三角形の月とサーカスの話

@No37304

 空中ブランコの練習をしていると、ぱらぱらとサーカス小屋の天幕に落ちるものの音が聞こえたので、雨がふりだしたかとあわてて洗濯物を取り込みに表へかけだしたところで、ふっているのは星だと気がついた。まだ空は明るいのに誰かが星を放したものだから、お日様が明るいのに驚いて星たちが落ちてしまったようだ。これでは洗濯物は汚れてしまうし、天幕も破れてしまう。わたしはひとまず洗濯物を竿ごと小屋の中に入れて、あとのことをそこにいた座長に頼んでから、夜空管理局にむけて自転車を走らせた。


 案の定、夜空管理局の周辺は、わたしと同じく星がふってきたことへの苦情を言いに来た市民で溢れかえっていた。けれども、どうにも様子がおかしいのは、夜空管理局の尖塔の一部がくずれて、そこから今も星が空へ溢れてしまっていることだった。


「これじゃあ、しまいには地面じゅう星だらけになってしまうぞ」


「いや、それよりも、今は星だけだからいいが、月までも逃げてしまったら、大変なことになる。夜空管理局員は何をしてるんだ」


 そんな会話を聞きながら、わたしははたと気づいた。今日は日曜日、役所は基本的に休みじゃないか。夜空管理局員のような重要な仕事の場合、その日の担当者だけは出勤しているはずだが、それ以外のスタッフは誰も出勤していないのに違いない。そのうち集まっているみんなも同じことに気付き始めて、これはまずいぞ、と顔を見合わせ、管理局の入り口のドアノブをガチャガチャと回してみたり、誰かいないか、と呼びかけてみたりしたものの、何の応答も有りはしない。


「こまったな、多分中で事故があって、今日の夜空の担当者が倒れてしまっているんだ」


「もうだいぶ星が逃げている――月が出るのはそろそろじゃないのか」


 星はどしゃぶりの様相になっていて、足元は無数の星でそろそろ埋まりそうな勢いになっている。わたしは自転車をその場に置いて、人を掻き分けて尖塔のまわりをぐるりと一周してみた。れんが造りの尖塔には蔦がたくさん絡んでいるのだけれども、尖塔の崩れた一角より下は蔦が剥がれ落ちて、おまけにところどころに、妙な三角形のくぼみが一直線についていた。いったい、どういった事故が起きたらこんなことになるのだろうか。


「――あ、あなた、ブランコ乗りさんじゃあないですか」


 わたしが首をひねっているうちに、だれかがそう声をかけた。ふりむくと、近くの兵営から兵隊が到着したところで、わたしに声をかけたのはその兵隊のうち、よくうちのサーカスを見に来るふとっちょの兵隊だった。


「そうだ、あなたなら身が軽いから、蔦を手がかりに上まで登れるのじゃありませんか」


 ふとっちょの兵隊がそう言うと、他の兵隊たちも同じようにそうだ、それがいい、と言い始めるものだから、どうにもわたしも引くに引けなくなってしまって、わたしは蔦のなかでもしっかりと根を張っているものを選び、煉瓦の壁を登っていった。とはいっても、肝心の事故が起きたらしい現場の真下には蔦がないので、近場まで登って最後は飛び移ることになる。空中ブランコに飛び移るのにくらべると勢いも何もついていないので少しばかり骨が折れたが、三角形のくぼみに足をかけてどうにか崩れた壁から中に入ることができた。


 てっぺんをのぞいて窓のない塔の中には、らせん階段が壁沿いに地上階まで続いている。ガス灯もランプも点いていないのに足元が明るいのは、塔のなかにたくさんのたちが飛び回って、光を放っているからだった。塔のまんなか、らせん階段に囲まれた空間には大きな円筒形の籠が設置されていて、その中にも星たちはたくさん入っている。どうやら、本当はこの籠の中に星が入っていなければならないのに、なにかが起きて、星が飛び出てしまって、更には昼間の空にまでのぼろうとしてしまったようだ。塔の崩れた部分をいますぐふさぐのは無理そうだったのでせめて籠のほうだけでもどうにかしようとらせん階段を下って行くと、星たちが溢れでている箇所が目に入った。どうやら、籠そのものが壊れたのではなく、籠の扉が開いている状態のようだ。おまけに、そのすぐとなりには、当直の夜空管理局員が倒れている。わたしはまず籠の戸を閉め、それから夜空管理局員に声をかけた。怪我をしていたわけではないらしくすぐに夜空管理局員は目を覚まし、星たちが飛び回るあたりの様子を確認し、それから壁に空いた大穴を見て、大変だ、と声を上げた。


