第25話 謎めいた美女、李先生は話してみると…(後編)

※あらすじは第1話にあります。読みやすくするために、第24話の前編をそのまま、こちらの前半に書きました。

 

 そういえば、あれはいつの話だったのだろうか。それからのことが、

「これは事件なんだ」

 と気がついてからの記憶と苦しみが強烈なせいか、うまくいっていた時、いや多分、そう錯覚していた、させられていた時のことは、もう憶えていないことも多いのだけれど、今、思い出した。あれは夏の終わりだった。皆で横浜港に行ったのも、歓迎の食事会も。


 あれは二〇一九年の夏だった。そして、その年の終わりにあの事件が起こったのだ。

 歓迎の食事会の数日後、月代先生に頼まれて、李先生の観光のご案内役をした。私達は月代先生や、生徒の一部の方々とラインでつながっていたけれど、李先生の連絡先は何も知らされなかった。

 月代先生の指示はほぼいつも急だ。今回の日にちの指定も前日だったので、李先生に会うのにも少し苦労した。

「まだ、あのホテルにいらっしゃるなら、迎えに行きましょうか?」

 と月代先生に電話で言うと、

「あれから東京に移動されて、お友達の家にいるのよ。場所は私も知らないの」


 李先生の携帯電話の番号を教えてほしいと言ったら、それはできないとの答えだった。

「じゃあ、どうすればいいんですか?」

「沙奈ちゃん、東京に先生を迎えにいって下さらない?」

「東京のどこですか?」

「分からないけど。ふふ。……本当は私もご一緒したいのだけれど。沙奈ちゃんと李先生と東京を歩けたら楽しいでしょうね」


 月代先生が李先生に連絡を取って、それからもまた、結構長い間、指示を待ったあと、東京駅のそばの、とある高級ホテルのロビーの喫茶室に李先生を迎えに行くことになった。

 李先生は最初にお会いした時よりも、さらに華やかな装いでいた。着ているブランドものの服は東京で買ったのかもしれない。この頃はまだ、中国人の観光客は本当にどこにでもいた。


 けれど李先生の服装、化粧は、目を引くと同時にどこか上品で落ち着いていた。センスのいい人なのだろう。群を抜いた美貌は相変わらずで、隣の席に座る、中年のビジネスマンらしい白人男性に声をかけられていた。

 そういえば、李先生は結婚しているのだろうか。そもそも、いくつなのだろうか。二十代といわれても納得できるし、三十代に見えないこともない。これも謎だ。


 月代先生は中国語はあいさつだけで、中国茶の授業も、その他の意思疎通も、すべて日本語でやっているそうだ。


 つまり、李先生は日本語が堪能なのだろうが、こういう人と何を話せばいいのだろうか。食事会の日もほとんど話せなかった。

 また、前述のように、私は今まで中国人が経営する、もしくは深く関わる中国料理店の記事もいくつか書いたことがあるが、それも含めて、私がそれまで話をしたことのある中国の人は、すっかり日本に馴染んでいる人達ばかりだった。

 李先生はものごしからして、日本語を話すにしても、いわば生きの中国の女性で、しかも、ただものならぬ、なんだか謎めいてすらいる美女で、共通の話題があるのかと、非常に不安だった。


 でも月代先生の中国茶の先生で、いわば私の先生の先生で、今日は私のお客様である。頑張らねば。

 私は、「最近、それ、上手になってきたよね」と他人からいわれる、愛想笑いを浮かべ、勇気を出して李先生に声をかけた。

「李先生、こんにちは。先日、横浜中華街の食事会でお会いした、御月沙奈でございます。お迎えに参りました」

 李先生は優雅な笑みを浮かべてこちらを見たが、やはり何も言葉を発しなかった。


 あれっ、挨拶がかえってこないなあ。今日はよろしくお願いね、だとかは外国の人は言わないのだろうけれど、そういえば、この前、京都の観光地で、困っていた中国人観光客を、軽く助けたら、ありがとうって言われなかった。――そうだ、確かかなり前、何かの本で、中国ではそういうことはあまり言わないから、日本人は妙に愛想よくて動揺させられる、ということを読んだような気がする。悪気はなくて文化の違いなんだろうか。こういうものなのだろうか。


