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 高校を辞め、コンビニでバイトを始めて半年になる。ようやく慣れて手早く仕事をこなせるようになってきた。あまり人付き合いは得意ではないけれど、他のスタッフとも打ち解け、お客さんにも顔見知りができている。

 毎朝の通勤途中に弁当を買っていく会社員の人。ギターを背負っていつも菓子パンばかり買う大学生のヒロキさん。惣菜や仏壇に供えられそうな菓子を買いに来るトミさん。近くの公園ではしゃぎまわった帰りに小銭を握りしめて駄菓子やジュースを選ぶリョウとハルナの兄妹。それから、あっ、この人ー

「村尾くん、最近品物なくなることが多いから、ちょっと気をつけて見ておいて」

「…はい」

 バックヤードに戻る鈴木さんに言われて僕は緊張する。自動ドアから入ってきたのは制服姿の高校生の女の子。背が高い、かなりの美人だった。からだの内側が透けてしまいそうに白い肌は不思議と自然に輝いているし、大きなぱっちりとした目と長いまつげ、なにも付けていないのに鮮やかに赤いくちびる、腰まであるまっすぐな髪、どれもが整って、満開の八重桜みたいにきれいな子だ。ただ、僕がこの子の顔を覚えたのはそれだけが理由ではなく、彼女のくせー盗癖のせいだった。

 彼女がこの店にかなり頻繁に来ることはバイトを始めてすぐにわかった。なにしろ外見があまりに目立つ。店に来れば自然と目がいってしまうのだ。その日も放課後にやってきた彼女を、なにを買うんだろうな、なんてついぼんやり見つめていた。菓子の棚の前を迷うように上下する腕がふいに止まった一瞬、彼女は不安そうな鋭い目線を左右にはしらせると、食べきりサイズのチョコレートをさっと上着のポケットに潜らせた。

 万引きだ。はっと息が詰まる。彼女はそのままレジのほうは見ないで出ていき、あんなに美しい顔なのにそんな汚いことをするのか、と僕は奇妙な気持ちになった。

 それ以来、彼女が来るたび注意して見ていると同じようなことが何度も起きた。僕はなぜか彼女のことを店のスタッフに言う気になれなくて、商品の破損やレジの打ち間違いということにして帳尻を合わせていた。なんだか単なる悪人のようには思えなかったし、美しい彼女が醜い盗みをしても不快ではなく、むしろその食いちがった組合せが僕は気になった。

 今日はなにもないといいな、と思いながら彼女を見る。しばらくすると雑誌を見ていた男の人が出ていって、店内は僕と彼女だけになった。嫌な予感がする。彼女は青白い顔で周りを見わたし、そっと震える手をボールペンにのばす。

「あっ」

 思わず声が出ていた。彼女が弾かれたように僕を見る。不安と恐怖と怒りに凄みが混ざってものすごい力を放つ目。視線が痛いくらいで、今度は僕が震える番だった。

 彼女がそっと目をそらすと、僕は無意識に止めていた息を大きく吐いた。と、彼女はそのままペンを手に取り学生鞄に滑り込ませる。どういうこと?戸惑う僕の目を今度はまっすぐ見て、声は出さずに口の形だけで彼女はこう言った。

 きょ、う、は、ん、

 ー共犯、と頭の中に漢字を並べる僕に、彼女はにっこりと微笑んで、何事もなかったように店を出て行った。すらっとした後ろ姿。癖のない髪からふわりと流れるシャンプーの香り。鞄にゆれる真っ赤なハート型のキーホルダー。僕は熱にうかされるようにただ見送る。頭に血が上って景色が渦巻いた。自分がなにか罪を犯したみたいに怖いけれど、なぜか不思議な快感がある。正直に言うと、彼女の万引きを見た後はいつもこんな風に妙に興奮した。もし僕がただ見ているだけじゃなく、万引きを忠告したら。それでも僕と彼女だけの秘密にしておくと言えば、彼女は僕を特別な目で見てくれるんじゃないか。いっそ弱味を握っていると脅してしまえば、彼女を好きなようにできるのかもしれない。そんな風にいやらしい妄想が頭を離れないときもある。満開の桜があまりにきれいで恐ろしくなるとき、百合やヒヤシンスの香りが強すぎてむせてしまうとき、そういう危ない花のような甘い感覚で僕はくらくらしていて、それが今となっては妄想どころか、実際共犯になってしまった。彼女の万引きをこの目で見て、彼女もそれをわかっていて、その上で僕は逃がしてしまったのだ。

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