第24話 謎めいた美女、李先生は話してみると…(前編)
※あらすじは第1話にあります。
そういえば、あれはいつの話だったのだろうか。それからのことが、
「これは事件なんだ」
と気がついてからの記憶と苦しみが強烈なせいか、うまくいっていた時、いや多分、そう錯覚していた、させられていた時のことは、もう憶えていないことも多いのだけれど、今、思い出した。あれは夏の終わりだった。皆で横浜港に行ったのも、歓迎の食事会も。
あれは二〇一九年の夏だった。そして、その年の終わりにあの事件が起こったのだ。
歓迎の食事会の数日後、月代先生に頼まれて、李先生の観光のご案内役をした。私達は月代先生や、生徒の一部の方々とラインでつながっていたけれど、李先生の連絡先は何も知らされなかったし、日にちの指定も前日で、また急だったので、李先生に会うのにも少し苦労した。
「まだ、あのホテルにいらっしゃるなら、迎えに行きましょうか?」
と月代先生に電話で言うと、
「あれから東京に移動されて、お友達の家にいるのよ。場所は私も知らないの」
李先生の携帯電話の番号を教えてほしいと言ったら、それはできないとの答えだった。
「じゃあ、どうすればいいんですか?」
「沙奈ちゃん、東京に先生を迎えにいって下さらない?」
「東京のどこですか?」
「分からないけど。ふふ。……本当は私もご一緒したいのだけれど。沙奈ちゃんと李先生と東京を歩けたら楽しいでしょうね」
月代先生が李先生に連絡を取って、それからもまた、結構長い間、指示を待ったあと、東京駅のそばの、とある高級ホテルのロビーの喫茶室に李先生を迎えに行くことになった。
李先生は最初にお会いした時よりも、さらに華やかな装いでいた。着ているブランドものの服は東京で買ったのかもしれない。この頃はまだ、中国人の観光客は本当にどこにでもいた。
けれど李先生の服装、化粧は、目を引くと同時にどこか上品で落ち着いていた。センスのいい人なのだろう。群を抜いた美貌は相変わらずで、隣の席に座る、中年のビジネスマンらしい白人男性に声をかけられていた。
そういえば、李先生は結婚しているのだろうか。そもそも、いくつなのだろうか。二十代といわれても納得できるし、三十代に見えないこともない。これも謎だ。
月代先生は中国語はあいさつだけで、中国茶の授業も、その他の意思疎通も、すべて日本語でやっているそうだ。
つまり、李先生は日本語が堪能なのだろうが、こういう人と何を話せばいいのだろうか。食事会の日もほとんど話せなかった。
また、前述のように、私は今まで中国人が経営する、もしくは深く関わる中国料理店の記事もいくつか書いたことがあるが、それも含めて、私がそれまで話をしたことのある中国の人は、すっかり日本に馴染んでいる人達ばかりだった。
李先生はものごしからして、日本語を話すにしても、いわば
でも月代先生の中国茶の先生で、いわば私の先生の先生で、今日は私のお客様である。頑張らねば。
私は、「最近、それ、上手になってきたよね」と他人からいわれる、愛想笑いを浮かべ、勇気を出して李先生に声をかけた。
「李先生、こんにちは。先日、横浜中華街の食事会でお会いした、御月沙奈でございます。お迎えに参りました」
李先生は優雅な笑みを浮かべてこちらを見たが、やはり何も言葉を発しなかった。
あれっ、挨拶がかえってこないなあ。今日はよろしくお願いね、だとかは外国の人は言わないのだろうけれど、そういえば、この前、京都の観光地で、困っていた中国人観光客を、軽く助けたら、ありがとうって言われなかった。――そうだ、確かかなり前、何かの本で、中国ではそういうことはあまり言わないから、日本人は妙に愛想よくて動揺させられる、ということを読んだような気がする。悪気はなくて文化の違いなんだろうか。こういうものなのだろうか。
どうしていいか分からなかったので、とっさに私は、伯父にいつか教えてもらった中国語で、
「ニーハオ、李老師。ニーハオマ」
と、挨拶した。『こんにちは、李先生、お元気ですか』というような意味だったはずだ。
すると李先生の顔が、急にぱっと明るくなったので、驚いた。こういうと語弊があるかもしれないのだが、謎めいているというか、何を考えているか分かりにくい方だと思っていたけれど、私が最初に見た、李先生の、なんというか、人間らしい表情だった。私はそう思った。
「おお、中国語ですか!お上手ですね。中国語ができますか」
「残念ながら挨拶だけです。伯父がかなり前に教えてくれました。伯父は日常会話くらいはできるんです」
「あなたも、発音はいいですよ。なぜ伯父は中国語を勉強していますか」
「食に関わり、勉強するものにとって、中国、中華圏の文化は、必ず関わるべき偉大な文化だからです。伯父は料理人で、専門はフランス料理ですが、中国料理も勉強しました。中国人の料理人の友達もいますよ」
李先生の顔はますますいきいきとし、満足げに頷いた。
「その通りです。中国を尊敬するのは、どこの人も同じこと。でも、欧米などの人は、基礎的な歴史の知識もとぼしく、料理、中国茶についても、味覚の大きな違いなどがあって、細かい話が通じないことがあります。でも、日本は隣国ですから、やはり違いますね。……伯父が料理人なのですね。あなたも食を勉強していますか」
「私の職業はグルメライターです」
「グルメ?」
「あー、美食についての記事を書く人間です」
李先生が怪訝な顔をするので、スマホを出して調べてみた。すると、中国語でグルメは『美食』で、字面はほぼ同じなのであるが、「記事」は中国語の簡体字で、『文章』と書くのだそうだ。なんだか凄く面白かった。
「おお、『グルメライター』なのですね。どんな記事を書いた?見たいです」
と李先生は目を輝かせて言った。(続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます