない。


「ハァ〜……。【今向かってます】っと」


 ため息ついでに会長の長文メッセージとは対照的な一言メッセージを無感情で送り終えた僕は、下半身に力を込めそこから一気に加速した。すれ違ったジャージ姿のおばあちゃんが驚くほどのスピードで……。


「よし。今日も登校してるのは僕と会長だけか。まっ、当たり前か。こんな朝早くに登校する生徒なんて滅多にいないよな」


 僕はシンと静まり返った廊下を見回しながら、生徒会室へ小走りで向かう。階段を上がり、廊下を曲がり、その部屋の扉を開け放ったその瞬間、僕の視界は真っ黒に覆われた。それだけでなく頭を締め付ける感覚と目鼻口を何かで塞がれる窒息感。僕はそれらの状況を瞬時に脳内でまとめ上げ一つの結論にたどり着いた。あーうん、これ会長に抱きしめられてるな。


「ぅ遅いじゃぁないかぁ!! 小堺くぅぅん!!! 私が一体どれほど待っていたか!!」 


 廊下中に響き渡る声でそう叫んだ会長は、僕の頭を包む両腕にさらに力を込める。だが、言い訳も謝罪も今の僕には許されない。なぜなら……


「む——(くっ苦しいです会長!)、んむむ——(いっ息が、息ができません!)」


 会長の高校生らしからぬ豊満なバストが、まるで低反発マットのように僕の顔を完全に包み込み呼吸を奪っていたのだ。大きすぎる胸って凶器になるんだなぁと僕はこの時初めて悟った。


「どうして何も言ってくれないんだい小堺くん! いいかい? 私は私は——」


 そんな僕の状況に毛程も気付かないこの困ったお人は、あろうことかその女性とは思えない膂力りょりょくで僕の体をブンブン左右に揺らし始めた。


「んむぐ———(分かりましたからとりあえず離してください!)ぐ、ぐもふぅ——(くっ首が……首がもげるぅぅーー!!)


 会長の美声と、くぐもった僕の叫びが校舎の端に止まっていたスズメの親子を羽ばたかせていった……。


 ——カッチカッチと秒針が鳴る生徒会室でパイプ椅子に座る会長は、彼女の柔らかな両脚の上に座る僕の体を鼻歌混じりにまさぐる。待望の充電開始というやつだ。


「——僕を殺す気だったんですか? 会長」

「まさか。君を殺めるなんて世界中の誰であろうとこの私が許しはしない。先ほどの行為は本当に済まないと思っている。だが、仕方がなかったんだ! 君と別れた後にやってくる寂寥感と焦燥感。その反動で夢にまで現れる君を抱きしめ、それが夢だとわかる絶望の目覚め。心の底から会いたかった君に会えたあの瞬間、私のリミッターはいとも簡単に外れてしまったんだぁぁぁ!」


 会長はそう言うと、僕をホールドする両手にさらに力を込め、背中に自らの頬を強くあてがい始めた。


「『外れてしまったんだぁぁぁ!』じゃないですよ。もし、あの時生徒会室の扉を開けたのが他の人だったらどうしてたんですか? そうなったら最早言い訳は出来ないんですよ?」

「うっ……ほれはそれは……」

「それに会長はしきりにメッセージを送りすぎです。スマホのフォルダーが一週間で埋まるなんて聞いたことないですよ」

「にゃにぃ!?  わちゃしのめぇーりゅでこしゃかい……わたしのメールで小堺

「背中から顔を外してください。何言っているのかさっぱりです!」


 パッと顔を上げる会長。その際わずかに口元を拭う仕草を見せた。あっ。ヨダレつけましたね?  会長?


「わっ私のメッセージで小堺くんのスマホが埋まって……」

「そうですよ。おかげでメッセージアプリの容量が——」

「はぅぅぅ〜〜♡なんてことだぁぁ♡小堺くんのスマホまで私一色に染まるなんてぇぇ! はぅはぅぅぅぅ〜〜♡」

「想像してたリアクションと違う!!」


 その後、朝の生徒会活動が始まる時間まで会長の充電行為はとどまる所を知らなかった。



「……お……はよー。鈴」

「あっ。おはようゆ……って! どうしたの優? 朝からめっちゃグッタリしてるじゃん!」


 朝の生徒会活動。その一つの挨拶運動に励む鈴に声をかけた僕は、彼女の発言から見た目からでもその疲れが垣間見えていることを悟った。原因は当然先ほどの早朝“充電”である。だが、そのことは鈴に言えないため言葉を濁すしかなかった。


「うん、まぁ……色々あってね」

「色々って……ここのところ優、疲れた表情してること多いよ? 何かあった? もし私でよければ相談に乗るよ?」

「あはは……アリガト。でも大丈夫。それより挨拶運動頑張らないとね!」

「……優……」


 僕は心配そうに見つめる鈴を尻目に、【健全なる学校生活は挨拶から】と書かれたタスキを肩に掛けると、登校してくる生徒に挨拶を交わし始めた。途中、チラチラとこちらの様子を伺う鈴と目が合ったりして、本当に僕の心配をしてくれてる彼女に感謝の念を抱いた。そして、僕の生気を根こそぎ奪っていったくだんの彼女といえば……


「おはよう。今日も健やかな学校生活を」


 凛々しさと気品溢れるその姿はまさに生徒会長そのもの。充電後のせいかただでさえ綺麗な会長の肌がさらに輝きを放っているので、彼女に声を掛けられた生徒も思わずポーッとなってしまっていた。こういう光景を目の当たりにすると改めて会長の変わりばやりの速さに驚く。もしかして会長って双子? もしくは二重人格? と僕が疑ってしまうのもしょうがないと思う。

 そうこうしているうちに大多数の生徒が登校を終え、ホームルームの時間が差し迫ってきたので、本日の朝の活動を終えようと会長が声を張り上げた時、僕の頬に一滴の雫が落下した。


「あっ……雨だ」

「ほんとだ。でも降るのは午後からって天気予報では言ってたけどなぁ


 僕のつぶやきにそう反応した鈴は、額に手をかざしながら少しだけ顔を出していた太陽を見上げた。


「本降りになる前に急いで校舎に戻ろう!」

「えぇ。そうしましょう会長。体を冷やすのは一番の毒です」

「またコイツは……鈴ちゃん! それに庶務くんも急いで戻るぞ!」


 先輩方が話すのを尻目に僕は、刻一刻と増えていく雨粒をボーッと見ていた。雨。そう雨が降っていた。僕が会長の秘密を知ったあの日も——。



 

 

 

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