四年に一度だけ会える日に僕は

夏木

4年に1度の特別な日

 2020年。

 この年は、僕とって特別な年である。


 元号が変わってから初めての年またぎ。

 夏には日本でオリンピックが開催される。


 だけど、僕にとってそれはどうでもいいこと。

 元号が変わっても、生活に変化はない。

 スポーツに興味すらない僕は、オリンピックを見ることすらしないだろう。


 じゃあ何が特別なのかって?

 それは、このお店に秘密がある。



 住宅街から離れ、木々が生い茂る山の中。道路に面しておらず、デコボコな山道を辿る。そして徒歩でしか行くことが出来ない場所にそのお店がある。


 看板やのれんはない。あるのは古い木造平家の一軒家。

 ここがうるう年の2月29日だけ営業しているカフェなのである。

 人気は全くない。ここへ来る途中に、誰かとすれ違うことさえなかった。



「こんにちはー」


 歪んでしまい、開けにくくなった扉を無理矢理こじ開けた。ギィと音を立てて開き、中に入る。閉めようとしたが、固くて閉まらないので潔く諦めた。


「ああ、いらっしゃい。また来てくれたんだね」


 奥からエプロンを付けた男性が出てくる。

 伸びた髪を後ろでまとめ、眉毛がハの字の彼は、ここの店主である。優しそうな彼は、僕のことを昔から知っている。以前年齢を聞いたことがあったが、うまく交わされて結局何歳なのか分からない。見た目的には、40歳は過ぎているだろう。