 どうしていいか分からなかったので、とっさに私は、伯父にいつか教えてもらった中国語で、

「ニーハオ、李老師。ニーハオマ」

 と、挨拶した。『こんにちは、李先生、お元気ですか』というような意味だったはずだ。


 すると李先生の顔が、急にぱっと明るくなったので、驚いた。こういうと語弊があるかもしれないのだが、謎めいているというか、何を考えているか分かりにくい方だと思っていたけれど、私が最初に見た、李先生の、なんというか、人間らしい表情だった。私はそう思った。

「おお、中国語ですか!お上手ですね。中国語ができますか」


「残念ながら挨拶だけです。伯父がかなり前に教えてくれました。伯父は日常会話くらいはできるんです」

「あなたも、発音はいいですよ。なぜ伯父は中国語を勉強していますか」


「食に関わり、勉強するものにとって、中国、中華圏の文化は、必ず関わるべき偉大な文化だからです。伯父は料理人で、専門はフランス料理ですが、中国料理も勉強しました。中国人の料理人の友達もいますよ」


 李先生の顔はますますいきいきとし、満足げに頷いた。

「その通りです。中国を尊敬するのは、どこの人も同じこと。でも、欧米などの人は、基礎的な歴史の知識もとぼしく、料理、中国茶についても、味覚の大きな違いなどがあって、細かい話が通じないことがあります。でも、日本は隣国ですから、やはり違いますね。……伯父が料理人なのですね。あなたも食を勉強していますか」

「私の職業はグルメライターです」

「グルメ?」

「あー、美食についての記事を書く人間です」


 李先生が怪訝な顔をするので、スマホを出して調べてみた。すると、中国語でグルメは『美食』で、字面はほぼ同じなのであるが、「記事」は中国語の簡体字で、『文章』と書くのだそうだ。なんだか凄く面白かった。 


「おお、『グルメライター』なのですね。どんな記事を書いた?見たいです」

 と李先生は目を輝かせて言った。

「学生時代からやっていて、ライター歴は約四年になります。今はウェブ記事、紙媒体での記事、両方書かせていただいています。ウェブではこういう記事を書きました」


 私は自分の記事を見せた。

「これは、日本で有名なフランス料理店です。伯父を通じて、子供の頃から知っていた方なのですが、取材当日はもの凄く緊張しました。でも、評判がよかったんですよ。関係者からもお礼の言葉をいただいて、子供の時からおいしいものを食べさせていただいた恩返しもできたし、書きがいのある記事でした」


 こう述べたが、李先生はなぜかとまどっている感じで、とってつけたように「写真がきれいですね」と言っただけだった。


 そういえば、李先生は日本語は読めるのだろうか。訊きたかったが、失礼になるかもしれないので一応やめた。


 その時ふと、中国では今でもほぼ中国料理のみを食べると読んだことがあるが、本当なのだろうか、と思った。私が行ったことがあるのは台湾だけで、大陸には行ったことがないのだ。

 その本を読んだのはけっこう前であるし、きっと今は違うのだろう。それにしても、私は隣国のことを本当は何も知らないのだな、と思った。きっと、多分、お互いに。


 もっと分かりやすく言うことにした。

「これは、有名な中国料理店です」

「なるほど」


「私、最近、ミシュランの一つ星がついた中国料理店の記事が書けたんです。これです」

「おお、ミシュランですか」

 ミシュランは中国にも進出しているから分かりやすいのだろう。


 李先生の顔はまた、いきいきとして、今度は興味深そうに記事を見ていた。

「あなたの記事はなかなかのものです。写真もきれいですね。インテリアはどのような感じでしたか?……日本でもこのような店、行ってみたい!」


 その店の料理、インテリアの説明をし、日本と中国の中国料理の違いについて聞き、いろいろと話しているうちに、はしゃぐ李先生を見て、私は、こんなにきれいな人でも、話してみれば同じ人間なんだな、と思った。


「伯父はどんな人間ですか。中国には来たことがありますか」

「はい、上海にも行ったことがあるはずですよ。あと、若い時に香港、中国、台湾映画が流行っていた時代の人なので、うちに遊びに来たさいは、私も一緒によく観ました」


「まあ、あなたも観ましたか。どんな映画を観たのですか」


 私は、自分の好きな中華圏の映画の題名を書いた。中国語の題名が分からない時は、スマホで検索して見せた。私は、わりとつうなものも観ていたらしい。李先生の顔が、またぱっと明るくなった。


