経過観察Ⅰ

 あの出会いからしばらく経っても、速水は何も仕掛けてこなかった。

 敵を作るような振舞いもしていなかったし、人畜無害を意識した行動だったはずなのに、あの些細な時間に起きた出来事に縛り付けられている自分がいた。

 疑問をそのままにしておくのは嫌いだ。その分だけ不確定要素がある。不確定要素を排除できるとは思わないが、少なくとも、疑問に対する自分の回答を持っておけば身の振り方は見えてくるはずだ。

 さっそくいつも飯を食うアイツに話を聞いてみた。


「なあ、速水寿葉って知ってるか?」

 アイツはいつものラーメン。僕は焼きそば。

「うーん。正直名前ぐらいしか知らねえけど、美人だよな」

 そういうことを聞きたいわけじゃない。

「ああ、美人だけど、そうじゃなくてな?」

「お前がそんなふうに聞いてくるなんて珍しくねえか?」

「ああ、少し気になってよ」

 いざ踏み込んで聞いてみると、ボロが出る。

 わかり切っていることだが、ここで踏み出さなかったら何も進まない。

「お前あれか、好きになったのか?」

「そんなんじゃねえよ。ただ少しあってな」

 結局はこうなる。踏み込まなければこんなことにはならない。

 僕が人畜無害を意識して振舞うのは、こうやって踏み込まれることを避けるためだ。自分のフィールドに立ち入ることを許可するのは、有益な人間と自分の興味の対象だけだ。そうすることで、デメリットなくいつでも足切りできる。

 だが、今回だけは仕方ないだろう。コイツも下手には踏み込んでこないはずだ。


「ふーん。ただ、かなりの変わり者かもしれねえぞ」

「なんで?」

「速水って美人だろ? でも、他の奴らとの話には一切上がってこねえんだ」

「おかしくねえか?」

「だろ。別に好みとかの関係もあるけどさ、何考えてるかわからねえんだよ」

「速水ってそんな奴なのか?」

「ああ。なんか、無愛想ってわけじゃないけど、仲良くなれる気がしないんだよ」

 もしかしてコイツは人を見る目があるのだろうか。

 少なくとも、僕が感じた違和感をコイツも感じたのかもしれない。

「それで?」

「まあ、群れてるところ見たこともねえけど、別に嫌われてるわけでもないらしい」

「なんでお前知ってんの?」

「いやだって、俺らと同じクラスだしアイツ。それに俺、女子とも話すからさ」

 初耳だ。

 あんな女を見逃していたこともそうだが、コイツが女子とも仲良くやっているのも不思議だった。もしかすると、コイツは凄いのかもしれない。


「なるほどなあ。というか、お前に彼女出来ねえのって」

「言ってくれるな……。自覚してんだ」

 ここまで誰かに踏み込んだのは高校入学して以来、初めてだった。

「悪い。今度飯奢ってやるから許せ」

「マジかよ、ゴチ」

 そのまま平らげて、食堂を後にした。


 さて、情報は少し集まった。

 速水寿葉という女は、僕と同じクラスらしい。

 だが、そんな女を見逃していたことに違和感を覚える。

 もちろん、関わり合いのない人間を把握しきるのは無理だし、僕も把握してなかったとはいえ、あんな女を見逃すほど把握が甘かったわけじゃない。

 となると、速水はいきなり存在感を強めたわけだ。

 高校デビューと言えばそうかもしれないが、あの違和感はそんなものじゃ説明できない。外見の美しさじゃない、もっと内面だとか振舞いだとか、絡みついてくるような何かだ。

 謎が解けたわけでもないし、違和感が拭えたわけでもない。

 だが、一つの解答として、速水を大きな枠組みで分類することは出来そうだ。


 女子高生にも様々なグループがある。そのうち、一番大きく分けて二つだ。

 学年を上がることに綺麗になっていくのが大多数、そのままが少数。

 平均の水準が高くなれば、変化しないままの集団の評価は下がる。いくら速水が男子の話に上がらなかったとしても、前者に入るはずだ。少なくとも、僕が見た限りでは平均より上だった。

 他にも分類できるとすれば、捕捉の優先度だ。

 女子グループの中心と、男子グループの中心は基本として優先度が下がる。

 いつも飯を食っているアイツは、今回でトップクラスの優先度になった。

 少なくとも、アイツに話を聞いていれば、ある程度問題ないはずだ。

 一方の速水も、トップクラスで捕捉しなければいけない対象になった。

 何かの中心にいる人間の情報はいくらでも入ってくる。

 だが、速水の情報は一切入ってこない。

 わかっているのは、いきなり学年上位に食い込んだこと、美人だが男子の話に上がらないこと、無愛想ではないが踏み込むことが出来ないこと。それぐらいだった。


 普段の態度を誰の気にも止まらない程度のものにしていたことが、ここにきて仇となるとは思いもしなかった。

 誰かを見ることは、誰かに見られていることを意味する。だから、授業中も周囲を見ることをしなかった。目立つことは、それだけで不利益だ。

 実際、目立った存在は耳だけでも情報を集めることは出来るし、印象も強いが、特に目立たない存在に関する情報や印象は薄い。全員が全員、クラスメイトを覚えてないのはきっとそういう理由だろう。

 だからというのもおかしいが、速水を捕捉できなかったのも頷ける。

 軽くだが、五時限目は速水を探してみよう。


 僕の席は窓側の列の真ん中だった。

 ここから見えるのは、同じ横列とそれより前の人間だけだった。

 わざと消しゴムを落として、拾うふりをしながら同じ横列の人間も見たが、そこに速水はいなかった。ということは、残り半分に速水はいる。

 普段は授業終わりをゆっくりと過ごすが、後ろを確認するためにすぐに移動を始めよう。ロッカールームは廊下にあるから、そこに行くふりをして把握しよう。


 六時限目までそれを繰り返して、ようやく速水を見つけた。

 彼女の席は一番廊下に近い列、その一番後ろだった。

 おそらく、一番視界に入らない位置。教室に入るときに見えない位置。

 

 ますます不気味だった。

 クラス全員を観察しているような気さえしたからだ。

 あの出会いからイメージが引っ張られていることは、わかっている。

 それでも、ここまで一貫性が出てくることなんてありえるのか。

 仮に、2年次の初めにあった席替えで誰かと交換したのなら、あの位置に彼女がいるのは理解できる。だが、その理由がわからない。

 勉強に力を入れたいなら、出来るだけ前に行くはずだ。後ろの席はどちらかと言えば、先生に目を付けられないための逃げ場所のはず。やっぱり食い違っている。


 しばらく観察してみるべきもかもしれない。

 少なくとも、この疑問に回答を得るまでは。

 

 速水寿葉の観察が始まった。

 そして、この密かな計画は、高校三年の席替えまで続くのだった。

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