「あなた、月を見ませんでしたか」


「月ですか、ええ、わたしもそれを気にしていまして、星籠の中には姿が見えないようですがどこか専用の場所があるのですか」


 わたしは、てっきり夜空管理局員が気にしているのは、月が外に出ているかどうか、ということだと思ってそう答えたのだが、夜空管理局員は首を振って、違うんです、と言った。


「あの穴は、今夜の練習をしていた月が、飛び出してしまって空いたものなんです。月がどこかに落ちてしまったら大変だ――ああ、でも、まずは穴を塞がなければ」


 私は夜空管理局員に協力して、当直室の毛布を壁に打ち付けて穴をひとまずふさぎ、それから一階の鍵を開けて兵隊たちを中に入れた。兵隊たちはわたしに礼を言った後、当直の夜空管理局員から事情を聞きつつ当直以外の夜空管理局員への連絡やら外に出てしまった星の回収やらをてきぱきと指示しはじめたので、わたしは邪魔をしないよう帰路についた。


 来た時よりも地面に落ちた星が増えていたので自転車を押して帰ることになったが、おそらくこの程度なら天幕は無事にすんだことだろう。そう考えながらサーカス小屋の近くまで来たところで、わたしはサーカス小屋の正面に、見慣れない三角形のオブジェがあることに気がついた。大きさは私の背と同じぐらい、正しくは、少し歪んだ正四面体の、灰色っぽい石のようなもので出来たオブジェだ。なんだろうと思って近づいてみると、そいつはごとん、と転がって、わたしから遠ざかった。ぎょっとして、いったい何が起きたのか、と思いさらに近づこうとすると、また、ごとん、ごととん、とわたしと一定の距離を保とうと師ながら、転がっていく。その転がったあとに、正四面体の頂点が刺さった三角形の穴が開いているのを見て、わたしははっとひらめいた。


「お月さまだ」


 わたしがそういったとたん、三角形は、いままでよりもよほど早く転がって、そのうちに回転がとても速くなって、真ん丸の、まるで普段見かける月のようになったところで宙に浮かんで、そのまま空へ上るか――と思ったところで打ち上げに失敗したロケットのようにぐねぐねと軌道がおかしくなり、サーカス小屋に飛び込んでしまった。


 さわぎを聞いてかけつけた兵隊に事情を話すと、すぐに先程の夜空管理局員が飛んできて、サーカス小屋のすみっこに逃げ込んでしまった三角形を説得しはじめた。その話を聞く限り、やはりあれはうちの街で雇っている月で、どうも前に雇っていた月がもっと条件のいいところに引き抜かれていったために、同じ条件で受けてくれる月をどうにかこうにか見つけてきたものだったそうだ。だが、この三角形の月というのが、初の本番を前に緊張して、練習をしているうちに壁を破ってしまった、という次第で、この騒ぎに至ったようだった。しかも、わたしとしては、月が三角だったことよりも雇われの身だったことの方がよほど衝撃なのだが、三角の月としては、飛ぶのが下手で、自分が丸とはほど遠い外見であるのがばれることを恐れているらしい。


「ああ、お願いですから今日は急な新月の夜だということにして、新しい月を雇ってください、探せばもっと、五角形だとか六角刑だとか、丸に近い外見の月も、もっと円形に見せかけるのがうまい月もいますから、ぼくのように四つも頂点のあるへんな月のことは放っておいてください」


 なるほど、完全に三角の月は自信を失っているらしい。説得を続けていた夜空管理局員は一旦説得をやめ、月から少し離れた客席に腰を下ろした。


「どうも、ご迷惑をお掛けしまして申し訳ありません」


 わたしの姿を見つけてあわてて頭を下げる夜空管理局員に、もともとサーカス小屋は夕方まで使う予定がないので大丈夫だと言って、それよりも、とわたしは小声で切り出した。


「それよりも、あの三角のお月さまだけど、募集に応じたってことは、もとはちゃんと飛べるんでしょう。どうして今日になって、飛べなくなったんでしょうね」


「ええ、それは、完全に私の落ち度です。練習の最中に、どのみち丸く見せかけるなら、三角の頂点を削って丸に近づけても良さそうなものだ、と言ってしまって」


「ああ、たしかにそれは、言われた方としてはたまったものじゃあないですねえ」


 人間に例えれば、化粧するんだから最初から手術で化粧したように顔を変えてしまえばいい、といってしまうようなものだろう。わたしはしばし考え、三角形の月に、どこか舞台の見える場所に降りてくるよう言った。月は、なにかの罠かと疑っているようだったが、わたしと夜空管理局員のほかには小屋の中に誰もいないことを確認すると、客席の中程にある踊り場まで出てきてくれた。


「それじゃあお月さま、舞台を見ていてくださいね」


 月にそう頼んで、わたしははしごをのぼり、空中ブランコをつかむと、足場を蹴った。ゆあん、と空中ブランコが大きく揺れ、その頂点に達したところで、わたしは手を離す。からだが空中をしばし完成の法則だけにしたがってとんだ先で、もうひとつのブランコに、今度は足の甲で引っ掛かり、そこから膝を曲げてブランコの棒をつかむと、鉄棒の要領で大きく回転して見せ、その反動でブランコから手を離して飛び上がったあと、片手だけでもう一度ブランコをつかんで見せた。そこで、客席に向けて空いている手を振ると、夜空管理局員の方はそうでもないが、三角の月の方はかなり驚いているらしく、小刻みに揺れている。


 仕上げにもう一度向かい側のブランコに飛び移り、そこから低い位置の足場へと飛び乗って、舞台に降りると、ごとんごととんと音をたてながら、三角の月が舞台に近づいてきた。


「やあ、どうも、楽しんでもらえましたか」


 三角の月がごととん、と揺れたのは、おそらく頷いたのと同じようなことなのだろう。


「とてもどきどきして、驚きました。人間が、ああいう動きをするところは見たことがありませんでしたから」


「他にも、あの綱の上で体操をする者だとか、トリックがあってのことですが、大きな岩を浮かせ多様に見せかけるものに、五、六人の人間を腕だけで持ち上げるものなんかもいますし、ああ、あとは、猛獣に火の輪をくぐらせたり玉乗りをさせたりするものもいますよ。サーカスというのは、そんな、普通はできないようなことをしている人間を見に来るところなんです」


 客席の後ろの方に座っている夜空管理局員が、一体どうなるのかとはらはらした様子で、わたしと三角の月のやりとりを見ている。こうなると、どうにも、やる気が出てきてしまうのは、サーカスの一員の宿命というものだろうか。


「だからね、思うんですよ。ただの丸い月が空を渡るのじゃあ誰も驚かないけれど、実は月というのは三角で、それがまん丸に見えていて、しかも空をとぶんだ、と分かったら、みんなきっと驚いて、すごい、って思うんじゃないかって」


 三角の月は、しばし何の動きも見せなかったが、ふいに、頂点のうちの一つを下にして、コマのように回転を始め、それが安定したところで、縦の動きも加えて回転し始めた。この時点で、ほぼわたしの目にはまん丸な月がみえていた。


「これは、皆さんに、驚いてもらえることなのでしょうか」


「ええ、それは、保証しますよ」


 私の背丈と同じ程の大きさのオブジェが、突然勝手に重力に反した動きをして、更には浮き上がる、というだけで、正直に言うと、手品師あたりの商売はもう上がったりだろう、とおもったのだが、それについては自分のことではないし、口にしないでおく。


 しかし、驚いたことに、三角の月の技は、それだけではなかった。月は、急に天井近くまで浮き上がり、そこで体の一部を暗くし始めた。いや、正しくは、今まで全身が淡く光っていたのが片方に片寄っていっているようだ。それだけでもずいぶんおどろくべきことなのだが、更におどろくべきことに、月の体が暗くなるのに従って、サーカスの中の照明も、誰もいじっていないのに暗くなり始めたのだ。月は、天井近くで半月になり、三日月になり、糸のような月となり、再び太り始めて、満月へと戻った。照明は消えたままなので、月がサーカスの明かりに取って変わったような状態だ。


「これはどうです」


「すごい、はじめてこんな光景は見ましたよ、わたしだって驚くんです、だれだって、驚かないはずがありません」


 月は、三日月ほどの太さになって、笑うように明滅を繰り返しながら、トランポリンで跳ね回ってみたり、綱渡りの綱の上を行き来したり、空中ブランコをゆらしてみたりしていた。すると、そのうちに何やら、外からがさがさという音が次第に近づいてくるのが聞こえてきた。まずい、おりるんだ、と夜空管理局員が叫び、サーカス小屋の扉を押さえに走ったが、その前にサーカス小屋の扉は、無数の小さな星たちによって突破され、月に合わせてテント中を飛び回り始めた。そのうちに、星たちは明らかにテントに収まりきらないほどになり、わたしと夜空管理局員は、星に埋まってしまいそうになりながら、空中ブランコ用の足場へ上っていった。だが、それでもすぐに、空中ブランコの足場のてっぺん近くまで、星は積み重なってくる。


