第25話 ナスタチウムと掌握戦争

亜宮由岐雄あみやゆきおという男が地球上のフォーチュンを皆殺しにした事件。史上かつてない殺戮行為だとしてアマノトリでは大規模な操作が行われたが、未だ男の発見には至っていません」

 アイリスは少し青ざめた顔で、努めて平常なように話し出した。ゾフィアは無表情で、腰に手を当てて聞いている。

「……亜宮由岐雄が完全直立二足歩行ロボットの基礎理論、つまりフォーチュンの『身体』を開発した張本人であるという事も、事件を大きくするきっかけとなった」

「その通りです。ですが、アマノトリにいる彼がどうやって地球上のフォーチュンを殺すのです? 

 ……彼は宇宙から指示を出していた。


「そんな……なんで」シオンは驚愕で声が上手く出せなかった。

 ゾフィアは先を続けろと言わんばかりに下を向いて黙っていた。

「私の『生みの親』は、亜宮由岐雄です。彼はたった一人で私を完成させ、地球に放置してアマノトリに乗船した。そして宇宙から私を起動させ、操ったんです」

「一体何を言っているんだよ。君がフォーチュンを殺したって……。そ、それに彼の遺書には『フォーチュンの自殺プログラム』の話が……」

「それは彼が作ったです。計画の実行を彼一人が行ったと思わせれば、私の姿が露見するまでの時間稼ぎになる。シオン、信じられないかもしれませんが、これはあなたと出会う以前の出来事です。その時には既に、私はほとんどのを終わらせていた」

「……虎の子という訳か。だが、まだ分からないな。お前一人でどうやって世界中のフォーチュンを殺した? 地球上には二四〇万体のフォーチュンがいたはずだ。まさか世界一周を行脚した訳ではあるまい」

 アイリスは静かに首を横に振った。

「私一人ではありません。『協力者』と一緒に殺した」

「馬鹿な……。他のフォーチュンに殺害を肩代わりさせたのか? 一〇八条項の無いお前ならともかく、それ以外の奴にそんな芸当……」

「ええ、もちろん違います。私以外の個体は厄介な条項のせいで、私にすら全く抵抗ができない。だから地球上で協力者を作ることはできなかったんです」

「ならば……どうやって」

「人類が地球を発ち、力を持たないフォーチュンだけが跋扈ばっこするこの世界で、ただ一つだけ強大な力を持つ者がいた。あなたの言う、『観測者』という力を」

「何を言っているんだ……、お前は!」

 ゾフィアの手が机の拳銃に伸びた。その手は怒りと驚愕に震えている。


「気が付きませんでしたか? 私は『リリィ』というの情報をネットワーク上で見つけ、ハッキングしたんですよ。

 私も、まさか彼女が地球外軌道を周回していたとは思いませんでしたが」


 言い終わるや否や、ゾフィアは銃口をアイリスに向けた。シオンは思わず耳を塞いだが、アイリスは飄々ひょうひょうとした態度を崩さなかった。

「言えと脅したのはあなたです。それとも、聞く気が失せましたか?」

「……続けろ」ゾフィアはアイリスの胸元に照準を合わせたまま重々しく、言った。

「リリィをハッキングしてどうなる? なぜ娘を犯罪に加担させた!」

「勘違いしないでください。あなたの娘は何もしていない。ただ、スイッチを押しただけです。私が手に入れたかったのは彼女ではない。私の狙いは、国際宇宙ステーションI  S  Sです」

「宇宙ステーション……?」シオンは眉をひそめた。

「心当たりは……ありますよね。ゾフィアさん?」

「チッ……」

 ゾフィアは荒々しく銃を机に置いた。

「……人工衛星として打ち上げたリリィを、放棄された旧宇宙ステーションに接続させた」

 ゾフィアはアイリスの背後にたたずむ『リリィ』を一瞥した。傷一つない陶器のような表面のアームは、天井に吊るされたまま一切動かない。

「目的は内部に置いてあった多種多様な機器。地球の『観測』も重要な任務の一つである宇宙ステーションならば、最高のロケーションを確保できる。

 スーパーコンピュータの『スターゲイザー』も、そこに設置された本体を遠隔で操作している。違いますか?」

「……」

 返答する代わりに、ゾフィアは顎で続きを促した。

「そして、『どうやって殺したか』という問題ですが、私が使ったのは『蜻蛉かげろう天矛あまほこ』です」

「『蜻蛉の天矛』……。おいおい、冗談だろ……」

「『地球の引力を利用した半自律誘導大質量投擲兵器』。典型的な宇宙兵器です。落下速度は最大でマッハ十二。一般的な巡航ミサイルの十六倍の速度と核弾頭並みの破壊力、そして、地球上のどこであっても一時間以内に攻撃可能な即応力を兼ね揃えた、新たな世界の抑止力です」