「若いのに、この映画も観たのですか。どんな俳優が好きですか?……私はこの俳優が好きです」

 と言って、ダウンロードしたらしいスマホの画像を見せてくれた。私はまったく知らない人だったけれど、お洒落で、正統派のイケメンという感じの俳優だった。


「あー、なんか凄くよく分かります。李先生はきれいだから、イケメンが好きなんですね。隣にいたらお似合いかも」

「ふふ、きれいではないですよ」

 会ったばかりの時とは違って、李先生はくだけた笑みを見せた。こういう人もこんな顔で笑うのか。


「この俳優さん、私は知らない人なんですけど、イケメンなだけではなくて、甲斐性かいしょうがありそうですよね」

「カイショウ?」

「甲斐性は……辞典によると、『物事をやり遂げようとする気力、根性。また、働きがあって頼もしい気性。多く、経済的な生活能力をいう。かいしょ』ですって」

「何?」

「うーん、強いて言いかえれば……根性ありそう、頼れそう、お金がありそうとか……」

 本来の意味から離れてきているかもしれないが、そう説明すると、李先生はあっさり、

「あっ、分かった」

 と言った。


「この俳優さんの名前はなんですか?二十代ですか?」

「知らないですか。有名な人ですよ。今はもう三十代なかばくらいです」


「そういえば、李先生はおいくつなんですか?さしつかえなければ」

「私は三十四歳です」

「ご結婚は」

「しています。子供もいますよ」

「そうなんですか。お若く見えます。お子さんは何歳ですか?」


「八歳です。男の子」

「可愛いさかりですね」


 私がそう言うと、李先生は嬉々としてスマホを取りだし、その子の写真を見せた。本当に可愛い子である。

「可愛い!」

 私が言うと、先生はとろけるような顔で笑う。


 そうだ、中国語では、「可愛い」を「クーァイ」と言うはずだった。私が、

「クーァイ」

 と言うと、先生は、今度は意表を突かれたかのような顔をして笑った。


「あってますか?」

「はい、分かりますよ。発音がとてもいいから」


「男の子ですか。だったらよけいに、こんなにきれいな方がお母さんなら、自慢ですね」

「とても元気な子なんですよ」

 それから、えんえんとお子さんの写真を見せられ、話をされたのには、正直いって閉口へいこうした。確かに可愛い子だけれど、私の目には皆、同じ写真に見えた。


「息子さんは、頭がいい子なんですね」

 と、半分は相づちのつもりで言ったら、ただでさえ大きい目をくわっと見開いて、

「そうです。同じ年の子と比べて、出来がいいので、驚いています」

 と真剣な答えが返ってきたので、私までびっくりした。


 そして私はまた、その時、なんだ、同じ人間じゃないか、と思った。

 私は伯父の影響と、食を学んでいる関係で中華圏の文化に興味があって、特に中国料理については自分なりにこつこつと勉強をしてきたつもりだけれど、こういうふうにの中国の人と雑談をしたこともなかったのだなと気がついた。

 李先生のことも、内心は、つい物珍しい思いで見てしまっていた。そういう目で見るのは、本当は失礼だからもうやめよう。


「今日はどちらにいらっしゃるご予定ですか?」 

「ア?」

 そうか、外国の人だから敬語表現が難しいのかもしれない。

「今日はどこに行きたいですか?ご案内しますけど」

 と言うと、すっぱり通じた。


「買いものをしたいですか?」

「昨日、もう行きましたね。明日また、自分で行くので大丈夫です」


「買いものは昨日、もう行ったんですね……。そしてまた、明日行くんですね」

「はい」

 直球ですね、と言いたかったが、「直球」がなんなのか、なぜ今、直球というのか、問い詰められそうな気がしてやめた。


「その服は昨日買ったんですか?」

「はい」

「すごく似合ってますよ。ブランドものなんでしょうか?」

「そうです、私はここのブランドが好きですね」


 ブランド名を教えてもらって検索すると、そのブランドのコンセプトが出てきた。李先生によくあっているような気がする。

「ああ、そうですね。その……コンセプトは初めて知りましたが、このブランドの服を着るとそのような気分になれますね」

「このブランド、知ってますよ。とても印象に残るけど、けっこうインパクトが強くて、私はこういう服着ることあるかな、と思っていたんですが、先生が着ると上品に見えるから不思議です」


「それはあります。このブランドは、ゴールドの使い方にこだわりと特徴があるんですが、私が着るとやりすぎになって、変なので着ないです。このブランドの黒を好んで着ます。それに私物の、華やかなゴールドのアクセサリーをあわせると、かえってよく映えて、ゴージャスな女に見えると思います」