「お月さま、わたしたちが埋まってしまいます、一度光るのをやめてもらえませんか」


 月は、そういわれてはじめて、テントが星だらけになっていることに気づいたようだった。


「ああ、そうか、僕のあとを追うんですね。なら、こうしましょう」


 三日月だった月が、アラビアの剣のような形に変化して、サーカスの天幕に突き刺さった。三角形が回転して球に見えているだけなのに、どうしてそうなるのかは全くわからないが、光っている部分のはしに触れたとたん、天幕は焼け焦げたようになって、穴が開いてしまった。


「さあ、出るんだ!」


 月は、笑った猫の口のような形になり、天幕の外へ飛び出した。すると、まだ城壁の上にいたはずの太陽がとたんにとっぷりとしずんでしまい、かわりに夜空が現れた。その夜空へとどんどんのぼっていく月のあとを星たちがミルク瓶をぶちまけたような勢いで追い、ちいさな足場はがたがたと揺れ動いた。星たちがあらかた外に出てしまったところで、それまでの間に異常を察していた一座の面々が舞台裏から入ってきて、すっかり穴の空いてしまった天幕と、その向こうにある夜空を見てポカンと口を開けていた。


 夜のとばりがいきなり降りてしまったために、外でも同じように、人々は夜空を見上げていた。その夜空では、星と月が、不可思議な動きを見せているのだから、それも当然のことだろう。月は、星たちを引き連れながら夜空を飛び回っていたが、しばらくすると星は四方に散らばり、そのうち、燃えているように赤い星が集まって輪を作ったかと思いきや、その次には、ライオンの形をつくった星たちが、その輪のなかを潜り抜けていった。光の塊のようなライオンは、夜空を駆け巡り、ふたたび無数の星へと戻り、その次には、トランポリンの形になった。その上で跳び跳ねながら、満月から三日月、新月と形を変えて見せるのは、三角の月だ。一度月が完全に消え去ったところでトランポリンはシルクハットの形に代わり、その中から、三角の月がふたたび顔を出した。この時点になると、夜空を見上げている人々からは、歓声が上がるようになっていた。夜空は、星と月によるサーカスの舞台となっていたのだった。


「あれ教えたの、きみかい?」


 流れ星のしっぽを使って空中ブランコを始めた月を見て、座長がわざわざ足場の上までのぼって質問をしにきた。演技のやり方が完全に同じなので、見ればすぐにわかるのだ。


「ええ、なんだか、成り行きで」


「それじゃあ、お月さまに、こっちのサーカスにも顔を出すよう伝えてもらえないかい」


 まだ本来のサーカスの開幕までには時間があるはずだったが、座長いわく、こんなものを見せられて、そのあとにただの曲芸を見に来る客など居るはずがないから、いますぐ、星や月を呼び寄せて開幕したほうが、まだ客が呼び込めるはずだ、との事だった。横にいる夜空管理局員が必死な顔で留めようとするので一度は断ろうとしたが、そうしないと天幕の修理代をわたしの給料から天引きする、と脅されては仕方ないので、わたしは垂れ下がった天幕から屋根の上によじ登り、月に、こちらのサーカスにも出てほしいと頼んでみた。月は、夜空でちかちかと点滅したあと、大きく丸を描き、再び天幕の中に飛び込んできた。そのせいでもう天幕はすっかり破れて露天状態になってしまい、ついでにその上に乗っていたわたしも落っこちかけたが、流れ星たちがしっぽを使って受け止めてくれて事なきを得た。


「さあ!少し早いですが、、夜空の天幕も下りきったところで我々人間のサーカスもはじめましょう!天体のサーカス一座も応援に駆けつけてくれて、今夜はいつも以上に最高のひとときを皆さんにお届けいたしましょう!」


 客は、月と星がこのサーカス小屋に再び飛び込んだ時点ですでに客席に入ってきていて、すぐに満席になってしまったので、やけくそ気味に座長が叫んでサーカスは開幕した。天幕とともにそれを支える骨組みと、そこからぶら下がっていたライトもすっかり壊れてしまっているため照明は一切存在しないが、何しろ、夜空じゅうの天体がこのサーカス小屋に集まっている状態なので、明かりには苦労せずに済みそうだ。