「質量兵器は理論上のシステムだ! 現実に配備されている事実など聞いたことが無い!」

「世界はいつだって重大な情報を隠し続けています。例の『計画』だって、まさにそうだったでしょう?」

 ゾフィアはギリリと歯ぎしりをした。

「……お前はリリィを経由して国際宇宙ステーションを乗っ取り、『蜻蛉の天矛』を使って世界中のフォーチュンを根絶やしにした。そういうことだな?」

 アイリスは無言で肯定の意を示した。疲労が蓄積したのか、息を切らしたように肩を上下させている。


「だがまだ肝心の問題に辿り着いてない。  

 ?」


 アイリスは俯いたまま、右手を力なく目線の高さに掲げた。すると、アイリスの正面に大量のホログラムウィンドウが表示された。大小様々な光の枠が、咲き乱れるように展開されてゆく。ゾフィアは目で追いきれず、茫然とその光景を眺めた。

「結構バッテリーに響くので、出来れば早く見てほしいのですが……。

 ……これ、何か分かりますか?」

 ゾフィアは恐る恐る近づいて、ウィンドウの一つに触れようとした。手は光をすり抜け、ほのかな温かさを感じる。

「何だ、これは」

 ゾフィアの目に最初に留まったのは、整然と何かが記された文書データ。ホログラムがさざめき、細部まで読むことはできない。しかし、中央に大きく判を押された『極秘』の文字が、すべてを物語っていた。

「機密文書……! この文字、ロシア語か!」

「ええ、ロシアの軍関係施設に潜入していた国家地理空間情報局N  G  A所属のフォーチュンから殺して奪いました。正式には公表されていない、ウラル山間部の核兵器実験場に関する極秘資料です」

 アイリスは右手を下げ、すべてのウィンドウを閉じた。ゾフィアはその場で固まったまま、青い顔をしている。

「お見せした資料はすべて、世界中の諜報員が集めた各国の機密文書、もしくは閣僚レベルの過去の汚職を調べ上げた告発文です。これを全人類の前で明るみに出せば、おそらく世界を五回は破滅に導けるでしょう」

「諜報員……だと?」

「ええ、以前あなたがおっしゃっていた、『フォーチュンが生きたまま地球に残された理由』。これには三つ目の理由があるのですよ。

 『人がいなくなった地球で、諜報活動を行う』という任務が」


 フォーチュンは人を殺せないが、人の命令には簡単に従う。彼らにとってスパイ活動はその特性を最大限に生かせる仕事だ。

「フォーチュンは十分な電力さえあれば無限の活動が可能で、水中や汚染区域などの行動領域制限が無い。外見上は人間と区別がつかないので、正体が露見することもまず無い。フォーチュンにとって、諜報員としての仕事は天職です」

「人が消え去った地球で、彼らはずっとそのような活動をしていたというのか……?」

尋問した聞いた話によると、人類が地球にいた頃から諜報機関にはかなりの数のフォーチュンがいたそうです。

 地底から観測していただけのあなたには分からないでしょうが、スパイの彼らは相当賢く任務を行っていましたよ。無人車両の操作から、一〇八条項を一時的に無効化する洗脳技術まで、私も彼らの殺害には随分手古摺りました。ですが、私は巧妙に姿を眩ます彼らを決して逃さなかった。一人ずつ解体しては、彼らが入手した情報を収集しました。何年も掛けて、私はあらゆる情報を脳内に溜め続けた」

 そこまで聞いたゾフィアは、再び声を上げた。

「だが、フォーチュンの記憶能力は……!」

「スパイとして利用されていたフォーチュンは、全て第六世代でした。つまり、コンピュータと同じ『完璧な記憶能力』を有する個体だったんです」

「違う! !」


 人間を真似た『曖昧な記憶力』を持つ第七世代。このモデルは人間らしさが強調される反面、情報を保持し続ける能力は第六世代に比べて劣る。

「ええ、だから私は。読んだ資料を頭の中で文書化し、絶えず保持し続けた。通常よりバッテリーの減りが早いのも、おそらくこれの影響だと思います」

「揃いも揃って化け物か……お前たちは!」

 ゾフィアの表情には、明らかに恐怖の色が浮かんでいた。

「で、でも……、どうしてスパイのフォーチュンを……その……殺す、なんてことを?」

 シオンは震える声で訊いた。

 ずっと自分の隣にいた女性が、壊れた世界でも変わらぬ気品で佇んでいた唯一の友人が、まさか、殺人犯だなんて。シオンはアイリスを直視することができなかった。まるで、あの微笑みの背後に隠された正体から、目を逸らすかのように。




「それは、もう一つの『計画』のためですよ」

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