「なるほど……」

 やはり、そこまで自己演出していたか。それに、なんて潔い言い方だろう。


「沙奈はブランドものは着ないですか?」

 さりげなく呼びつけにされていたけれど、かえってなんだか嬉しかったのでそのままでいた。


「私はプライベートでも、食にお金をたくさん使うので、高い服を買うのは、あえて我慢しているんです。たまに買うのはコンサバティブなブランドですね」


「その写真はありますか?見てみたいです」

 プライベートで着たワンピースの写真を見せると、李先生は、

「今と全然違ってよいではないですか」

 と言う。それから、ファッションについて、いろいろ女子トークができた。


「あっ、お話が面白いのでつい長居してしまって。今日はどこに行きたいですか?」

「ここに行きたいです」


 李先生が見せてくれたのは、祇園の写真だった。


「あっ、そうか。京都なんですね」

「今日、泊まるのも京都です」


「知りませんでした」


 そして私はどうしたかというと、なんと、新幹線に乗って京都まで行ったのである。東京駅に近いホテルで待ち合わせをしたから、駅から二時間半くらいかかった。


 迷ったのだけれど、頑張って記事を前倒しで入稿してきたのでちょうど時間があったし、ウェブ記事なので、もし何かあっても出先から手直しできる。最近、忙しくてろくに外出していなかった。

 李先生のような方とご一緒できるのもなかなかないことだ。京都を半日ご案内したあと、李先生をホテルにお送りして、明日は久しぶりにぶらりと京都を一人旅でもしよう。旅先で新しい店やネタが見つかるかもしれない。


 これはとても楽しかった。半日だけでも外国の人と旅行をしたのも初めてである。李先生は思ったよりもずっと話しやすい方で、貴重な経験ができた。

 外国の人、中国の人の視点で自国を見られるのも面白い。大変な面もあったが、同時に、二重の旅ができたような気分になれた。


 李先生について思ったことは、やはり、話し方が直球だということである。

「あの人に訊いてきて下さい」

 と、スパッと最初に言われた時は、半日は一緒にいるし、威張る人だったらどうしようと思った。

 けれど、少しでも慣れてくると、言葉のほのめかしや、本意、裏の意味をいちいち読みとる苦労が少ないのも、さっぱりして楽でいいのかもしれないな、という気がしてきた。


 新幹線の中で、こんな会話をした。

「日本にはよく来るんですか?」

「はい、私は日本と中国を行き来できるビザを持っていますから」

 李先生がおっしゃるには、台湾にも最近、何回か行ったという。

 

 しかし、正直いって、思ったほど日本語が上手なようには見えないのに、日本とは違う制度の国の人で、そういうビザを持てるものなのだろうか。


「ひょっとしたら、旦那様は日本人ですか?」

「いえ、中国人です。上海人ですね。私と同じ」

「伯父はかなり前にも上海に行ったんですよ。二十年以上前。当時から上海は大都会で、地震がないからビルの建ち方にも迫力があって、凄かったと言ってました」

「そうでしょうね」


 京都駅についた。もう昼すぎである。時間がないので、駅からタクシーに乗って祇園まで行った。それでも、その日は順調に行けたので、確か十五分くらいで着いた。

 私は京都が好きだけれど、その日、タクシーに乗って、実は少し緊張していた。

 個人的に、日本に来て楽しそうにしている外国人観光客を見るのは、こちらまで気分がよくなることが多いけれど、文化の違いもあるので、当時からいろいろな意見があった。

 そして、なんというか、標準語、神奈川弁で育った私がよその人間であるのはすぐ分かることだし、京都の人はやはり誇り高く、芯が強いというか、もの柔らかな反面、案外と意思表示もはっきりしている人が多いというイメージがある。こんなに目立つ李先生は、京都の人にどう見えるのだろうか。


 それが、私は本当に驚いたのだが、李先生はどこに行っても優遇された。特にタクシーの運転手さんのほぼ全員が、

「この方は、どなたさんですか?」

 と感心したように私に訊くのだった。こういうことは、私は初めてである。


「私の、中国茶の先生の、先生で上海からいらっしゃいました」

「上海からねえ。まあまあ、それで、今日はどこに行かはるの?」


「まず、祇園に行きたいそうで」

「ああ、人気あるからねえ」

 

 李先生が美人であることは疑いようのないことだが、「マダムオーラ」というのは、国境を越えて作用するものなんだな、と私は妙に感心してしまった。(続く)


引用

コトバンク「甲斐性」

https://kotobank.jp/word/%E7%94%B2%E6%96%90%E6%80%A7-457557

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る