きみの嘘、僕の恋心~瑠璃の鳥~

猫柳蝉丸

本編



――大好きだよ。出会った時から、ずっとずっと、誰よりも。





「もうすぐだよ、お兄ちゃん」

 その名前に倣ってか、瑠璃色のドレスに身を包んだ瑠璃ちゃんが言った。

 今日は僕の結婚式。僕のお嫁さんの珊瑚ちゃんが美粧室でウェディングドレスに着替え始めて約二十分。こんなにも長く掛かるものなんだなあ、と思いつつも別に嫌な気分じゃない。生涯一度きり(一度きりじゃない人も多いけど)の晴れ舞台なんだ。珊瑚ちゃんにはうんと綺麗になって最高の思い出を作ってもらいたいし、僕だって最高の結婚式にしたい。

「やっぱり嬉しい?」

 僕が微笑んでいる事に気付いたのか、瑠璃ちゃんも首を傾げて微笑んでくれた。

「嬉しいよ、勿論。まさかこの僕が珊瑚ちゃんみたいな高嶺の花と結婚出来るなんて思ってなかったからね。自分で言うのもなんだけど、平凡でそんなに取り柄がない方だし」

「お兄ちゃんだって、言うほど悪くないと思うよ」

「それはありがとう」

「取り柄が無くたってお兄ちゃん真面目じゃない。女って結局真面目で安心出来る男の人が好きなものなんだよ?」

「そういうものかな」

「そういうものだよ」

 瑠璃ちゃんがそう言うのならそうなのだろう。僕は頷いて控室の窓から空を見上げた。

 蒼穹。

 雲一つない、まるで瑠璃色の空。

 泣き出したくなるほど綺麗な空を目にして、僕は不意に思い出してしまう。



――大好きだよ。出会った時から、ずっとずっと、誰よりも。誰にも許されなくても。



 あの日、一年前のあの日、僕は瑠璃色の下で産まれて初めて告白された。

 大好きだよ、と言われた。

 心の奥底からの思いの丈をぶつけられた。

 嬉しかった。自分が誰かにこんなにも愛されるなんて思っていなかったから。

 こんなに幸せな事があるんだって思った。

 だから、僕は努力も出来たし強くもなれた。あまり取り柄のない男である事は確かだけれど、それでもその想いを受け止められるに相応しい男であろうと思ったから。その甲斐もあってか、僕はそれなりに魅力的な男に成長出来たとは思う。こうして今日、珊瑚ちゃんと結婚式を挙げられるくらいには。

 今、僕の目の前の瑠璃ちゃんも笑ってくれている。必死に努力する僕をからかいながらも真摯に励ましてくれた瑠璃ちゃん。瑠璃ちゃんが近くで笑ってくれていたから、僕は成長出来た。心からそう思っている。短めの髪を元気に揺らして、その名前と同じ瑠璃色の服がよく似合う、活発で魅力的な瑠璃ちゃん。僕はそんな瑠璃ちゃんと巡り合えて、本当に幸せだと思っている。

「お兄ちゃんはさ」

 ふと瑠璃ちゃんが何故か声を潜めて僕に訊ねる。

「お嫁さんを幸せにしてあげたいと思ってる?」

「勿論だよ。僕じゃ力不足かもしれないけど、やれる限りの事はしたいと思ってる」

 僕は真剣に答えた。僕のその言葉に嘘や見栄なんて含まれていなかった。結婚するんだ。家族になるんだ。いい加減な気持ちで結婚するなんて事はあり得ない。珊瑚ちゃんを幸せにするために人生を懸ける覚悟くらいとうに出来ている。

「うん! だったらよし! 幸せにしてあげてよね!」

 そうやって瑠璃ちゃんが僕の肩を叩いたのとほとんど同時にノックの音が響いた。

 珊瑚ちゃんのウェディングドレスの準備が整ったらしい。

 僕が立ち上がって珊瑚ちゃんの居る美粧室に向かおうとすると、瑠璃ちゃんが僕の腕に躊躇いがちにその小さくて細い腕を絡ませていた。

「瑠璃ちゃん……?」

「エスコートしてあげるよ、お兄ちゃん。バージンロードの練習。いいでしょ?」

 エスコートするのは僕の方じゃないかと考えたけれど、それを口にはしなかった。

 僕も瑠璃ちゃんと少しだけ腕を組んで歩きたい気分だったから。

「お願いするよ、瑠璃ちゃん」

「えへへ、任せて、お兄ちゃん」

 控室を後にして、ウェディングプランナーさんに連れられて、僕と瑠璃ちゃんは歩を進める。珊瑚ちゃんが待つ美粧室まで。一歩一歩、踏みしめて。この時間を決して忘れないように。

