怪物よ、喜びの涙を流せ

星野 驟雨

第一章 芽吹き

邂逅Ⅰ

「よぉ泉、飯いこうぜ」


知っている誰かが声をかけてくる。

ソイツの事は何も知らない。名前を知っていて、趣味に関して話す程度の浅い関係。


「ああ、お前何にするの」

適当な返事を返す。いつも通りの気の抜けたやり取り。


「俺か? そりゃラーメンだよ」

そういえばコイツは毎日ラーメンを食べていた気がする。

高校二年の中間試験、返却最終日の今日まで、一年の頃から毎日ラーメンなのだ。


「お前毎日ラーメンかよ」

敢えて知らなかった体を装う。こうすれば話は繋がる。

毎日飯を食べるような間柄でもないから成立することだ。


「悪いかよ。好きなもんは毎日食ってても飽きねえだろ」

「そりゃそうだけどな」

こんな会話を繰り返していけば、いつの間にか食堂につくというわけだ。


高校生活。それは僕たちに残された最後の猶予だ。

大学に進学か、就職か。いつの間にか決断を迫られていく。

穏やかな日常に流れ込む非日常が、次第に僕たちの青春を汚していく。

三年間という時間をかけて染められていく僕たちは、無知なままだ。


無彩色の学校生活。取り立てて面白みのない生活。

でも、きっとこの時間を懐かしむ時が来るのだろう。

卒業後に遊びに来ている先輩を見ていると、そんな気持ちにもなる。


高校二年生の始まり。

クラス替えで面識のあった人間が殆どいなくなったのは、好都合だったのだろうか。

以前より周囲との交流に気を回さずに済むというのは好都合だ。

だが、好意的な人間が少ないというのは不都合だ。

一年から一緒なのは、男の中だと、今話している目の前のコイツぐらいだった。


そもそも、この高校は男が少なく、女が多い。

僕にとってそれは不都合だった。

女性の結束力は苦手だ。身内ですら腹の内が読めない。

表では笑いあっているが、裏では蔑んだりしている。

まるで陣取りゲームだ。

それに比べて、目の前のコイツは馬鹿でいい。

下手な気を回さず、自然体で触れ合ってくれる。


「そいでよ、昨日のアニメよ」

「ああ」


コイツはオタクだ。だが、外見はしっかりしている。

ちなみに僕もオタクだ。もちろん、外見は整えてある。

人間にとって重要なのは外見だ。中身は二の次でしかない。

だから僕たちがアニメの話をしていても、内容を知らなければ、いたって普通の高校生が喋っているように見えるわけだ。


「ホント最高だったわ」

そう言いながらソイツは豪快に麺をすする。

合わせて僕もラーメンをすする。


相手の歩調に合わせて行動する。

行動を把握し、受け手側に回る。

賛同さえあれば人間は得意げになれるのだ。


「にしてもよ」

遠くをぼんやりと見つめながら、ソイツが呟く。

「なんで彼女って出来ないんだろうな」

「二年生にもなって彼女出来ねえからって嘆くなよ」

「いや彼女は欲しいだろお前。華の高校生だぞ」

発言が古い。だが、それがコイツを気に入っている理由でもある。


「”男はサバンナで獲物を探すようなもの、女は壁一面にかけられた中から選ぶようなもの”って知らないのか?」

「知らねえ。というか、そんなの無理じゃん。顔じゃん」

「だから前に外見を磨けって言ったんだよ。前より女子の対応は良くなっただろ」

「まあそうだけどさ、彼女じゃねえじゃん」

「お前な、ゲームでいきなり彼女ですって言われて楽しいかよ」

「楽しくはねえけど、現実だと手っ取り早いじゃんか」

「手っ取り早いけどな、それってお前が告白されたいだけじゃねえの」

「ちげえよ。告白したらしたでアレじゃん」

「まあ、そうだよな」

結局、上手くいかなかったときに、告白したという負い目を感じたくないだけだろう。告白した自分が振られる側ならまだしも、振る側ならデメリットが大きい。多くの女生徒から白い目で見られ、その後の学校生活に大きく支障をきたす。ならば、わざわざ告白するリスクを取る人間なんてのはいないはずだ。

未熟な高校生にとって恋愛は欲望のるつぼだが、同時にその終焉は関係性の消失につながる。リスクが明確な色恋を前にして、自ら告白するのは馬鹿だ。

恋は盲目というが、あれは人間が馬鹿になることを言うのだろう。


だが、そんなことは言わない。

コイツとはまだそんなに仲がいいわけでもない。

ならば、共感しつつも意見を述べることで相手を調子づかせる。


そんなことを繰り返すうちに食事も終わり、昼休みが終わっていった。




午後の授業が始まる。といってもテスト返却だ。

返ってきた答案に記された点数は八十九点。イマイチだ。

何も百点がとりたいわけではない。

「自分の予想以下の出来」が嫌いなだけだった。

まあいいだろう。たまにはこんな日もある。

椅子に背を預けて外を見る。

気分の波があるときはこうすることで落ち着いてくる。

考え事をしながら外をぼんやりと眺める時間が何よりも心落ち着くのだ。


六時限目が終わったら、学年順位を見よう。そうしよう。

この学校では、テストが返却された後に廊下に学年順位が張り出されるのだが、今回は何位だろうか。安定して十位以内に入っていたから、今回もその枠内にいるといいんだが。この点数でもきっと大丈夫だろう。


六時限目までが終わり、仄かな期待と少しの不安をぶら下げて順位発表を見に行く。

掲示された順位を辿る。二十位から上へと、何も問題はない。

やっぱり今回も十位以内か。――だが、そんな甘い幻想は即座に打ち砕かれた。


僕の名前があったのは、十一位。

その一つ上に見たことのない名前があった。


――速水寿葉。


今まで二十位内にさえ見たことのない名前だった。

誰だこいつは。

すぐ下の奴らに抜かれると思っていたが、そんな話ではなかった。

死角から現れたこいつはなんだ。

考え続ける僕の横に誰かが来たのがわかる。

どうせ順位を確認しに来ただけだろうと気にも留めずにいたが、なかなか立ち去らない。痺れを切らして目を向けると、女がいた。

高校生らしからぬ冷たい印象の女。

不思議な人だと思った。差し込む夕日に照らされながら、どこまでも暗いのだ。


「ええっと……十位か。まあこんなものね」


そんな彼女こそが、速水寿葉だった。

なるほど、先程の感覚にも納得がいく。

彼女ならば、いきなり成績上位に食い込んでもおかしくはない。

そんな論理的ではない、感覚的な部分で合点がいった。

だが、どうしてだろうか。何かがおかしい。何かが――。

考えを巡らせていると、見つめすぎたのか、彼女と目が合う。

「何か?」

「いや、なんでもない」

「そう」

そのまま三秒ほど沈黙が流れる。

居心地が悪く、そこだけ時間が止まってしまったかのような。

だが、確かに彼女と僕は存在し続けるような。

彼女のリズムは、僕の経験してきた人間のリズムと少しズレていた。


居たたまれず、僕から去ろうとした瞬間に、彼女が僕の方へと向き直した。

そのまま僕の前を通り過ぎようとする。

そして、目の前に差し掛かったとき、僕を見ながらほんの少し微笑んだ気がした。それは彼女を見つめていなければわからないことで、何故か僕は彼女から目が離せなかった。

そのままに彼女は通り過ぎていく。残ったのは制汗剤の匂い。

青春の匂いが大人びて見えた彼女をより際立たせていて、僕は階段を下りていく彼女の姿を見えなくなるまで見送った。

それはまるで魔法のような感覚で、同時に僕は今までの学校生活で感じたことのない違和感を覚えた。それはどこか本能的な恐怖というか――。


恐怖というものは、思考を加速させる。

何故、彼女は笑ったのだろう。

何故、彼女は僕の前を通ったのだろう。

何故、彼女は不可思議なリズムで動いたのだろう。


――いや違う。

あり得るわけがない。あの笑みには何の意味もない。

彼女と僕はここで初対面だし、彼女は僕の名前さえ知らないはずだ。

考えるな。きっとおかしな鉢合わせをしたせいだ。

断じて違う。絶対に違う。

自惚れてはいけない。そんなはずはない。


きっと見つめていた僕を笑ったんだ。普通はあそこで笑わない。

じゃあ何故、前を通ったんだ。そっちに用事があったからだろう。

だが、彼女の向かった方向にあるのは玄関だ。

わざわざ順位を確認するためだけに来るだろうか。

それに、僕の前を通ったという事は、遠回りしてきたことになる。

遠回りをするメリットなんてないはずだ。

帰る支度が終わっていて、確認するためだけに来るとしても、わざわざ遠回りをする意味はない。帰る支度が終わっていないなら玄関方面に降りる意味がない。

それに、あの不可解なリズムについては、どうなっている。

彼女のリズムがそうだったというだけだろう。

言動の変わっている人間は、リズムも人と違う。

たしかにそうだろう。

だが、それを鑑みてもあの沈黙はなんだ。おかしいだろう。


否定しきれない。それがどのようなものであれ、不気味すぎる。

流れを見て、そこに合わせる僕にとって、行動が読めないのは恐怖だ。

夕焼けに飲み込まれて黒くなる校舎にさえ恐怖を感じ始めた。


思考はまわる。くるくる回る。軋みながらも廻ってく。

だめだ、振り切って帰ろう。次にどう活かすかだ。

そう言い訳をしながら帰路についた。

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