2月29日の出会い

くにすらのに

第1話

 閏年なんて嫌いだ。なんで給料は変わらないのに一日多く働かないといけないんだ。

 土曜日なんて関係ない。普段に比べてだいぶ空いている電車に揺られて出勤した。

 何も特別なことはなく淡々と仕事を終わらせて家路につく。


「はぁ……いつまでこんな生活が続くんだろ」


 思わずため息が漏れる。

 守るべき家族がいる訳でもない。彼女も居ない。

 毎日与えられた業務をこなし、日曜日は寝て終わる。

 こんな繰り返しの人生に一体なんの意味があるんだろう。


 今日は特に憂鬱だ。自分の人生がまるで他人事のような、まるで幽体離脱でもしたように感覚に襲われている。

 だからこそ、毎日通っている道なのに初めて見る店を発見できた。


「ケーキ屋? あったっけ?」


 魔女でも住んでいそうな古めかしい一軒家の庭にいくつかのテーブルとイスが置かれていた。

 一見すると不気味な雰囲気だが、庭は手入れされていて華美にならない装飾も施されている。

 男一人で入るのには勇気が要りそうな店構えだ。


「いらっしゃいませ」

「あ……すみません。俺は別に」


 長い黒髪の女性に声を掛けられた。二十代前半くらいだろうか。

 若く見えるのに凛々しく、まるで店長のような風格を感じる。

 

 背はスラッとしていて、まるでモデルのようなスタイルの良さだ。

 笑顔も自然で明るすぎず、その力強い瞳は心をスーッと持っていく魅力がある。

 だけど、それとこれとは話は別。

 他に客が居ないとは言えこんな辛気臭い男が来るような店でないことは自分が一番理解している。


「このお店、二月いっぱいで閉めるんです」

「え……」

「今年は閏年だから一日多く営業できました。最後にこのお店を知ってくれてありがとうございます」


 彼女は何も注文してない俺に深々と頭を下げる。

 こんな丁寧な対応をされるとこのまま帰るのも申し訳ない。


「……ショートケーキとコーヒーを頂けますか」

「はい。お好きな席でお待ちください」


 新手の客引きに引っ掛かったような感情も湧いていた。

 だけど、今日が最後だと思うと帰るのはもったいない。

 余計に一日働いた分、こんな日があっても良いと思った。


「お待たせしました。ショートケーキとコーヒー、特別メニューのクッキーでございます」

「あの、俺はクッキーなんて」

「最後なのでできるだけたくさんの人に食べてもらいたくて。まあ、お客様が一人目なんですけど……」


 時刻は午後5時を過ぎていた。この店がそんなに遅くまで営業しているとも思えない。

 おそらく俺が最後の客なんだろう。


「……おいしい」


 思わず感想が漏れた。子供のように単純な言葉でしか表現できないのが悔しい。

 土曜日なのもあって騒音も少なく雰囲気も良い。

 どうして今日で閉めてしまうんだろう。


「母のケーキはもっとおいしかったんです。私にはまだその味を再現できなくて……」


 彼女は母に何があったのかは明言しなかった。

 あえて彼女がその味を再現しようとしているのだから、きっとそういうことだろう。


「だから一旦お店を閉めて、ちゃんと修行するんです。そしたらまたこの場所でお店を開こうと思っています」

「待ってます。店員さんみたいに夢とかないからずっと同じ会社にしがみ付いてると思うし」


 店員さんの若さとヤル気が眩しい。大切を店を閉めて再開できるかなんて誰もわからない。

 そんな不確定な未来を進める彼女の姿を直視できなかった。


「本当は恐くて仕方なかったんです。常連のお客様は母と比較して私のケーキがイマイチだと思っているのは薄々感じていました。私と母は別の人間なのにって」


 再現しようとしてるのにおかしな話ですよね。と彼女は乾いた笑顔を浮かべる。

 一生懸命やっているのに誰かと比較され疲れていたのだろう。


「でも、母の味を知らないお客様が私のケーキをおいしいと言ってくださいました。私のケーキはおいしい。それがわかって、すごく自信になりました」

「お世辞でも何でもなく本当においしかったよ。ごめんね。ケーキなんて最近食べてないから上手い感想も言えなくて」


 彼女は首を横に振った。その瞳はじんわりと濡れているように見える。


「その素直な言葉嬉しかったんです。えへへ。今年が一日多くて良かったです」

「俺もおいしいケーキ職人さんに出会えて良かったよ」

「何年先になるかわからないですけど……またのご来店、お待ちしております」

「ありがとう。ごちそうさま」


 深々と頭を下げる彼女を背に俺は店をあとにした。

 四年に一度の閏年。一日余計に働かないといけない最悪の年。

 その一日が彼女の未来を明るくしたのかと思えば、まあ悪くない一日だったかな。

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