 美粧室に到着するまで、瑠璃ちゃんは何も言わなかった。僕も何も言わなかった。

 瑠璃ちゃんと腕を組んで歩いた時間は一分にも満たなかった。当たり前だ。控室と美粧室がそんなに離れているはずもない。

 美粧室の扉を通過する寸前、ほんの一瞬だけ僕は瑠璃ちゃんの表情を目にした。強張っている、と感じた。緊張の糸を切らないように張り詰めているのだろう。僕の表情も強張っているのもしれない。珊瑚ちゃんのウェディングドレスを直接目にして、僕は冷静でいられるのだろうか?

「お待たせ、秀幸くん、瑠璃」

 美粧室の中心では純白のウェディングドレスに身を包んだ珊瑚ちゃんが立っていた。

 綺麗だ、と最初に思った。次に湧いたのは、この人を幸せにしなければならないという使命感。僕は珊瑚ちゃんのお婿さんになるんだ。幸福感と使命感が同時に沸いて、武者震いまでしてくるくらいだった。

 よかった。僕は珊瑚ちゃんのウェディングドレスを見ても冷静でいられた。

 けれど。

 冷静でいられなかった、溢れ出す感情を止められなかった、そんな女の子が居た。

 僕の、隣に。

「う、うううううう……! ひっく……」

 瑠璃ちゃんが泣いていた。

 大粒の涙を流して、顔を真っ赤にして、小さな子供みたいに。

「あらあら、どうしたのよ、瑠璃。急に泣き出すなんて……」

 珊瑚ちゃんが瑠璃ちゃんに近寄って、その崩れ落ちそうになる肩を支えてあげていた。

 ウェディングドレスが汚れるかもしれないのに、そんな事は全然気にしていないらしかった。流石は僕のお嫁さんだと思う。優しいお姉さんの顔を瑠璃ちゃんに向けて微笑むその姿は、とても魅力的で僕の心を奮わせた。

 瑠璃ちゃんが大粒の涙を拭いながら声を絞り出した。

「泣いて……、泣いてないもん……!」

「どこがよ、瑠璃。しっかり大声で泣いちゃってるじゃないの」

「お、お姉ちゃんの花嫁姿にちょっと泣けてきちゃっただけだもん……!」

「お父さんの言葉よ、それ……」

 微笑ましくも思える姉妹の姿。珊瑚ちゃんと瑠璃ちゃん。とても仲の良い姉妹。

 一見するだけだと、そう見える。

 それでも、僕は知っている。知ってしまっている。

 瑠璃ちゃんが嘘をついている事を知ってしまっているんだ。



――大好きだよ。出会った時から、ずっとずっと、誰よりも。誰にも許されなくても。好きになっちゃいけないって分かってるけど、それでも伝えたかったんだよ、お兄ちゃん。



 一年前のあの日、僕は瑠璃ちゃんに告白された。

 産まれて初めてされた告白だった。戸惑ったけれど嬉しかった。出来る事なら応えたかった。瑠璃ちゃんの想いに応えてあげたかった。幸せにしてあげたかった。それでも、それは叶わなかった。叶えられなかったんだ。

 あの日、瑠璃ちゃんは泣いた。今と同じみたいに、大声で泣いた。叶えてはいけない想いと分かっての告白だったんだ。泣きたい気持ちは痛いほど分かった。僕だって大声で泣き出したいくらいだった。

