第20話 急襲

「さあ、小鳥様。どうぞそのまま握ってください」


ナザンの言葉に、小鳥は左手に力を込めてぐっと掴んだ。


「もっと強く掴んでください」

「で、でも、痛くありませんか?」


不安そうな小鳥に、ははっとナザンは笑う。


「小鳥様でしたら、思い切り掴まれたって痛くはありませんよ。ですから、ほら」

「はい。……ごめんね」


言われるがまま左手で力を込めて手綱とたてがみをまとめて掴んだ小鳥は、ナザンに支えられながら左足をあぶみにかけた。

それから右手で鞍壺をつかみ、体を持ち上げる。

リャーに跨がるため右脚を大きく振り上げると、ひらりとスカートの裾が宙を泳いだ。

思わずナザンの目が釘付けになる。

無事に鞍へ座れた後は両手で手綱を持って、右足も足先で何度か探りながらなんとか鐙へかけることが出来た。

そこでようやく、小鳥の左脚を支えていたナザンが小鳥から離れた。


「おおーっ。素晴らしい!! 初めてとは思えません。お上手です! ――どうですか? 座り心地は。左右ズレてはいませんか?」


小鳥は座っている位置や鎧にかけている足を確認した。

ちなみに靴は、元の世界から履いているバレエシューズ風のスニーカーである。


「大丈夫だと思います」

「ああ、肩の力をもっと抜いてください。――そうそう。うん。いいですね」


目尻を下げながら今まで聞いたことのないような甘ったるい声を出す魔法騎士団団長の姿に、後ろでその様子を眺めていた厩長は砂でも吐き出しそうな気分だった。


魔法騎士団団長であり貴族でもあるナザンは、優雅な振る舞いと見た目のため、孤高の存在として元々女性からの人気は高かった筈だ。

それなのにあの体たらくは一体何であろう。

しかもさっきからチラチラと小鳥の脚を盗み見ている。


厩長はわざとらしくゴホンと咳をした。


「小鳥様。次からは乗馬の際はもっと布面積の大きなお召し物になされた方がよろしいかと存じます。――恥ずかしながら、下心のある男性もおりますので……」


厩長がチラッとナザンに視線を送りながらそう進言すると、ナザンは気まずそうに目を逸らした。


――まあ無理もない。

実際小鳥様のおみ足は瑞々しく滑らかで、年頃の少女らしい健康的な張りがある。

手綱を持つその手にしたって、人よりも少し小さめの爪が、どこか庇護欲をくすぐられるような気さえした。

指摘された恥ずかしさで薄らと桃色に染まる頬も、紅も付けていないのに紅く熟れた唇も、どれも愛らしくていつまでも見ていたい…。


「すみません、厩長さん。気を付けます。――あの、厩長さん?」


黙り込んでしまった厩長に、気を悪くさせてしまったかと小鳥が気にして声を掛けると、厩長は慌てて何かを払うように首を振って平生の常識的な自分を取り戻した。


「い、いえ、小鳥様が悪いのではありません! ――それにしても、そいつが小鳥様を乗せて大人しくしているとは…。そのリャーは特にプライドが高くて気難しいヤツなんですよ」