「ええ。今日は大切な日ですから。あの……もう、来ていますか?」


「うん。待ちくたびれているかもしれないね。ささ、中へどうぞ」


 店主に促されるまま、僕は靴を脱ぐ。慣れない靴を履いてきたので、脱いだときに解放感があった。

 玄関には他に靴はない。僕は自分の靴を端へ寄せて置いておいた。


 店内といっても、古い家。お店らしく、何かが飾ってある訳ではない。

 僕は友達の家に来たような感覚で、店主の後を追う。

 外で見たよりも、中は広い。いや、広すぎるような気がする。何度か来たことがあるが、毎回違う部屋だし、迷子になりそうだ。

 歩く度にギシギシと音を立てる床が、建物の古さを感じさせた。


「さ、ここだよ。ちょっと混み合ってるけど……」


 店主が案内してくれたのは和室だった。前回は洋室、その前も洋室だったはず。和室は初めてである。


「後で飲み物持ってくるね。ごゆっくりどうぞ」


「はい、ありがとうございます」


 店主はそれだけ言うと、元来た道を戻って行ってしまった。

 その背中を見送り、僕は襖に手をかける。


 ただの襖。普通の襖なら躊躇などしない。

 だけど、僕の手は汗ばんでいた。それに、心臓がドクドクと大きく音を立てる。

 こんなの僕らしくない。会社の面接ですら、僕はあまり緊張しなかった。なのに今、とても緊張している。


「ふぅ……よし」


 深く息を吐いてから、襖を開けた。

 すると視線が一気に僕に集まる。僕とあまり歳が変わらない人から、お年寄りまで幅広い人がそこにいた。中には犬、猫までいる。

 しかし、その視線の多くはすぐに僕から外された。僕に向けられたままの視線は、二つだけ。その方向へと、顔を向ける。


「っ! 父さん、母さん……!」


 僕の足は自然と二人の方へ向かっていた。

 近づくにつれて、二人の顔が柔らかくなるのがわかる。


「会いたかった……ずっと、ずっとっ……!」


 僕は大学を卒業し、春からは社会人となるのに、二人の姿は全く変わらない。


 厳しかったけど、優しかった父さん。僕が泣いているときに、優しく抱きしめて励ましてくれた母さん。

 うっすら涙を浮かべた僕を、今二人が抱きしめてくれている。


「ずいぶん大きくなったな……」


「立派になったわね。お母さん、嬉しいわ」


 頭を撫でられ、我慢していた涙が頬を伝った。

 こんな顔は見せられない。涙を手でぬぐい、鼻をすすってから顔をあげる。


「僕……もう、社会人になるんだ。二人にこの姿を見せたかったんだ」


 僕は今日、スーツを着ている。

 スーツ姿で山の中を歩くのは辛かった。慣れない革靴で靴擦れしているし、ネクタイが息苦しい。それでもこの姿を見せたかった。


「ああ。似合っているよ」


 毎日スーツを着て、会社に行く父を僕はいつも母と見送った。いつか僕も一緒にスーツを着て「いってきます」と家を出ることを夢見ていた。だけどそれはもう叶わない。

 僕だけが年をとり、二人に会えるのは4年に1度きり。ここでしか会うことができない。


「ごめんね、本当にごめんね……お母さん、あなたの傍にいることができなくて……」


 僕の姿を見ながら、母さんは肩をふるわせながら涙を流す。父さんはそんな背中を撫でていた。


「二人のせいじゃない。二人のおかげで僕は生きてる」


 僕が小学生のとき、両親は事故で亡くなった。

 家族で横断歩道を渡っているときに、信号無視の車にひかれた。とっさに幼かった僕を二人が庇ってくれたおかげで、僕は今生きている。二人の命と引き換えに。


「もう一緒に住むことは出来ないけど、僕は二人の子供でよかった。二人がいないことは辛くて悲しかった。それでも僕は、心の底からそう思うよ」


 自分一人だけが生きていることに絶望したとき、僕は偶然ここを見つけた。

 死者に会える店。ただし、会うことができるのは4年に1度。

 誰にでも会える訳じゃなくて、互いに引き合う人たちだけが会うことが出来る。当時はそんなことを言われてもよくわからなかったが、歳を重ねる度にわかってきた。

 今ここにいる人たちは、亡くなっている人ばかりだ。それぞれが大切な人が来るのを待っている。店主曰く、実際に会うことができるのはごく少数らしい。会いたいという気持ちが一方通行の場合が多かったり、知名度が低いことに加え、立地的にここを訪れる人が少ないらしい。僕がここを知ったのは本当に運がよかった。


「本当に、立派になって……俺たちの自慢の息子だ」


「えへへ」


 父の大きな手が僕の頭をぐしゃぐしゃに撫でる。

 懐かしい感覚に、懐かしさと恥ずかしさが入り交じる。


「よし! お前、もう成人したよな! 酒だ、酒! 息子と飲むのを楽しみにしてたんだよ!」


「待って、父さん。僕、お酒は強くな……」


「いいから付き合えって! 母さんもな!」


 男二人のやりとりを母さんは微笑ましそうに見る。


「こちらコーヒーです」


 いつの間にか店主が僕の分のコーヒーを持ってきていた。


「おう、店主! 酒をくれ! 今日は飲むぞ!」


「かしこまりました。お待ちくださいね」


 強引な父の注文を、店主は快く受ける。

 酒といっても種類がある。ビールに酎ハイ、ワインだって酒の一種だ。前回来たときは未成年だったから、今日初めてここで飲むことになる。どんなものが出てくるのかわからないが、家族でお酒を楽しむことができるなんて楽しみだ。


 お酒に弱い僕は、その後の記憶があまりない。

 気づいたときには、外は明るくなっており、二人はもういなくなっていた。部屋には僕一人だけ。あんなにいた多くの人は、全員いない。


 ガンガン痛む頭を抑え、体を起こす。

 吐かなかっただけよかったが、シワが出来てしまったスーツをどうしようかと頭を悩ませた。


「ああ、おはよう。昨日はいつにも増して、楽しんでたね。みんな羨ましそうにしていたよ」


 店主が水を持ってやって来た。


「騒がしくしてしまってすみません……」


「いいの、いいの。君みたいな人たちのための場所なんだから」


 店主は締め切っていた窓を開ける。すると冬の冷たい風が部屋の中へと流れ込んできて、僕の顔を撫でる。


「楽しい時間は過ごせたかい?」


「はい。とても……とても楽しい時間を」


 たった1日。しかも4年に1度。

 2度と会うことが出来ないと思っていた大切な人と過ごすことができる特別な日。


 そんな日があるから、僕は生きていくことができる。

 4年間の出来事を、たった1日で全部伝えることはできない。だけど、同じ時間を過ごすだけで、僕は前を向くことができるようになった。


 山の中のひっそりとしたこのお店。

 4年後に、また僕は訪れるだろう。

 その時には僕は26歳になる。もしかしたら結婚しているかもしれない。


 その時にはまた伝えよう。

 僕の4年間を。


 僕にとって、特別な日。

 また4年後に。

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