 僕が過去に思いを馳せている間にも、珊瑚ちゃんが瑠璃ちゃんを慰めている。

 優しいお姉ちゃんが、大声で泣きじゃくる妹を、慰めている。

「ほら、泣き止んで、瑠璃。結婚しても週に一回は実家に帰るから。ね?」

「べ、別に寂しいわけじゃ……わけじゃないもん……!」

「だったら泣き止まないと、瑠璃。あなた、来年にはもう中学生なんだから」

「分かってるもん……!」

 二年前、僕は小学生の家庭教師のアルバイトをしている時に瑠璃ちゃんと出会った。

 珊瑚ちゃんともその時に出会った。瑠璃ちゃんの優しいお姉さんの珊瑚ちゃん。すぐほのかな恋心を抱いた。当たり前だ。僕の好みは優しいお姉さんタイプの女性だったんだから。ただ付き合えるなんて思っていなかったから告白する勇気もなかった。あの頃の僕は今の僕よりも遥かに冴えなくて取り柄の無い男だったから。

 だから、驚いた。瑠璃ちゃんから告白された時は、本当に。

 瑠璃ちゃんとは初めて出会った時から気が合った。お互いにゲームが趣味な事もあって話も盛り上がった。僕が一人っ子だった事もあってこんな妹が欲しかったなって何度も思ったくらいに。だけど、その関係が恋愛感情に発展するなんて夢にも思ってなかった。

 瑠璃ちゃんは僕に告白してくれた。許されない想いだと分かっていて、それでも。

 僕はその想いに応えられなかった。当たり前じゃないか。十歳以上年下の十歳の女の子と恋愛関係になんてなれなかった。それが犯罪だという事は、僕も瑠璃ちゃんも分かっていた。だからこそ、瑠璃ちゃんは大声で泣いたんだ。僕への想いを吹っ切るために。叶えてはいけない想いに区切りを付けるために。

 僕も負けてられない、と思った。せめて瑠璃ちゃんが一度は好きになった事を後悔しない男になろうと努力した。その甲斐もあってなのか、瑠璃ちゃんの後押しもあってか、珊瑚ちゃんもいつしか僕の事を好きになり始めてくれていた。僕と瑠璃ちゃんの関係のためにもそれが一番いいと思っていた。まさか結婚出来るほど関係が進むなんて思っていなかったけれど。

 だから、きっとこれはハッピーエンドなんだと思う。誰も不幸にならない幸せな結末。

 それでも……。

 それでも、思ってしまう。

 どうして僕は瑠璃ちゃんの想いに応えてあげてはいけなかったのだろう?

 瑠璃ちゃんの純粋な想いは、好きだという気持ちは、何よりも強かったはずなのに。

 人は言う。

 子供の恋愛感情など熱病のようなもので、それを利用した大人が偽りの恋愛関係を築いてしまうのだと。一理はあるのかもしれない。だけど、それは子供の、幼い者の人格を全否定しているのではないだろうか。おまえの感情や思考なんて、大人から見れば取るに足らない下らない物なのだと、決め付けているようなものではないだろうか。それを大人の傲慢と言わずして何と言うのだろう。

 或いは人はこうも言う。

 本当にその子の事を思っているのであれば、成人するのを待ってあげられるはずだと。法的に問題が無い年齢まで待ってあげられるのが真の大人なのだと。成程、僕はそれでもいい。だけど、それなら瑠璃ちゃんの今の想いはどうなる? どうしろと言うんだ? 十年弱も愛されるかどうか分からない、触れ合えもしない想いを抱き続けろと言うのか? 短い青春を十年も棒に振れと言うのか? そんな残酷な事を僕にしろというのか?

 分からない。もしかしたら法律が正しいのかもしれない。少なくとも僕と瑠璃ちゃんは自分達の関係が許されないものだという事は分かっていた。世間一般から唾棄されるものでしかない事は痛いほど分かっていた。だから、瑠璃ちゃんは僕の事を吹っ切るために告白した。僕も瑠璃ちゃんに吹っ切ってもらうために珊瑚ちゃんと結婚する。僕はロリータ・コンプレックスじゃない。優しいお姉さんタイプが好きなんだ。これが世間的にも一番いい結末である事は理解している。

 だから、僕と瑠璃ちゃんは気付かないふりをする。気付かないふりをして生きる。

 僕への想いを吹っ切ったという瑠璃ちゃんの嘘。

 瑠璃ちゃんの大粒の涙を見ても、それは嘘だと分かり切っているけれど。

 僕達は気付かないふりをする。

 瑠璃色の空の下、幸福な結末のために、僕達はその嘘に気付かないふりをする。


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