プライドが高くて気難しいと言われた当のリャーは、小鳥を乗せて誇らしげな顔をしているように見える。

実は昨日小出を振り落としていたのと同じリャーなのだが、その面持ちからはとてもそうとは思えなかった。


「これならそのまま歩けそうですね。足で軽く合図を――…。 ん? どうした…?」


つい先ほどまで誇らしく悠然と立っていたリャーが、不安そうな目をして忙しなく耳を左右バラバラに動かしはじめた。



魔力の高い魔法騎士団団長は、城内に於ける魔力のバランスが突如崩れたのを感じた。

この城を守っていた大きな力が消えたのだ。

これまで意識したこともなかったが、この瞬間初めて自分達がその力に守られていたのだと知った。

そしてそれほどの力の主となると、それはおそらく――。


「小鳥様! 申し訳ありませんが、魔法騎士団団長として行かねばなりません!! 陛下の御身に何かあったようです! ――厩長、小鳥様を頼む!!」


そう言い残して慌てて厩舎を後にしたが、そうも進まないうちに足下の地面が急に盛り上がり、ナザンは行く手を阻まれてしまった。



++++++++


厩舎では、リャーやリャリャといった馬達が銘々に嘶き、落ち着きのない動きを始めた。

それは小鳥の乗っているリャーも同様で、気が触れたように嘶いたかと思うと、後ろ脚で立ち、大きく身体をのけ反らせた。


「小鳥様!!」


落馬する小鳥を何とか厩長が受け止めたが、リャーの方に落ち着く様子はなかった。

そのうちに、厩舎内のあらゆる馬が一様に小鳥をじっと見据えてきた。


その目がおかしい。


長年馬を見てきた厩長でさえいまだかつて見たこともないような、異様な光を伴っている。

明らかに正気ではない。

口からは締まりなく舌がはみ出して、涎をだらだらと垂らしていた。


「――小鳥様、お逃げください」


厩長が小鳥を隠すように前にはだかった。

厩長には魔力も戦闘能力もない。

馬が彼に味方して動いてくれるから、そんなものがなくとも問題はなかったのだ。

だが、今はその唯一にして絶対の武器が敵となってしまったようだ。

それでも、例えこの身を犠牲にしても、異世界からこの世界を救うために召喚された勇者様とその大切な方を守らなくてはならない。

元々責任感の強い男だけに、その意志は固かった。



++++++++


城の中へ行く筈だったナザンの足下からは、無数のミミズや蟻、百足、蜚蠊といった虫々が湧き出して、ナザンの服の隙間からゾロゾロと入り込んできていた。

初めは手で掴んで捨てていたのだが、それではキリがない。

出来れば今余計な魔力を使いたくはなかったが、やむを得ず自分の体表面の熱を生物には耐えられないほどに高く保ち、体に触れる虫共をその熱さで即死させていった。

そして地面に手をつくと地表に見えない膜を張って、これ以上何も地上へ出てくることが出来ないようにした。


ナザンが見上げると、空を飛ぶ虫や鳥までもが異常な動きをしてこちらを見つめてきているのが分かる。

今すぐにでも陛下の元へ駆けつけたいが、そう簡単にはいかなそうだ。



++++++++


厩舎の外では、今まさに馬達が小鳥と厩長目がけて突進してきているところだった。

その目には殺意が宿っている。

馬の中には巨大な体躯のリャリャもおり、突き飛ばされれば確実に死ぬのではないかと思った。

しかも、走って逃げたところで逃げきれる相手でもない。


小鳥は意を決して、唯一自分に使える魔法を口にした。


「て、誘惑テンプテーション誘惑テンプテーション誘惑テンプテーション誘惑テンプテーション誘惑テンプテーション――っ!!!」


同じ突進されるにしても、殺意がなければまだ何とかなるかもしれない。

動物に効果があるかどうかは分からないが、武晴に拐われたように、今回もそうなれば助かるのではないか――。

そんな望みを託して放った誘惑テンプテーションだった。



++++++++


馬達が一斉に奇妙な鳴き声を上げたのが聞こえた。

ナザンが小鳥の身を案じて駆け戻ってくると、厩舎の前に厩長が倒れていた。

一瞬ギクリとしたが、気を失っているだけで怪我をしている様子もない。

安堵したナザンが小鳥の姿を求めて辺りを見回すと、馬達が何か地面にあるものを取り囲んでいるのに気が付いた。

近付くと、その馬達の興味の中心にいる人こそが捜し人であるということが分かった。

小鳥もまた、気を失って倒れているようだ。

それにしてもこの馬達の様子はどうだろう。


その目がおかしい。


長年リャーと共に戦ってきたナザンでさえいまだかつて見たこともないような、異様な光を伴っている。

明らかに正気ではない。

例えていうならば、まるで恋焦がれているようなハートマークが見えてきそうな目だった。




馬の数だけ唱えた誘惑テンプテーションは見事に全ての馬を小鳥に夢中にさせて、突進はされたものの特に怪我を負うことなく済んだ。

今馬達は、気を失っている小鳥に各々触れたり寄り添ったりして、愛しい人の目覚めを待ちわびているところであった。

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