「まずは当サーカスきっての花形スターが、星の上での空中ブランコを披露してくれます!」


 何も聞いていない状態だったため思わずわたしは座長にむけて首を左右に振ったが、座長は肩をすくめた。


「他の奴らは、大急ぎで準備中なんだ。いますぐ演技に移れるのはどうみても、君だけじゃないか」


 たしかに、演技に移れる格好をしていて、演技に移れる場所に居るのは、どうみてもわたししかいない。しかし、天井が崩れているのだから空中ブランコもないはずだ、と思って足場から先を見てみると、先ほど天空で月が乗っていたのと同じ、流れ星のしっぽを使った空中ブランコがそこにはできていた。足場の陰に隠れて浮き上がってきていた月が、小声で


「強度は保証しますよ」


と告げに来て、わたしは腹をくくった。


 流れ星の尻尾は、樹脂製の棒と比べると少しフワフワとしていたが、それ以外は、しなり方や強度もその場で引っ張って見た限りでは、普段使うブランコとそう変わりは無いようだった。普段と何も変わらない、と自分の心に言い聞かせて、私は足場を蹴った。普段と同じようにブランコはゆあん、と揺れて、わたしの重さに従って加速し、ワイヤー代わりの小さな星をつないだ鎖に引っ張られて飛び上がり、その頂点で私は手を離す。わたしの軌道を予測して星たちが作った輪の中をくぐって向かい側の同じようなブランコに両足で引っかかり、体を折って反動をつけてブランコを揺らし、その頂点に達したところで体を縮めて飛び上がる――はずだったのだが、普段使うブランコよりも、星のブランコのほうが軽すぎて、遠心力がかからなかったらしい。飛び上がるのに使う加速が足りなかった。どうにか頭を空に向けることだけはできたが、ブランコを掴みきれない。これは落ちるな、と思った矢先、足の裏に、ふんわりと硬いものに触れる感触があった。三角の月が、ゆるやかにコマのような回転をしながら、平らな面を上に向けて私の足場になってくれたのだった。衝撃を吸収するように、ややゆっくりと下降しながら私の体重を受け止めた三角の月は、わたしが体勢を整えたことを確認すると、ふたたび上空に飛び上がった。ジャンプ台と同じ要領でわたしは高く飛び上がり、ついでに宙返りもした上で、つかみそこねたブランコを今度こそ掴むことに成功した。


 大きな歓声が、サーカスじゅうを包んでいる。めまぐるしく動く景色の中、いつの間にか舞台の上に降りていた座長がピエロのメイクをした上でも分かるほどに動揺した表情を浮かべているのとか、子どもたちが月を指さして目をまん丸にしているのとかが視界の端に映った。


 その後はいつもと同じように技を決めていき、元のブランコに飛び移り、最後に少し下にある足場に戻るところで、月がその位置にいるのを見て、わたしはすぐに意図を了承した。最後に、足場に飛び移る代わりに、またわたしは月の上に着地し、歓声の中、三角の月に乗って座長のすぐ横に降り立った。


「すまない、普段と全く違う環境になっているのを考慮せず――」


「いえ、構いませんよ、それより、お月さまを褒めてやってください」


 座長にそう言って、わたしは深く客席に向かって礼をした上で、三角の月の後ろに下がった。座長は、三角形の巨大な物体をぎょっとした顔で見ながらも、すぐに満面の笑顔にたちもどり、マイクを持ってお客のほうへ向き直った。


「どうぞ天体のサーカスの団長、三角のお月さまにも盛大な拍手をお願いします!」


 ぱらぱらと続いたままだった拍手が、ふたたび波のように大きくなった。座長はその隙にちらりと舞台袖を見る。舞台袖では、次の出番であるらしい動物使いが、もう少し待つようジェスチャーをしていた。どうやら、動物たちが見慣れない光景に興奮してしまっているようだ。座長は、月を称えるような素振りで場を持たせながら、わたしに小声で、もし準備が不十分ならここで公演を打ち切るから出番待ちの出演者に確認するよう言った。


「さあ、みなさん、御覧頂いておりますとおり、実はこのお月さまは三角でいらっしゃるのです。なんと摩訶不思議、この巨大な三角の姿で、一度回転を始めれば宙に浮き、変幻自在に月齢まで変えてみせる、まさに天空の大奇術師、大曲芸師と言えるでしょう」


 座長の即興の司会に合わせ、月はふたたびコマのように回転して舞台から浮き上がり、更に球体になるよう速い回転を始め、痩せたり太ったりして見せ始めた。更に月は客席のすぐ上にまで飛んでいってその姿を見せるサービスまでし始めたので、わたしはその隙に舞台袖に走り、動物たちをなだめている動物使いと、柔軟体操をしている綱渡り師、同じく体をほぐしている怪力男や曲芸師に、道具の手入れをしている手品師、その他もろもろの出番待ちの一座の団員たちに、準備不足であれば公演を打ち切ると座長が言っている旨を伝えた。すると、一同は狐につままれた顔を浮かべた。


「何言ってるの、あんた、花形だとか紹介されて、ついでにこんな美味しい舞台を一人じめにするつもり?」


 綱渡り師が口にした言葉に、他の面々も、うんうんと頷いてみせる。わたしは頭を掻き、それから、肩をすくめた。


「はは、一人舞台にできたらわたしの人気もうなぎのぼりだったんだろうけれどね」


「そうは問屋が下ろすかよ。――ただ、動物使いのほうは、少し後に回したほうが良さそうだ。俺と曲芸師はすぐに出られるし場も繋げるから、出番を交代しよう」


 怪力男が言ったことをすぐに団長に伝え、公演は再開された。一度も打ち合わせをしたことがないというのに、こちらの演目を月と星たちは見事に盛り上げ、こちらの一座の面々も、月や星たちの特性を理解してうまい具合に共演を果たしきっているのは、どういう奇跡だろう、と思わずにはいられなかった。


 ようやく動物たちがショーに出られる状態になり舞台に出ていき、出番を一旦終えた団員が舞台裏に引けてやや閑散とした舞台袖で、わたしは黒い制服の人物が舞台を見つめているのに気がついた。夜空管理局員が、どこかのタイミングで足場から降り、舞台袖に引っ込んでいたらしい。


「やあ、どうも、なんだかすごいことになってしまいまして――その、なんでしたらこちらから、市役所にでも嘆願書か何か、送りますよ」


 深く考えなくとも、今日の当直だったこの夜空管理局員氏の立場が悪いというものではなくなることは明らかだったので、その原因の一端を担っていそうなわたしとしては、そのくらいのことはしておかないといけないだろう。が、夜空管理局員は、なにやらスッキリしすぎた顔でわたしの方を向き、その必要はありません、と口に出した。


「その必要はありません。考えて見れば、はじめのころは丸い月しか空に浮かぶ月がいなかったから丸い月のように他の月たちに振る舞ってもらっていたわけでして、でもよく考えたら、それにこだわる必要はないわけです」


 夜空管理局員いわく、昔は空に浮かぶ月というのは丸いものだけで、月を見られる地域もごく一部だけだったのが、それ以外の地域でも月を見たい、ということになり、丸く見せかけられる月を雇うことが習慣となっていたのだそうだ。前任の月の引き抜きの話などは、より丸く、ほんとうの丸い月に近く見せられる月は人気が高く、財力のある国や街がより良い条件を提示することから起きる事情なのだそうだ。


「夜空業界では、ずっとその慣習に従ってやって来たわけですが、実を言うと、夜空の月になりたい三角やら四角やら、もっと他に変わった月はいくらだっています。そっちを雇ったほうが大衆受けするなら、これはもう価値観の革命、一大画期になりますよ」


 なにやら、夜空管理局員氏は新たな情熱に燃えているようだが、そうしているうちに、すべての演目が終わったらしく、わたしは一座の面々とともに、フィナーレのために舞台に出て行った。


 翌朝、新聞やラジオはけたたましく衝撃のニュースを流していたが、それよりも、当一座としては、昨晩の公演が満員御礼だったのにもかかわらず誰も入場料を取らなかったために天幕の修理費の捻出が当面の大問題となっていた。夜空管理局にねじ込むか、という話も出たものの、そこらじゅうで、植木鉢が割れただの星が頭にあたっただのという事件があったために夜空管理局の窓口はおろか、市役所の窓口もろくに機能しておらず、最終的には、暫くのあいだ雨がふらないことを祈り続けるほかない、という結論に達した。件の夜空管理局員はどうやら、処分を待つ前に自分から上司に辞表を叩きつけて、独立したらしかった。そちらはそちらで割とうまくやっているそうだが、この小さな町にまではあまり話が伝わってこないので、よくはわからない。


 たしかなのは、この町の月はそれからもときどき、空の上で三角になってみせることぐらいだ。


<おしまい>

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